込められた想い

 エレは十八年の人生最大の危機に瀕していた。

(き、気まずい……)

 真っ赤になった顔を伏せる彼女の横には、いつもの仏頂面で腕を組み、木の幹に背を預ける黒装束の青年。そんな何気ない立ち姿も様になるのは、ひとえに彼が人目を引く整った容姿と高い身長を備えている賜物だ。

(そそそんな事考えてる場合じゃないです!)

 遊撃隊四人で街へ買物に出たはいいものの、

『オレとリリムであっち行くからさー、そっちはインシオンとエレ二人で行ってよ。一時間後に中央公園で待ち合わせねー』

 とシャンメルが有無を言わさずエレの手に買物メモを握らせ、さっさと離れて行ってしまった。エレに気を遣ってくれたのはわかるのだが、果たして彼は、一緒になったリリムが、嬉しそうにほんの少しだけ頬を朱に染めていたのには、気づいているのだろうか。

 いや、正直今はそれもどうでもいい。

 約束の時間になって、荷物を抱えて指定された公園へ来たものの、シャンメルとリリムは一向に姿を現さない。本格的に夏のものとなりつつある太陽光から逃れる為、エレとインシオンは木陰に入って荷物を足元に置き、シャンメル達が来るのをひたすら待ちぼうけする羽目になった。

 買物をしていた時は、買いこぼしの無いように夢中になって、あれやこれやと話しかけていた。しかしそれが落ち着いて二人きりの段になると、何を話して良いのかわからなくなって、ひたすら沈黙ばかりが過ぎ、現在に至る。

 何か言わねばと思えば思うほど、頭はぐるぐる混乱して真っ白になり、動悸が激しくなって脈拍が鼓膜にまで響く。

(えーととりあえず落ち着きましょう。止まれ心臓! じゃなくて心臓の音!)

 全く落ち着いていない自分の状態にますます恥ずかしくなって、頭を抱えてしまった時。

「おい」

「ひゃっ、ふぁいっ!」

 頭ひとつ分高い位置から声をかけられ、びくりと背筋を伸ばし、咄嗟に舌が回らずおかしな返事をしてしまった。おそるおそる見上げれば、赤の瞳が胡乱げに見下ろしている。

「さっきから何だ。赤くなったり青くなったり、おろおろしてたかと思えば頭抱え込んで。月一でも来たのか?」

「なっ……ちっ、違います! 断じて!」

 遠回しにはなっているが、男性が言うような事ではない。この人はたまにデリカシーが無い事を平気で口にする。エレは驚きに目を真ん丸くして両手と首をぶんぶん横に振った。

「なら、しゃんとしてろ。落ち着き無くしてたら悪目立ちする」

「はっ、はい!」

 言われてびしっと直立不動になり、

「……そこまですると余計に不審者だ」

 インシオンに呆れきった声で言われて、「す、すみません……」と肩の力を少し抜いた。

 そして、溜息をつきながら再び幹に身を預けた青年の横顔を、ふっと見つめる。相変わらず惚れ惚れするほど格好良い、と思ってしまう。恋する乙女の贔屓目も入っているのかもしれないが、それを差っ引いてもインシオンの容姿は、公園を行く若い女性達がちらちら視線を送っては連れの友人と何事かを囁き合うほどには、注目を浴びているようだ。

『付き合ってるのかな』

『まっさかー。妹でしょ?』

 くすくす笑い合う声が耳に届き、エレはかあっと赤くなってうつむいてしまう。やはりそう見えてしまうのか。インシオンにとって自分は、妹どころか娘扱いだ。恋人、と見てもらうには到底釣り合わない事は薄々感じていたが、第三者にそれを言われてしまうと、なお落ち込む。再度顔を上げれば、インシオンは周囲の声が聞こえているのかいないのか、無表情を保ったままで反応が無い。それがより一層不安感を煽るのだ。複雑な思いで見つめていると。

「……おい」

 赤の瞳が不意打ちでこちらを向いて、エレの心臓は口から飛び出すのではないかというほどに激しく脈打った。

「なに、さっきからじろじろ見てるんだよ」

 見つめていたのがばれていたのか。エレが息を呑むと。

「真横から殺気じみた視線を送られて、気づかねえ方がおかしい」

 インシオンが深々と息を吐いて、長い前髪が揺れた。自分はそんな、獲物を狩るような目で見ていたのだろうか。もうこれ以上何を話せば良いのかいよいよ混乱して「あ、あの」とおたおたしながら手を振り、

「……あ」

 ある一点に目が行った。木漏れ日をきらきらと反射した部分が蒼くすら輝く黒髪に。

「何だよ」

 眉根を寄せる彼に、問いかける。

「思い入れがあったのですか」

 理解できなかったらしく、インシオンの眉間の皺が深くなる。『アルテアの巫女』なのに言葉足らずとは情けないと思いながら、エレは言葉を重ねた。

「髪が長い時は、ずっとゆるい三つ編みにしていましたよね。何か、願掛けとか信念があったのかと思いまして」

 インシオンが面食らったように赤い瞳を点にした。数秒、無言の時間が過ぎる。しかし、彼はすぐに平静を取り戻すと、

「別に」

 と視線を正面に戻した。

「他に結び方がわかんねえし、切るのも面倒だからああしてただけだ。深い意味なんざねえよ」

「そうなんですか?」

「そうだ」

 きょとんと目をみはってしまうと、短く返される。そういえば、イシャナとセァクを巻き込む陰謀を暴く目的で双子の兄に扮する為だったとはいえ、あれだけ長かった髪をばっさりと切り落としてしまったのだ。エレが勘ぐるほどの愛着など無かったのかもしれない。

「お前こそな」

 切れ長の目が再度エレを見下ろしてきたので、思わずどきりとしてしまう。

「毎度毎度、何でそんなずれた位置で留めるんだ、髪」

 エレの髪はほどけば腰の位置より長い。この数ヶ月旅をしている間は、セァクにいた頃のように侍女に切り揃えてもらってもいないので、更に無造作に伸びている。それをインシオンにもらった紅の組紐で結っているのだが、その位置が、普通のポニーテールのように真ん中の高い場所ではなく、少し左に寄った所で結んでいるのだ。

「あ、これはですね」

 これにははっきりと理由がある。エレはくすりと笑み崩れて語った。

「昔、髪を結ぶのに失敗してこうなった時に、『それでいい』って言ってくれた人がいまして。それで、自分で結ぶ時は何となくこうしたくなるんです」

 幼い頃の思い出はほとんど消えて、おぼろげでしかない。しかしその記憶は思い出せる。

『何だお前、その頭』

 呆れた様子で笑いを洩らし、ぽんぽんとこちらの頭を軽く叩く、大きな手。

『でも、お前はそれでいいのかもしれねえな』

 ずっと、セァク前王だと思っていたその人。昔は曇り硝子一枚向こう側で顔が見えなかったが、今は、黒髪をゆるい三つ編みにした、今より歳若い、隣にいる人の姿で思い出せる。

 彼にそう言ってもらえたのが嬉しくて嬉しくて仕方無くて、この髪型にしていたのだ。言った当人はもう覚えていないかもしれないが、エレにとっては数少ない大事な思い出だ。

「エーレー、お待たせー」

 自分を呼ぶ少年の声で、エレの意識は現在に立ち返る。シャンメルが満面の笑みで大きく手を振り、その隣でリリムがいつもの冷静な面持ちをしたまま、二人並んでやって来る。

 エレも手を振り返し、足元の荷物を持って走り出した。


 だから彼女は知らない。

 仲間達のもとへ向かう少女の背中を見つめながら、口元をおさえて心の乱れをひた隠すインシオンの心情を。

(あいつ、何でそんな事を覚えてる?)

 言った本人も覚えている。不器用ながら一生懸命自力で髪を結んだ少女が、『どう?』と目をうるうるさせながら訊いてきて、『変だ』ときっぱり言う冷酷さは、当時のインシオンには無かった。即座に必死に頭を働かせた結果が、『それでいい』という言葉だったのである。

 しかし彼が動揺した理由はそれだけではない。

『思い入れがあったのですか』

 無い、と言ってしまったが、それは嘘だ。

 ずっと心の奥底にあった、ひとつの火。氷色の瞳を持ち、流れる銀糸のような髪をゆるい三つ編みにした、自分より遙かに年上の女性の姿。

『あなたのような優しい子が世界を守ってくれるなら、私も安心です』

 その言葉は、破神タドミールの血に呪われて凍りついた心のどこかで、いつも小さな灯りをともしていた。

 初恋、などと甘ったるい言葉で片付けられるような想いではない。しかしこの感情が、彼女の願いに報いるように、アイドゥールの悲劇に見舞われた人々を助けよう――それが破獣カイダとなった人間を殺す、という形でも――と、遊撃隊を作るきっかけのひとつになったのはたしかだ。

 そして今、作られた建前とはいえ戸籍上は彼女の娘にあたる少女と旅路を共にしている。これも何かの因果が働いているのだろうか。

(俺が、守ってやらねえとな)

 少し左寄りに結んだ赤銀髪を揺らす背中を、まぶしそうに目をすがめて見つめながら、足元の荷物を持ち上げ、少女の後を追って歩き出す。

 彼女は知らない。

 自分の存在が、青年の心の中で、それまであった火に取って代わりつつある事は。

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