白薔薇に込めた

「姫! プリムラ姫!」

 イシャナ王都イナト王城内、木製の扉を前にして、セァク皇王ヒョウ・カは、赤紫の瞳に困惑しきった色を浮かべて、扉の向こうにいるだろう婚約者の名を呼んだ。

 応えは無い。ドアノブに手をかけて回してみても、内側から抜かり無く鍵がかけられて、開かずの扉と化している。うつむいて、ふっと溜息を洩らすと。

「どうされました、ヒョウ・カ皇王?」

 不思議そうな声が耳に届いたので、ヒョウ・カは顔を上げ、声の主の方を振り向いた。完璧な金髪ブロンドに海の碧の瞳。姉姫が慕う青年と、色は違うが同じ顔。

「すみません、レイ王」

 申し訳なさそうに氷色の髪をかきながら、ヒョウ・カは困り果てた様子を隠しもせずに、イシャナ王に事情を話した。

 レイ王と、ヒョウ・カの姉エン・レイの結婚式――結局それは果たされなかったが――で、ヒョウ・カのとある行動に感銘を受けたレイ王の腹違いの妹、プリムラ姫。彼女とヒョウ・カの婚約話が持ち上がって二ヶ月が過ぎた。

 それまでは文を交わし、お互いの近況を報告し合う関係が続いていたが、夏が近づいてセァクからイシャナへの旅も難しいものではなくなったのを機に、ヒョウ・カは涼しい風の吹く皇都レンハストを離れ、夏本番へと向かうイシャナのプリムラのもとを訪れたのだ。

 婚約者の直接訪問に、プリムラ姫は菫色の瞳をきらきらに輝かせ、満面の笑顔でヒョウ・カを出迎えた。そうして、彼を中庭のあずまやに誘(いざな)うと、イシャナ特産の紅茶と、美味い焼き菓子で歓待してくれたのである。

 ところが、ヒョウ・カが土産として持参した贈り物を手渡した途端、彼女の態度が豹変した。驚きに瞳を真ん丸く見開いたかと思うと、あっという間に怒りを募らせ、

『ヒカのくそっ馬鹿たれ、ですわ!』

 と、ヒョウ・カにカップの中の紅茶を吹っかけてあずまやを飛び出し、自室に立てこもったのである。

「プリムラが贈り物をもらってそんな風に怒る事は、無いと思うのですが」

 レイは口元に手を当て宙に視線を彷徨わせ、合間に少しだけ軽く咳を交えて考え込み、何かに思い至ったのか、ヒョウ・カの方に再び向き直った。

「踏み込むようで申し訳無いのですが、何を贈られたのですか」

 果たして少年皇王の答えは、レイの予測の範疇であった。

「白い薔薇の花束です」

(……それだ)

 イシャナ王の口から、嘆息混じりの咳が出る。

「ヒョウ・カ皇王、もしかすると」

 レイは苦笑を浮かべて己の推測を述べる。ヒョウ・カは相手の話を聞いて、はじめこそ吃驚びっくりした様子であったが、やがて「……ああ」と決まり悪そうに頬をかいた。

「それはプリムラ姫に申し訳無い事をしました」

 そうして少年皇王は踵を返して廊下の向こうへ去ろうとする。

「どちらへ?」

 レイ王の問いかけに、ヒョウ・カは肩越しに振り返って口元をゆるめる。

「誤解は解かねばなりません。でも正面から行っても受け入れてもらえないなら、こちらもそれなりの意地を見せるまでです」

 その言葉に、鈍い人間ではないレイは理解する。血は繋がっていないが、やはり伊達に、あの『アルテアの巫女』と姉弟ではない。こうと決めたら大胆な行動に出る事も厭わないようだ。

「ご武運を」

 相手は、強情で頑固な妹だ。思わずそんな言葉が出てしまった。


「ヒカの馬鹿たれ、馬鹿たれですわ!」

 内側から扉の鍵をかけ、岩戸にこもった異国の古代神話の女神のように頑なになったプリムラは、ぼふんぼふんと枕をベッドに叩きつけて、中身の羽根を舞わせた。

 自分が実年齢より幼く見える事は、自身が一番しっかりと把握している。しかしあの扱いは無いではないか。大体、ヒカの方が自分よりひとつ年下のくせに。十年以上玉座に就いている現役の皇王と、跡継ぎに遠いところでのんべんぐらりと日々を過ごしている王妹とでは、背負っている人生経験が違うとでも言いたいのか。

「このくそったれ、ですわ!」

 一際力強く枕を振り上げ、床に叩き落とした時。

「姫君が、そんな風に汚い言葉を使うものではありませんよ」

 開け放した窓の外からそんな声が聴こえて来たので、プリムラは思わず小さな悲鳴をあげて身をすくませてしまった。

 のろのろと振り向く。氷色の髪を風になびかせ、赤紫の瞳が弱った様子で姫をまっすぐに見つめている。

「ヒカ!?」

 今の今まで彼に対して怒りをぶちまけていた事もすっかり頭の中から吹き飛んで、彼女は窓際まで駆け寄った。婚約者は上階の部屋から降りて来たようだ。幾つかの瘤を作った縄につかまっている。これを手放したら地上まで遮る物は何も無い。皇城の奥で暮らしているような人間が、何たる無茶をしでかしているのか。驚きのあまり慌てて両手を伸ばし、彼の手をつかんで、室内に引っ張り込んだ。

「まったく、どこから現れるんですの!?」

「これくらいしないと、あなたは話を聞いてくださらないでしょう?」

 二人して床にへたり込み、呆れ切った声色を浴びせかければ、不敵な笑みが返って来る。こういう無茶を平気でやらかすあたりは、やはり姉姫と同じだけの胆力を持っているのか。

「誤解を解きたいと思いまして」

 そうしてプリムラの眼前に、花束が差し出される。あずまやでヒョウ・カが贈ろうとし、それにプリムラが怒り放り出して、少しくしゃくしゃになってしまった、小ぶりの白薔薇の花束だった。

「わざわざもう一度嫌がらせをする為に来やがったんですの?」

 姫が眉根を寄せ唇を尖らせると、しかし、少年皇王は口の端をほんの少し持ち上げて、

「レイ王から聞きました」

 ゆるゆると首を横に振った。

「イシャナでは、小さな白薔薇は、『恋をするには若すぎる』という意味を持つのだと」

 でも、と花束を差し伸べて、ヒョウ・カはゆるりと微笑む。

「セァクでは違う意味を持つのですよ」

 プリムラがきょとんと目をみはると、婚約者はしっかりと言葉を重ねた。

「セァクで白薔薇は非常に貴重な品です。それだけ相手を大事に愛しているという意味なのです。それにセァクは雪国です。『白い雪に埋もれた中でも必ずあなたを見つけ出してみせる』という、想いの証なのです」

 プリムラの瞳が、さきほどあずまやで花束を差し出された時以上に真ん丸く見開かれた。

「……本当に?」

「本当です」

「言い訳の作り話ではなくって?」

「セァク人の誰に訊いても同じ答えが返ります」

 問いかけにヒョウ・カが首肯すると、姫はしばらくぱくぱくと口を開閉させていたのだが、やがて耳まで真っ赤になって、両頬に手を当てた。

「わたくしったら……」

 早合点を恥じてうつむいてしまうプリムラの前に、再度花束が差し伸べられる。

「受け取って、くださいますか」

 顔を上げれば、婚約者は微笑をたたえてこちらを真摯に見つめている。ああ、このまっすぐさに惹かれたのだ、とプリムラは再度彼に恋をする。

「わたくし達は、もっとわかり合うべきですわね」

 小首を傾げて笑み返し、そっと手を伸ばす。白い花束が、プリムラの少し小さな手に収まる。

「言葉を重ねる事も勿論ですが、イシャナとセァクの文化の違いを認め合う事も大切です。僕らが率先してそれを行う事で、民達も相互理解を深める事ができると思うのです」

 ヒョウ・カの言葉にプリムラも深くうなずく。

 そうだ。イシャナだから、セァクだからで分けるのではない。違いを知り、認め、受け入れ合う事こそ、真の和平への道なのだ。自分達はその先鋒に立とう。

「申し訳ありませんでしたわ、ヒカ」

「いいえ。僕もイシャナでの白薔薇の意味を知らずに、良かれと思ってした事が、あなたを傷つけてしまいました。ごめんなさい」

「いえ、わたくしが」

「いや、僕が」

 責任の所在を引き受け合って、押し問答にはまりそうになる。二人はふっと沈黙に陥ったかと思うと、不意に同時にぷっと吹き出し、それからどちらからともなく瞳を閉じて、そっと唇を重ねた。


「……やれやれ」

 扉越しに妹と将来の義弟のやりとりを聴いていたレイは、そっと扉から身を離し、安堵の息をついた。

 文化の違いは、これからもあの二人の間に、何度も障害となって立ち塞がるだろう。だが、異なるからとはねのけるではなく、認め、受容し合う事ができれば、国家という壁を乗り越える事は可能かもしれない。

 自分の壊れかけの身体では、それをどこまで見届けられるか、定かではないが。

 それを思う時、脳裏に浮かぶもう一組は、色違いの同じ顔を持つ双子の弟と、彼を慕う赤銀髪の少女。

「エレを大事にしろよ、イン」

 本人達に届かないとわかっている呟きを放ち、イシャナ王は軽い咳をしながら、妹姫の部屋の前から立ち去る。彼の独り言は、宙に吸い込まれてふわりと溶けた。

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