夏祭りの夜(1)
ジャハナ・タタの街は、年に一度の夏祭りで賑わっていた。
通りには露店が所狭しとひしめき合い、きらきら光る石から毛皮の敷物、何に使うのかわからない年代物の骨董品まで、様々な物を売っている。
「それはヒノモトの時代から伝わる、伝統的な人形でね。願い事をしたい時に片方に目を入れて、かなったらもう一方にも目を描くんだ」
大小ずらりと並ぶ、ダルマ、という真ん丸くて赤い、瞳の無い人形を、翠眼をきらきら輝かせて興味深そうに眺める赤銀髪の少女エレに向け、褐色の肌と尖った耳介を持つセァク人の商人は、白い歯を見せてにっかりと笑いかけた。
セァクは十年暮らした愛しい故郷なのに、知らない事も多い。城でかしずかれて育った巫女姫は、下々の者の文化を把握しきってはいなかったのだ。
「エレ、ぼさっとすんな」
少し離れた所から男性の声が飛んで来る。顔を上げて視線を転じれば、黒髪に黒装束の青年が、少々辟易した様子で赤い瞳を細めてこちらを見ていた。その脇には、エレと同年代の少年少女がいる。
「すみません」
青年――『黒の死神』の異名を持つイシャナの英雄インシオンと、彼が率いる遊撃隊の仲間、シャンメルとリリムにちょこんと頭を下げて、エレは彼らのもとへと走り出す。
「祭りだから、宿が取れるかわからねえ。さっさと行くぞ」
言われて気づく。そうだ、一地方にしか過ぎない街に、今日は各地から普段の倍以上の客が訪れるのだ。早めに部屋をおさえておかねば、宿無しになってしまうだろう。いつもは旅の空の下だ。いくら真夏といえど、街についてまで野宿はごめんこうむりたい。いや、夏だからこそ、風呂にも入れないのは勘弁して欲しい。
そんな気の急くエレを、
「おや、そこの可愛いお嬢さん!」
一際大きな威勢の良い声で呼び止める者がいた。
「あんたにお似合いの良い服があるよ!」
エレはまたも足を止めてしまう。相手は、女物の身軽なイシャナ式の服を売っている商人だった。夕刻から夜にかけて行われる山車の行進から花火大会までを、軽装で見物できるように売られているのだろう。色彩豊かなワンピースが何枚も何枚も、露台を埋め尽くしている。
エレの目は、その中の一点に吸い寄せられた。
派手な模様は一切無い、やや淡いターコイズ色のワンピースだ。袖は短く、襟は手編みのレースがついていて、胸には何枚もの布が重ねられてひらひらと踊っている。腰は大きなリボンできゅっと締まる形で、広がるスカート丈はエレが着たら膝のあたりまでになりそうだ。
「……おい」
惹かれるあまり、言葉も失くして見入っていると、横から拳で頭を軽く小突かれた。
「さっさと行くって言われたそばから、ぼーっと店をのぞき込む奴が、どこにいる」
インシオンは心底呆れた体で言い放ち、それから、エレの視線を追ってワンピースを見下ろすと、殊更重い溜息をついた。
「お前、こんな物買ったところで、着る機会なんざねえだろ。無駄な出費させんな」
やはりとは思っていたが、駄目なのか。エレがしゅんと肩をすくめて「すみません」と再度こぼすと、インシオンはじとりと露店商に一瞥をくれて歩き出す。とぼとぼとその後を追おうとするエレに、商人は、「今度はあの恐い兄ちゃんがいない時にな」とこそりと囁いた。
宿は無事、男性陣と女性陣に分かれて二部屋が取れた。流石に手頃な値段の部屋は埋まっており、一段階上等な部屋しか残っていなかったので、少々奮発せねばならなかったが、つい先日、大陸にはびこる
早速リリムと共に浴場へ行き、早い時間ゆえに誰もいない風呂で旅の汚れを落としたエレは、長い髪をタオルで拭きながら部屋に戻る。
と、ガラス製のテーブルの上に、部屋を出る時には無かったものがあって、どきりとした。
自分達のいない間に誰かが部屋に入った形跡があるなら、まず、何か荒らされていないか確かめる。その癖は、遊撃隊の生活を送っている間に自然と身についた。ベッドの傍らに置いた鞄に取りつき、がばりとその口を開けて中を改める。幸い荷に手がかけられた様子は無く、金銭も今はインシオンが一括で管理しているので、小遣い程度のリド硬貨以外金目の物は特に持ち歩いていない。何らかの被害をこうむった訳ではないようだ。
では、これは何だろうか。再度テーブルに近づき、その上に置かれた物に手をかける。安めの紙で覆われた包みを開き、そしてエレは若草の瞳をみはった。
横からのぞき込んだリリムが、少し愉快そうに口元をゆるめた事に、気づきもせずに。
夕刻を迎えてジャハナ・タタはより一層の賑わいを見せていた。
街の目抜き通りに、創造の女神ゼムレアに扮した若い娘の乗る山車を、屈強な男達が鼓笛の音に合わせて掛け声を出しながら引いて通り過ぎてゆく。その後ろから、きらきらしい衣をまとった舞い手達が躍動しながら続き、道の両脇に詰めかけた観衆がやんやの喝采を送る。イシャナとセァクの国境に近いジャハナ・タタは、昔から両国の人間が行き交ったおかげで文化が混じり合い、独特な融合の成果を見せていた。
そもそも街の名が、『ジャハナ』がイシャナの呼び方で、『タタ』がセァクのそれである。両方を合わせる事で、どちらの国にも属さず、どちらの国の人間にも門戸を開く、という市民の意図があった。それでも、ジャハナとタタのどちらを先に置くかで、五十年ほど前に、議会場で罵声と椅子の飛び交う大議論が起きたらしいが。
そんな歴史を経て編み出された祭りは、山車が街の奥の寺院に辿り着き、女神役の娘が今夏採れた作物を祭壇に捧げる事で、式典が終わる。一連を見守った後、人々は三々五々街へ散り、夜が更けて花火の上がる時間になるまで、露店を楽しむのだ。
エレ達は山車の行進を部屋から眺め、宿から出て来たのは日も暮れた後だった。
「あ、エレとリリム来た来たー」
宿の入口で待っていたインシオンとシャンメルが、エレ達に気づいて、シャンメルが陽気に手を振る。彼はそのまま、白い歯を見せてにっかりと笑った。
「お、エレ、似合うじゃーん」
エレは今、包みに入っていた、欲しがっていたワンピースを着ている。誰からなのかわからない服に腕を通すのは気が引けたが、『折角なんだから着て行きなさい』とリリムに背を押され、身にまとったのだ。鮮やかなターコイズ色が、三つ編みにしたエレの赤銀の髪と好対照になって、良く映えている。派手すぎない作りも、セァクの姫の清楚な印象を崩していない。
腕組みして壁によりかかっていたインシオンに視線をやる。彼はこちらを向いて、一瞬赤の瞳を真ん丸くしたが、すぐに表情を取り繕うとふっと顔をそむけ、
「行くぞ。祭りはとうに始まってる」
とそっけなく言い置いて歩き出す。
後をついて行こうとしたエレだったが、そこにシャンメルがそっと寄って来て、
「エレ、あのね」
と、心底楽しそうに耳打ちする。それを聞いたエレの顔には、次第次第に、驚きと喜びが入り混じった表情が浮かび上がるのだった。
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