水無月の蛙

 じっとりと肌にまとわりつく様な空気が朝から漂っている。

 空は青よりも白、灰色と言った無彩色が広がっている。

 対照的に、木々や草花の緑の色合いは先日にも増して濃くなっており、青臭いあの匂いもより強く感じられるようになってきている。

 もうすぐツツジの花も咲くだろう。つぼみが花開くのを待ち遠しそうにしている。

 そして朝から蒸し暑い。初夏の気温。

 天気予報では雨が午後には降るだろうと言っていたが、それは外れて正午あたりに一度スコールのように降っては止み、また降っては止みを繰り返している。

 そのたびに湿気が増していくような気がして、今日はあまり気分も良くなかった。

 元より天気の悪い日は体調があまり良くない事が多い。特に台風のように、気圧の変動が大きい日は偏頭痛まで発症する事もある。今日はそこまででもなかったが、なんとなしに体が重かった。

 

 仕事も早々に切り上げて、私は自分の部屋で漫然とした時間を過ごしていた。

 食事も終わり、風呂にも入り、特にするべき事も無いので椅子に座ってネットを見ている。先ほどお気に入りのバンドのアルバムCDを見つけたからポチったり、馬鹿な事をやっている動画を見ては笑ったりしている。

 独身者の夜なんかこんなものだ。

 これで人付き合いが多い人なら仕事終わりにみんなで飯を食べたり酒を飲みに行ったり遊んだりすることもあろうが、私にはそんな人も居ない。意図して人付き合いを避けているわけではないが、生来の面倒くさがりと協調性の無さのおかげでこの様だ。

 それにしても、風呂から上がったせいなのか蒸し暑い。

 まだエアコンの冷房をつけるには早く、かといって扇風機を今から出して風を吹かせる程度でもない。その前に掃除をしなければ使い物にならない。

 窓を開ける。

 夜になっても湿気は相変わらずだったが、昼よりは空気が冷えている。

 部屋の空気は温められたまま蒸し暑いものから、新しい空気が入って循環する事によって徐々に外と同じ温度になる。これでようやく、少しは部屋の暑さもマシになった。

 

 ……雨が降ったせいか、外からは蛙の鳴き声が聞こえてくる。

 それは合唱とも言うべき数で、どのくらいの蛙が鳴いているのか全く見当がつかない。あちらでケロと鳴けばこっちでケロケロ。向こうでケロと言えばどこからともなくまたケロケロと返ってくる。

 不思議と耳障りではない。心地よい音楽。

 蛙が鳴くのはどういう原理だとか、どういう理由だとか、そういうのはどうだっていい。今は。

 

 蛙と言えば、私が小学生の頃には蛙が好きな子が居た様な気がする。

 といっても、その好きというのは愛玩的な意味ではなく、遊び道具として利用するのが好きという意味であり、そのやり方がまた子供だけに過激だった。

 ロケット花火に括り付けたり、爆竹を蛙の尻に詰めたり、或いは癇癪玉を投げつけたりと、今思えば非道な事をやっていたものだと思う。私も蟻の巣に沸騰したお湯を流し込んだりトンボの羽を引きちぎったりしているのだから似た様なもんだが。

 子供は残酷だ。大人になって今更そんな事を思い知る。

 そして大人になるにつれ、昔は触れていた虫は触れなくなり、蛙もトカゲもおっかなびっくりやっと触れるくらいにはビビるようになる。

 もっとも、私のように田舎に住んでいる者は虫や蛙、ナメクジ等に恐れているようでは生活も出来ないので嫌でも慣れるしかないんだけども。

 

 ふと窓を見ると、蛙が一匹へばりついている。

 雨が降った後によく見る光景。

 ガラス越しに白い腹が見える。早い呼吸。

 そして鳴きはじめる。ケロケロ、ケロケロと。

 当たり前だけど蛙も生きている。精一杯自分の存在を示している。


 私は何のために生きているのだろう。

 毎日を同じような仕事を繰り返し、同じように家に帰って、寝るだけの生活。

 仕事がある。メシが食える。それで幸せなのだろうか。

 もっと精一杯生きなければいけないのか?

 ああしかし、そんな気力があれば、そんな目標があればこのような生活には陥っていないはずなのだ。

 やるせない気持ちを抑えて電気を消す。

 闇。

 外からは蛙の鳴き声が相変わらず聞こえてくる。

 途切れる事もなく、朝になるまで。 

 

 

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