番外編:虹色の想い

彼女がごはんを作ったら

 それは、とある日の夕刻。

 遊撃隊の隠れ家のひとつに辿り着いて、リリムの淹れた茶で皆が一息ついた時、エレがきらっきらに顔を輝かせながら、意気揚々と宣言したのである。


「今日は私がお夕飯を作ります!」


 その一言で、場の温度が見事ケリューンの山奥並に凍った。

 インシオンがカップを取り落として中身がこぼれ、ソキウスの表情が固まる。シャンメルがそれまで手をつけずにいた茶を今更口にして、リリムは驚きを隠さずに目をみはった。

「……いや、いやいやいやいや」

 しばらく誰もが二の句を継げずにいたのだが、沈黙ばかりが漂う空気をまず打ち破ったのは、シャンメルだった。何度も首を横に振りながら、ひきつった笑いを浮かべる。

「エレは作んなくていいよー?」

「……何か、すごいのができそう……」

 リリムも何を想像しているのか、青ざめながらぼそりと本音をこぼす。それはそうだ。こてこての箱入り娘な皇女様に料理の腕を期待する方がおかしいだろう。

「えーと、エレ。人には向き不向きと言うものがありましてね。無理はしなくて良いのですよ?」

 ソキウスまで不自然な笑みを顔に張りつけて遠回しに諭すと、「ええー」と不満たっぷりの声をエレがあげた。

「皆さん、ひどいです! 私だってセァクにいた頃は、きちんと厨房に入っていたんですよ」

 それは嘘ではない。王姉とて、いつかは誰かに嫁ぐ身。一般家庭に降嫁する可能性もある。その時に、料理のいろはもわからないお姫様育ちですので、という言い分で逃げおおせる事はできない。料理長に教えを乞い、たすき掛けで袖をまくり、包丁を握り火を使って、通り一遍の段取りは習ったのだ。

「『エン・レイ様のお料理は奇跡ですね!』って言われた事もあるんですから!」

「……お前、それ、どっちの意味だ?」

 満面の笑みを浮かべ得意気に拳で胸を叩くエレの顔を見ながら、インシオンが眉間に皺を寄せて溜息をつく。しかし彼の危惧はエレには届かなかったらしい。

「とにかく、任せてください!」

 もう誰が止めても聞かなそうなほど勢い込んで、エレは荷物の中から、今日町で調達して来た食材をあさり始めた。

 彼女以外の四人は暗い顔を見合わせて、

(もう、腹を壊して三日起き上がれなくても仕方無い)

 という覚悟を決め合ったのである。


 が。


 エレの主張はあながち誇張でもなかった。

 長い髪が食材に触れないように頭のてっぺんでまとめて、白いエプロンを身に着けると、台所に立つ。

 慣れた手つきで野菜の皮をむき、葉物は見事な千切りに。肉はきちんと食べやすい大きさに切り分け、魚の鱗を包丁で丁寧に削ぐ。料理下手の通説セオリーとしてありがちな、砂糖と塩を間違えるなどという愚は犯さず、火にかけた鍋に調味料を入れる順番も完璧。

 手際の良さに皆が見入る事、一時間半ほど。美味しそうなにおいが漂い見た目もそこそこの料理がテーブルの上に並び、最後に、焼き直したほかほかの白パンと、うさぎを模した切り方をした林檎までもが出て来た。

「ふえ~」思わずシャンメルが皆の気持ちを代弁する。「まともだ」

「だから言ったじゃないですか」

 エプロンを脱ぎながら、心外だ、とばかりにエレが唇を尖らせた。

 だが、見た目は良くても味が云々という事は往々にしてある。誰もがその可能性を頭に置きながら、「いただきます」を言って、料理を口に運んだ。

 しばらく無言の時間が流れた後。

「……うまい」

 最初に感想を洩らしたのはやはりシャンメルだった。

「うまいよ、エレー!」

 そう歓声をあげてがっつく。味付けはセァク式の塩味や醤油味が多いが、芋や人参は芯まで火が通っていて柔らかい。肉や魚は、生焼けでも焼きすぎでもない。

「これは……なかなか」

「うん、悪くない」

 ソキウスとリリムも、驚きつつも賞賛を贈ってくれる。「奇跡」は良い方向での奇跡だったのだ。

「ありがとうございます」

 満足気に微笑んだエレは、最後の一人が黙々と料理を口に運んでいる事に気づいて、おずおずと声をかける。

「あ、あの、インシオン。おいしいですか?」

「……ああ」

 魚を咀嚼して呑み込んだインシオンは、エレの方こそ向かなかったが、ぽつりと呟いた。

「いい嫁になるな、お前」

 途端にエレの顔は真っ赤に上気した。心臓がばくばく言う。

 褒められた。なのに胸にくすぶるこの焦げた気持ちは何だ。「いい嫁になる」とは、「お前さっさとイシャナ王に嫁いで俺達を楽にさせろ」と遠回しに嫌味を言っているのだろうか。

 こみ上げた衝動に任せてぺしんとインシオンの肩をはたく。インシオンは何故いきなり攻撃を受けたのか理解できない様子で、赤い瞳を真ん丸くしてエレを見上げた。その「全くわかってません」という態度が余計に腹立たしい。

「何だお前。何なんだよ!?」

 訳がわからずに狼狽するインシオンの頭をぺしぺし叩き続けるエレ、という構図を前にし、

「あーあ」

 もしゃもしゃと肉を頬張りながらシャンメルがぼやく。

「朴念仁だねー」

「なってないわね」

「女心がわかっていませんね」

 リリムとソキウスも深くうなずいて同意する。

 何故エレが怒ったか。傍から見ればその感情の原因はだだ漏れなのに、知らぬは当人同士ばかり。その事を、やはり本人達は気づいていないのであった。

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