第4章 終焉を見た者(5)
辺り一面見渡す限り、火の海だった。人も建物も地面も、全てが灰燼に帰する。もう元には戻らない。取り戻す事はできない。
破滅のただ中にミライは独り立ち尽くして、何故こうなってしまったのだろうと考えた。
どこで階段を昇り間違えたのだろう。
セイ・ギに血を与えてしまった事か。カナタが濁りあるアルテアで良心を失ってゆくのを看過した事か。竜の研究を容認してしまった事か。
それとも、この時代に流れ着いた事自体がそもそもの間違いだったのか。アルセイルに関与しないまま消えゆけば良かったのだろうか。
いずれにせよ、自分のして来た事が過ちであったというのは、今、目の前で繰り広げられている惨劇が証明している。
カナタは破獣として狂いそうだった実験台の少年に、自分の血で作られた言の葉の石を口に含み、笑いながら告げたのだ。
『そんなに嫌なら、
それは瞬く間の崩壊だった。虹色の蝗が黒く輝いて貧弱な少年の身体に吸い込まれたかと思うと、その身があっという間に肥大化し、細い腕は丸太より太い、鋭い爪を有する腕となり、口は耳まで裂けてひとつひとつが刃のような牙を有した。六対の翼で研究所を突き崩し、多くの研究者を瓦礫の下敷きにして、破神はアルセイルの空へと飛び立ったのである。
「――カナタ!!」
炎の海と化したアルセイル上空を悠然と舞い、火の塊を次々降らせる破神。それを見て、心から楽しそうな笑いを爆発させる弟に向けて声を張り上げると、彼はゆっくりとこちらを振り返り、そして。
「ミライ。これでいいんだよ、これで」
と、幸せそうに笑んで両腕を広げた。
「アルセイルが歴史通り破神によって滅びれば、筋道は変わらない」
そうすれば、と唇が邪悪の王のように歪められる。
「エレはアルテアを得る。破神を生み出せるアルテアを」
弟が何を考えているのか。ミライははじめ理解しかねた。しかし、やたら素早い思考はすぐに、彼の意図を答えとして弾き出す。それを証明するように、カナタは告げた。
「僕は僕のアルテアで自分を破神にする事はできなかった。でも、エレのアルテアならきっとできるよね? それで僕が破神になって、西から攻めて来る前の騎馬帝国をめちゃくちゃに壊してやればいいんだよ」
ミライの頭からざっと血の気が引いた。西方から帝国が興る前に、力を封じ込めれば良い。アルテアで時間移動をできるとわかっている以上、ミライとて考えなかった事ではない。
しかしそれだけは、踏み込んではならない域だった。これ以上自分達が過去未来を引っ掻き回して、更なる悲劇を呼んではならない。その一線を、カナタは超えようとしている。
「させない!」
吼えながら、ミライは破神殺しの剣を抜いた。自分が蒔いた種だ。弟がここまで狂うのを止めなかったのは姉である自分の責任だ。ミライ自身が決着をつけなくてはならない。
しかしカナタは、きょとんと目をみはった後、訳がわからない、とばかりに肩をすくめた。
「なに? 僕の邪魔をするの? 何で? エレも僕もミライも、皆が幸せになれる最高の方法を考えたのに」
「幸せになどならない!」ミライは赤い瞳にぎんと鋭い光を宿して叫んだ。「そんな事をしてエレが喜ぶと思うの!?」
「喜ぶよ」
カナタの返事は、自分は決して間違っていないという思い込みに満ちた、弾んだ声だった。
「エレはきっと褒めてくれる。よくやったねって。僕はエレをとても大事に思ってるんだもの。エレだって僕の事をわかってくれるよ」
鞘走りの音を立て、透明な刃が解き放たれる。
「その邪魔をするってなら、ミライ。君でも、消えてもらうよ?」
二振りの破神殺しの剣が炎に照らされて赤く輝きながら向かい合う。カナタと本気で剣を合わせた事は無い。しかし戦闘能力も基礎体力も、カナタの方が遙かに上だろう。相討ち覚悟でいないと、カナタは止められない。
じりじりと肌が焼け付く。カナタは涼しげな笑顔でたたずんでいる。対してミライの身体は細かく震え、炎に炙られている以外の理由で汗がだらだらと伝い落ちる。委縮する心身を叱咤し気合を吐いて地を蹴ろうとした時、既に弟は一息で距離を詰めていた。
にたり、と愉快そうに唇がめくり上がる。即座に眼前に掲げたミライの剣を、カナタの剣は、姉を上回る膂力で弾き飛ばす。赤く輝きながらくるくると宙を舞う自分の得物に気を取られたミライの胸に、どん、と強い力で肘が叩き込まれた。苦しくて息ができず、ミライは胸をおさえながらその場に崩れ落ちた。
「勝てないよ、ミライ。君は、僕には」
首筋に、鋼水晶の刃がひたりと触れる。
「だって、僕の方が君より強いんだから。僕はエレを助ける為にずうっと努力して来た。そんな僕に、歴史を変える事を尻込みしていた君が追いつける?」
がつんと頭を殴られた気分だった。カナタの言う事は全て図星なのだ。どんなに身体能力を強化し、剣を覚えても、『エレの為』という目的が揺るがないカナタの執念に追いつく事はできなかったのだ。
「弱い弱いミライ。君はこの時代でずっと泣いてなよ。僕があの未来を変える」
鋼水晶の剣が振り下ろされ、ミライの三つ編みが肩口でぶつりと切り落とされた。エレの形見の組紐がついたままの赤銀の髪を、カナタが拾い上げる。
「エレと、インシオンと、ミライ。皆の形見にこれはもらっておくね」
紅の組紐に愛おしそうに口づけて、弟が背を向け、炎の中、何事か口を動かす。虹色の蝗が弟を取り巻き、そしてある瞬間に紺色に光って唐突に消えた。
アルテアで移動したのだ。恐らくは、時間を。呆然と横たわるままのミライの腕を強くつかむ者がいなければ、彼女はそのまま破神の炎に焼かれ、命を落としていたであろう。
「ミライ、大丈夫か!?」
破神殺しの剣を手にし、ミライの血で作られた言の葉の石を首から提げて、肩で息をしながらこちらの顔をのぞき込むのは、浅黒い肌に尖った耳介の人間。
「セイ・ギ……」
ミライの血を与えられて、以前より強靭な身体とそしてアルテアを得た青年は、強い光を失わない瞳でミライをまっすぐに見すえた。
「君が責任を感じる必要は無い」
ミライの赤い瞳に名状しがたい複雑な色を読み取った青年は、それだけで全てを察したようだ。やはり伊達に研究者をしていない。
「ここは僕がけりをつける。君は逃げるんだ。誰かに見つかる前に」
破神を生み出したのが弟であると知られれば、累はミライにも及ぶだろう。これだけの破壊をもたらしたのだ。どれほどの報いを受けるかわからない。もっとも、この惨劇の後に生存者がいれば、の話だが。
「行って、ミライ」
戸惑うミライの肩を、セイ・ギが少し強い力で押した。
「この時代の悲劇の始末は、この時代の人間がつける。君には未来を生きて欲しい」
言の葉の石を握り締め、昔と変わらない親愛の情を込めた目でミライを見つめ、束の間躊躇い、でも、とセイ・ギは言を継いだ。
「全てが終わった後、もう一度君に会えたら、その時に言いたい事があるんだ。その為に、僕も君も生きよう」
彼は答えを待たなかった。にこ、と少しだけ笑んだ後、踵を返し、炎の向こうへと駆け去る。後には孤独と虚無感が残された。
暗い空を埋め尽くす破神が吼え、再び炎の雨が降った。このまま死の遣いに身を委ねて生命を終わらせられたら、どんなに楽だろうか。ぼんやりと空を見上げ、隕石のように落ちて来る火の塊を映していたミライの瞳は、次の瞬間、はっと正気の光を取り戻した。
血の塊の石に唇をつけ、身に染みついた言葉を紡ぐ。
『決して死に捕まる事の無いように』
無意識にかざした手から虹色の
死ぬ訳にはいかない。
自分はこの落とし前をつけなくてはならない。
「……カナタ」
ぎゅっと噛みしめて血を流す唇から、呪いの言葉のように憎々しげに、その名が放たれる。
「許さない。私は必ず、お前を止める!!」
炎が風を巻き起こし、風は新たな炎を呼ぶ。赤銀のざんばら髪が乱れて吹き上げられる。決意と共に鋼水晶の剣をつかみ取ると、ミライはもう一度アルテアを紡いだ。
『
再び虹色の金糸雀が飛び立ち、紺色に輝いて弾け飛ぶ。いつか体験した浮遊感と共に、ミライの意識は白い世界に融けた。
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