第4章 英雄の本音(3)

 その後のレイ王の手回しは実に鮮やかだった。兵は出せないと言いながら、イシャナの軍船を一隻、南海への遠征の為に用意してくれたのだ。

 再び南端の港街ディルアトへ向かうべく、インシオンはシャンメルとリリムを連れて城内を歩く。しかし、その行く先を遮るように、イシャナの兵を連れたセァク人が立ち塞がった。

 エレがヨランと呼んでいたなれなれしい貴族か。インシオンは不快感もあらわに相手を睨みつける。戦場など知らぬ商家あがりのお坊ちゃんの出鼻をくじくには、その威嚇だけで充分だったようだ。

「そっ、そんな顔をしてもお前の罪は軽くならないぞ」

 意外にも、ヨランはすぐに精神を立て直すと、びしりと大仰にインシオンを指差して、やたら偉そうに宣誓した。

「インシオン。エン・レイ姫誘拐を阻止できず、救出にも失敗した罪で、貴様を拘束する!」

 それで今のこのこと姿を現したのか。呆れきる事しかできなくて、インシオンは溜息を洩らし、首を振る。

「これからその責任を取りに行くんだが」

「そうそう、王様直々のご命令、ってねー」

「密命じゃなかったっけ」

 インシオンの援護をするように、シャンメルが頭の後ろで手を組んでけらけら笑い、リリムが眉根を寄せて小首を傾げる。大義名分を失ったヨランはよたつきながらも、どうにかしてインシオンを排する方策を脳内で巡らせているようだ。

「イ、イシャナで罰する事ができなくても、セァクにとってエン・レイ姫の喪失は大問題だ。ヒョウ・カ皇王もきっとお心を痛めていらっしゃる」

 まるで自分事のように胸を手でおさえて、ああ、と息をこぼすヨランを、とんだ茶番だな、と思いながらインシオンは冷めた目で眺めていた。いっそ城仕えなどやめて、芸人にでもなった方が稼げるのではないだろうか。

「だからだ!」

 まさに演者のように大げさな身振りでヨランは続ける。

「エン・レイ姫を無理矢理自分の隊に引き込み、あまつさえ守り切らなかった大罪人! イシャナの法で裁けないのなら、セァクの法で罰を下す!」

 そんな事をしている暇があったら、一刻も早くエレを救出に行く方法を編み出せば良かったのに、この男は十数日間、いついかにしてインシオンを陥れるかばかり必死に考えていたのか。国宝級の馬鹿だ。

「さあ、観念してお縄につけ!」

 勝ち誇った笑いを浮かべるヨランが手を掲げて合図すると、兵がじりじりと迫って来る。剣の柄に手を伸ばしかけて、しかし思いとどまる。城内で抜剣する訳にはいかない。してしまえば、どんなに理由を繕っても言い逃れできない。折角根回しをしてくれたレイの面目も潰してしまう。

 こんな奴と関わり合って、時間を浪費している暇など無いのに。小さく舌打ちした時。

「観念するのはあなたの方ですよ、ヨラン」

 やけに落ち着き払った第三者の声が、緊迫した空気の糸を切った。深々とフードをかぶった青年が、兵の警護――というよりは監視か――を受けながら、靴音高く歩いて来る。

「そ、その声は」ヨランが目を真ん丸くする。「まさか」

 インシオンとシャンメル、リリムも、彼の声に聞き覚えがあって、瞠目した。

「エン・レイ姫誘拐の責は、あなたが負うべきではありませんか?」

 すっと手が上がり、迷い無くヨランを指差す。

「アルセイル人から報酬を受ける代わりに、エレの情報を流しましたね」

 途端、ヨランの顔色がさっと青ざめた。それが答えだ。商人かつ一国の家臣ならば、涼しい顔を保って交渉を続けられるだけの神経が無ければならないのに、優秀なのは彼の祖父だけだったらしい。

「な、な、ななな」ヨランが狼狽しながら後ずさる。「何を根拠にそんな言いがかりを」

「アーキがセァクに行った際、あなたの屋敷を調べましたところ、アルセイルと交わした密文書を押収いたしました。エレを売って、相当よろしい財をいただいたようですね」

 フードの下の口がにっと笑い、その場の全員の非難がましい視線がヨランに集中する。だから城を出た後すぐにエレが狙われたのか。インシオンの絶対零度の瞳が鋭く刺すと、「馬鹿な!」とヨランが紅潮して怒鳴った。「でたらめだ! あの文書は焼き捨てた!」

「そうです、でたらめですよ」

 からかうような声が、さらりと言ってのける。

「ですが、お馬鹿さんは釣れましたね。ここにいる全員が証人です」

 はめられた、とわかった途端、ヨランが目に見えてぶるぶると震え出した。訳のわからない言葉をわめきながら、腰の短剣を抜き放ち、青年目がけて切りかかろうとする。しかしそこにインシオンが素早く割って入り、手刀で短剣を叩き落とすと、ヨランの腕を背にねじり上げる。二週間近く寝込んでいても、それくらいの芸当を行える力は余裕で残っていた。

「さあ、連行してください」

 青年がイシャナ兵を促し、くすくす意地悪く笑う。

「ちょっとつつけば口を割りそうですからね。叩いたらどれだけ埃が出るのか、楽しみです」

「そ、そんな……そんな!」

 インシオンを捕らえる為に連れて来た兵に逆に両脇からがっちりとおさえこまれ、絶望の悲鳴をあげながら、ヨランはずるずると廊下を引きずられ、文字通り退場していった。

 自分達だけになったところで、インシオンはひとつ息を吐き、青年のもとへ歩み寄る。

「助かった」

「あの若造はセァクにいた頃から、態度ばかり大きくて気に食わなかったですからね。一杯食わせる事ができて、私も胸がすく思いですよ」

 素直に礼を述べると、フードの下の口元がゆるい笑みを象った。

「半年ぶりか」

 その言葉に相手はうなずき、少しだけフードをずらす。灰色の瞳と、真っ白な前髪がのぞく。トレードマークとも言えた眼鏡はかけていない。

「ご無沙汰しております、インシオン、シャンメル、リリム」

 成程、レイの言っていた『一番必要な人物』はこいつか。インシオンは得心がいった。

 ソキウス。

 かつて遊撃隊に所属し、隊の頭脳を務めながら、その裏では世界への復讐を狙って、イシャナとセァクの両国で暗躍した、『神の耳』と『神の手』のふたつを有する『神の力』の能力者。破神の血を集めて新たな破神になったが、竜化したインシオンとアルテアを行使したエレの前に敗れ、罪人としてイシャナに拘束されていた人物だ。

 破神の血を持つ人間の研究対象として使われる末路を辿りそうだったところを、エレがレイ王に直訴して止めさせたと聞いている。その後、破神の正体が公には秘された為、表だって罰する事もできず、処遇を持て余していたらしい事も。

 過去の怨恨で憎まれている事は知っている。それでもレイがこの男を助っ人として遣わした意味を、インシオンは正しく理解した。

 だが、果たしてこの男が素直に協力してくれるだろうか。

「お前は」

 試すように訊ねた。

「ソキウスか、ソティラスか」

 暗躍していた時の名前を敢えて挙げた問いかけに、彼はふっと口元を緩め、

「今は仲間ソキウスです」

 と左腕を掲げてみせる。そこには硝子製の銀色の腕輪がはまっていて、きらりと輝いた。エレが遊撃隊の皆との思い出を作りたいと言って、五人分買った色違いの腕輪。それをいまだ身に着けている事が、彼なりの誠意という事か。

「お前の力が必要だ」

 ソキウスの『神の耳』は、破獣や破神の血を受けた人間の声を追跡する事が可能である。対象を絞れば絞るほど力の及ぶ範囲は広がる。その気になれば大陸全土を網羅できる彼の『聴力』ならば、外洋に出ても、エレの存在を拾う事が可能かもしれない。

「協力してくれるか」

 再び問いかけると、ソキウスは笑みを消して、じっとこちらを見つめて来た。

「お望みとあらば、『神の手』を使って、アルセイルに対抗する破獣軍団を造り出す事も可能ですよ」

 こちらも試されているのだな、と感じた。

「いらん」

 目を閉じ嘆息して、呟くように告げる。

「俺達の持てる力だけで、あいつを助ける。それに、お前がこれ以上記憶を削って『神の手』を使うのを、あいつは望まねえ」

 そう。エレがこの場にいたならばきっと、若草の瞳で真摯にソキウスを見つめて言うだろう。

「仲間だから、と」

 ソキウスは軽い驚きに目をみはり、それからふっと笑み崩れる。

「あなたは変わりましたね。少なくとも、私の記憶に残っている限りでは、『黒の死神』は敵を屠るまで犠牲を厭わずに突き進む、容赦の無い人でしたが」

「お前に言われたくねえよ」

 あんまりな言いようだが、お互いにやって来た事を思えば、こうして再び顔を合わせて流血沙汰を起こさずに言葉を交わせるだけでも奇跡だ。

「あっははー。ソキウスは知らないだろうけどさ、インシオンってばこの半年で、信じられないくらい丸くなったんだよ」

 シャンメルがけろりと笑いながらインシオンを指差す。

「皆、エレのおかげで変わったよねー」

「皆、エレが好きなのよ」

「ああ、それには賛同します」

 リリムやソキウスまで乗って来るので、インシオンが苦虫を噛み潰したような表情で睨むと、彼らは一様に口元をにんまり持ち上げてみせる。

「わー。恐い顔」

「誰も異性として、とは言っていませんよ。あくまでいち個人として尊重するという意味です」

「インシオンって、結構独占欲強い」

「お前ら……」

 完全にのせられた。歯噛みして髪をかき回す。元々生意気な連中ではあったが、ますます拍車がかかった気がする。

 しかし、インシオンが独断先行するのに部下達が後からついて来るばかりだった頃から、こうして軽口を叩き合う関係へと変化したのも、エレが加わってからだ。彼女の存在が、遊撃隊の空気までも変えたのだ。そしてその空気が、決して不快なものではない。

 この居心地の良さを失くさない為にも、必ずエレをこの手に取り戻してみせる。

「行くぞ、お前ら」

 決意を新たにして、部下――いや、同志達に声をかけ、歩き出す。振り返らずとも、全員が深くうなずいてついて来てくれる気配が、わかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る