夏祭りの夜(2)
エレ達は、提灯の明かりに照らされて立ち並ぶ屋台を、人の波にもまれながらも歩く。米を使ったセァクの伝統的な焼き菓子や、イシャナの甘い果実のジュース。飲食物だけでなく、景品がもらえるくじ引きや輪投げなど、子供も大人も楽しめる店がひしめき合っている。
その中で、エレはふっと足を止め、金魚すくいに目を引かれた。水槽の中に赤や黒の金魚が泳いでいて、柔らかい菓子の器を使ってすくう方法は、セァクの祖神祭に出る露店と同じだ。懐かしさに思わず身を屈めて見入っていると。
「お前」
インシオンが気だるげな様子で背後から声をかけてきた。
「そんなもん採っても、世話する暇も場所もねえだろうが。旅に連れて歩く気か?」
少し興味があって見ていただけなのに、そんなにばっさり切り捨てなくても良いではないか。エレはしょんぼりしながら身を起こし、そして異変に気付いた。
シャンメルとリリムの姿が見えない。人ごみに紛れてしまったらしく、その姿を見出す事もできない。インシオンもそれがわかったらしく、「あいつら」と舌打ちして赤目を細めた。
「すみません、私が気を取られたせいで」
エレがしゅんと肩をすくめると、「お前のせいじゃねえよ」と、珍しく擁護する言葉が返ってくる。
「こんな人出ではぐれるなって方が、土台無理な話だったんだ。あいつらもお子様じゃねえ。飽きたら宿に戻るだろ」
そう言って、彼はエレの手首をぱしりとつかむ。いきなりそんな事をされて、エレの心臓は驚きに跳ねたのだが。
「お前に迷子になられたら一番困る」
青年の瞳が、そんな事になったら迷惑極まりない、という言葉を裏に秘めて、じろりと見下ろしてきた。
「お前は『宿に連れてってやる』なんて声をかけられたら、知らない人間にもほいほいついて行って、とんでもない目に遭いそうだからな」
知らない人間について行った結果本当に誘拐されかけた前科が、エレにはある。ぐうの音も出ずにエレはうつむき、インシオンに手を引かれるまま、人波を縫うように歩き出した。
しばらく二人とも無言で歩いていたのだが。
「何が欲しいんだ」
インシオンがいきなり振り返って訊いてきた。はぐれないようかなり寄り添って歩いていたので、至近距離で赤い瞳に見つめられ、心臓がまたもばくんと脈打つ。エレの動揺などお構いなしに、インシオンが言葉を続けた。
「生き物は飼えねえが、腹に収めるか持ち運びに困らねえ物くらいなら買ってやる」
意味を把握するのに数秒かかってしまったが、理解すると、じんわりと喜びがこみ上げた。
「いいんですか!?」
「いいも悪いもねえだろ。馬鹿みたいな金額使わなけりゃ、何でもいい」
思わず声が裏返ってしまうと、淡々と返された。インシオンが自分の為に何かを買ってくれる。それが嬉しくて、うきうきわき立つ心を抑えきれないまま、エレは露店を見渡し、
「あれがいいです」
一つの店の前までインシオンの手を引いて行く。子供向けの安物の指輪やペンダントなどの装飾品を並べた店だ。そこに並んでいる商品を眺め、その中からブローチを一つ手に取る。光の加減によって七色に光る石を飾った、羽ばたく蝶を模した一品。まるで、虹色に輝く蝶をまとわせる『アルテア』を使うエレの象徴のようだ。
「……お前って」
インシオンが眉間に皺を寄せる。
「腕輪とかペンダントとか、装飾品が好きなのか?」
言われて、はたと自分の身を見回す。かつて遊撃隊の皆との思い出にと揃いで買った、それぞれの瞳の色の腕輪。己の血で唇を湿して濁り無き言の葉を紡ぐアルテア行使の為に特注で作った、硝子小瓶のペンダント。見渡す限り、アクセサリばかりだ。
だが、旅の邪魔にならずに持ち運べる物と言ったら、それくらいだ。手と首には既にある。ならば、胸につけるブローチあたりが妥当だろうと、エレは思ったのだった。
「まあ、お前がそれでいいってんなら、構わねえが」
インシオンがぼやきつつも、店の主人にリド硬貨を払う。
「ありがとうございます」
エレは笑顔で早速ブローチを胸につけようとした。が、自分でピンを服に留めるのは意外と難儀するものだ。人の行き交いもあるので、棒立ちになったままではいられない。四苦八苦していると。
「お前、何やってんだ」
呆れ気味の声が降って来ると共に、武骨な手が伸びて、七色の蝶をエレの豊かな胸に留まらせてくれた。
「……あ、ありがとうございます……」
顔を真っ赤にしながら、うつむき加減に礼を言う。インシオンの手が胸をかすめた。その事実がひどく恥ずかしいのだが、触れた当の本人は歯牙にもかけていないようで、頬を朱に染めたエレを見下ろし、眉根を寄せて首を傾げる。
たまに、デリカシーに欠けるというか、乙女心を理解しない言動を取る人だとは思っていたが、本当にこの人は、素でこうなのか、それとも実はわかっていつつやっているのか、理解に苦しむ。いや、後者ならそれはそれで、硬派な彼のイメージを突き崩してしまうのだが。
ぐるぐる考えながら、背を向ける彼の姿を見失わないようについて行こうとしたエレの耳に、甲高い子供の泣き声が聞こえて、引かれるように振り返った。
「ママ、ママー!」
花柄の袖無しワンピースをまとった、五歳くらいの金髪の女の子が泣きじゃくっていた。母親とはぐれてしまったらしい。周りの人間は、自分達が祭りを楽しむ事に夢中で、気を向けてやる者はいない。
「エレ?」
インシオンが怪訝そうにこちらを向き、何かを言うより早く、エレは女の子のもとへ駆け寄り、膝を抱えるように屈み込んで、同じ目線の高さで問いかけた。
「どうしたの」
「ママ、いないの。ママ」
愛らしい顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにして、少女はひっくひっくとしゃくりあげる。それしか言えないほど混乱しているようだ。
「インシオン」後ろからやってきた青年を、エレは振り仰いだ。「迷子みたいです」
「見りゃわかる」
インシオンは深々と息をつき、ぐるりと通り一遍周囲を見渡す。母親らしき人物がいないか探してくれたのだろう。だが、見当たらなかったらしい。溜息がこぼれて長い前髪が揺れた。
「とにかく、気づいちまった以上、このまま放っとく訳にもいかねえな」
祭りの夜は誰もが浮かれている。羽目を外す輩もいるだろう。幼女一人をこんな所にほっぽっておいたら、どんな目に遭うかわかったものではない。インシオンの言葉にエレもうなずき、少女に向かって小首を傾げた。
「お母さんは、お姉ちゃん達が探してあげるから、今はお姉ちゃん達と一緒に行きましょうか?」
見る者を安心させる温かい笑みは、さすがセァクの姫君というべきか。十年来の皇族生活で自然に身についた優しい振る舞いは、相手の警戒心を解くのに充分だった。まだ濡れた目をしばたたかせながらも、少女は泣き止んでこくりとうなずく。
「お姉ちゃんは、エレっていうの」
にっこりと笑って、少女のつぶらな瞳を真正面からのぞき込む。
「あなたのお名前は?」
まだ臆しているのか、少女はしばしもじもじとした後、
「……エル」
と、喧騒に消え入りそうなほど小さな声で、こそりと名乗った。
「エルと、エレ。似たお名前ね」
エレは少女の頭をそっと撫でて、手布を取り出し顔を拭ってやると、その小さく柔らかい手を握り、インシオンのもとへと連れて行った。
「ほら、このお兄ちゃんに肩車してもらいましょう。高くて楽しいし、お母さんも見つかるかもしれませんよ?」
途端に、インシオンの眉間の皺が深くなった。明らかに「俺をだしに使うな」という意思表示だが、エレが怯む事は無い。
「放っておく訳にはいかないと言ったのは、あなたですよ?」
珍しくエレにやり返されて青年はぐっと言葉に詰まったが、やがて観念したように目を閉じて息を吐くと、「ほら」と少女に背中を向けて身を屈める。エレはエルを抱き上げて、インシオンの肩に乗せる。彼が立ち上がり、背の高い男の視点を知った少女は、目を真ん丸くした後、「わあー」と歓喜の声をあげた。
「高くて周りがよく見えるでしょう?」
「うん!」
エレが微笑みかけると、さっきまでわんわん泣いていたのが嘘のように、エルは満面の笑みを浮かべてうなずき返す。三人になった一行は、夜も更けてますます賑わう露店を眺めがら歩き出した。
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