花の風物詩

 世の中は全体的にいま桜が咲いているはず。

 ソメイヨシノは大変気が早く、咲いたら一週間程度で散ってしまう。花弁は散る瞬間は美しい。しかし道路に落ちてしまえばあっというまに埃や土砂にまみれて薄汚れてしまう。

 川を見れば花弁が水面を埋め尽くすほどに浮いている。川と言っても街の中を流れる小川だからこういう光景が見れるわけ。この辺りの土手には多くのソメイヨシノが植えられているからだ。それを美しいとみるか、汚らしいと思うかは感性が分かれるところだろう。

 

 桜といえばその木の下を掘れば死体が埋まっているという文章を何かで聞いたか読んだかしたことがある。好奇心が旺盛で時間がたくさんあった若い頃なら試してみても良かったが、もう私も大人になってしまいそんな暇も好奇心も失ってしまった。

 いつもの通勤する道を眺めれば至る所に桜が植えてある。ソメイヨシノ。あれも、これも、ソメイヨシノ。馬鹿の一つ覚えかというくらい。

 そんな中にシダレザクラやヤエザクラを見つけるとちょっとうれしくなる。

 もし公園の中にそいつが一本あれば最高だろう。花が咲いている時期が長く、勤務後の夜桜を楽しむには持って来いだ。私の通勤する道の途中にある公園に、おあつらえ向きにシダレザクラが植えられて今ちょうど開花している。この桜を見ながらベンチに座って缶ビールを開けて一杯やるのが今の時期の楽しみになっている。


 私は定時で仕事を無理やり上げて、帰る道すがら缶ビールとつまみを買う。

 浮かれた気分で公園のベンチに向かうと先客が居た。先客はまだ夕方の時間帯だというのにべろべろに酔っぱらっている。

 ホームレスのおじさんかと一瞬思ったが、スーツを着ている。少なくとも家なしおじさんではない。眼鏡のフレームをずらして掛けている状態になっていて、コントか何かみたいな状況だ。髪型もたぶん七三なんだろうけど酔っぱらって乱れているせいか頭皮が寂しい状況が見え隠れしている。前髪ながいぞ。

 ベンチに寝っ転がっていびきをかいて寝ているその人はいったい何があったのだろう。しかし邪魔だ。ベンチは一台しかないからこのおじさんが占拠していると私が座れない。立ち飲みは飲み屋やバーでやるものであってここでやるもんじゃあないだろう。私は地面に転がっている枝を持った。

 おじさんを枝でつついてみる。起きない。

 おじさんの頬をぐにぐにと枝で押してみる。それでも起きない。

 おじさんの尻に枝を突っ込んでみる。流石に悲鳴を上げて起きた。


「な、なんだぁ!? 何をするんだ君はぁ~~~!?」

「何をするんだじゃないよ。まだ夕方なのになんでここでぶっ倒れてんのさ」


 おじさんはベンチに座り直し、眼鏡もなおしてこちらを見つめる。目が据わっているのでちょっと怖い。


「あぁ? おじさんがなんで酔っぱらってるかって? なんでだとおもう?」


 酔っ払いはすぐこういう事を言いたがる。まったく面倒くさい。


「リストラでもされたの?」


 私が言うと、途端に涙をぶわっと滝のように流している。ついでに鼻水とよだれも垂らして泣いている。汚い。


「リストラもされたし家族にも見捨てられたしもうおれは駄目だ。死ぬしかないんだよおおおおおおげえええええええええ」

「うわきったな」


 色々吐き出すおじさん。これで下からも何か出したらダブルマーライオンだな。

 全部吐き出して水道の水で気分をスッキリさせたところで、改めて尋ねる。


「……それで、やけになって飲めない酒を飲んだと」

「はい」

「はいじゃないよ。無理して酒飲んで急性アルコール中毒で死んだらどうするの」

「もう死んだ方がマシなんだよ。仕事と家族だけが支えだったのに両方なくなったら俺は生きがいが無い。何もすることがないんだ」


 おじさんはうなだれてしまう。その背中には悲哀に満ちていた。

 私は缶ビールの蓋を開け、ぐいっと飲む。苦みが口に広がり、炭酸の爽快感が喉を通りぬける。アルコールが体中に染み渡る。うまい。


「仕事はもう一度見つければいいし、家族だってあなたのすべてを見限ったわけじゃないでしょう? 連絡とって、何が悪かったのか聞いてやり直せばいいじゃない」

「再就職、この年になると大変だし……家族が家から出るのこれで二回目なんだよね……」


 あっちゃあ、これは思ったよりも根が深いぞ。私みたいな若者が踏み込んでいい領域ではないような感じだ。おじさんの闇具合もどんどん深まって来てるしどうすればいいんだろうなこれ。

 ふたりでなんだか居心地悪くベンチに並んで座っていると、花弁がひらひらと舞い降りて私たちの目に留まった。

 花が散っている。向かい側にはソメイヨシノが植えてあり、風に乗ってそこから流されてきたのだ。


「……忙しくて、桜なんかまったく見る暇もなかったけど……綺麗だなぁ」


 おじさんはしみじみとつぶやいた。なんだかひとりでに頷いている。元気になったのだろうか?それなら安心なのだが。


「君には迷惑を掛けたね。介抱までしてくれて申し訳ない」

「いいよ別に。私はここで桜を見たいだけだしついでだよついで」

「そうか……」


 おじさんと私は桜を見る。散る花弁。月に照らされて輝く木。毎年の風物詩だけどやっぱり桜を見るのは楽しいよね。

 ビールを飲もうと缶に口をつけたら、既に中身は空だった。


「もうなくなっちゃった。私は帰るけどおじさんはどうするの?」

「僕も帰るとするよ。明日から仕事を探さないといけないからね」


 おじさんは鞄を持って立ち上がり、背伸びをした。


「さぁーて、頑張るぞぉ~」


 がんばれおじさん。私も頑張る。

 空になった缶をコンビニのゴミ箱に投げ捨てて私はアパートに帰った。


 翌日の勤務。今日も憂鬱で面倒な仕事が始まる。

 私は笑顔を作って相談窓口の椅子に座っている。人々はパソコンに向かいながら真剣な表情で検索したり用紙をコピーしたりしている。

 私の担当する窓口に最初の相談者が来た。


「はい、三十番の方ですね。どういったご用件でしょうか」

「えーと、この職場の面接をお願いしたいのですが……」

「あ」

「あ」


 そうしてお互いに顔を見て、私たちはくすくすと笑いあったのだった。



 

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