第4章 英雄の本音(2)

「無理だよ」

 対面したレイから返って来たのは、辛辣な現実だった。

「イシャナから兵を出す事はできない」

 英雄の特権を最大限に発揮して接見を取り付け、中庭のあずまやで、屈辱的だと思いながらも頭を下げたインシオンに、王は淡々と返した。

「アルセイルとの戦が待ってるとしてもか」

「まだ何も始まっていないのに、こちらから仕掛ける訳にはいかない」

 毒が残っていて万全ではない身体と、持病に冒された身体。お互いに青白い顔をさらした双子は、赤と碧の視線を戦わせる。

「ヒョウ・カ皇王も、今のエレを皇族ではなく遊撃隊の一員と見なすようにおっしゃっている。そこで何があろうと自己責任だと。一兵の為に軍の戦力は割けない。それこそ戦になる」

 そう言われては返す言葉が無い。レイもヒョウ・カも一国の君主だ。身内の情があっても、それで国の危機を招くような判断を下してはならない。二人はそれだけの冷静さを持っている。王族から外された自分が持ちえない王の器だ。

 それでも、いやだからこそ、王族ではないインシオンは、はいそうですかと納得して引き下がれない。

「そうして事態を看過して、いざ戦争になったら、イシャナもセァクも関係無く人が死ぬぞ。アルセイルを甘く見たと責任を押し付けられるのは、お前達だ!」

 拳でテーブルを叩き、身を乗り出して語気荒く言い募った時、ぎんと刺すような視線を返されて、インシオンは一瞬怯む。双子なのだから同じ眼光を持っていても不思議ではない。だが、普段悠然としているレイがこんな表情をするとは思っていなかった。無言の圧力に気圧されてしまう。

「……たらればの話はもういいよ」

 レイはひとつ嘆息して目を伏せ、それから再びインシオンを睨んだ。

「お前は僕にも本心を隠すんだね。だからいつまで経ってもインのままなんだよ」

 何の話が始まったのか、最初は理解しかねた。しかし、続けられた言葉に、兄の意図を悟る。

「僕はお前の本音を聞きたい」

 ゆるりと微笑んでテーブルの上で手を組み、レイは訊ねた。

「お前にとって、エレは何だい?」

 部下。娘。妹。仲間。同志。まずそれらの答えが脳裏に浮かんで、いや違う、と頭を振る。

 最初は本当に、娘みたいなものだった。時を経て再会した時は、世間知らずの皇女になっていて、こいつのお守りをするなんてわずらわしいと思っていたのも事実だ。だが彼女は、こちらの想像を超える速度で身体的にも精神的にも成長し、必死に自分に追いつこうと食らいついて来た。傍からは背伸びに見えても、こちらと同じ位置に立とうと努力を惜しまない少女だった。その姿を、そっけなくあしらいながらも嬉しく思っていたのは、誰だったか。

「……あいつは」

 まぶたを閉じれば、彼女の様々な表情が浮かぶ。笑い顔。ふてくされて膨らませた頬。泣きじゃくる姿。その全てが、輝いて見えるようになったのは、いつからか。

エンで、レイだ」

 破神の血に冒され、死神として生きるだけだった色の無い世界に、炎の赤を灯してくれた。

 いつ死んでも構わないと投げやりになり、他人を恨んでばかりだった心に、冷静さの青をもたらしてくれた。

「あいつが俺の世界だ」

 膝の上で拳を握り締め、不遜な英雄には似つかわしくないほど細い声で、想いを絞り出す。だが、それを口に出した事で、ひどく安心する自分がいた。セアの件もあって、未来の無い自分が誰かの好意に応えるなど、相手を不幸にするだけだと恐れていた。それ故、エレが自分に向ける感情に気づかないふりまでしていた。しかし認めてしまえば、こんなにも楽になるものだったのか。

「やっと言ってくれたね」レイが手を叩いて得意気に笑った。「最初からそう言えば良いのに、本当に意地っ張りだな、お前は」

 何だか上手く誘導された気もしなくはない。じとりと睨むと、レイは肩をすくめ、それから真顔になって口を開いた。

「イシャナ軍として戦力は出せない。だが、今のお前に一番必要な人物をつける事は、王の権限でできる」

 一体誰だ。アーキだろうか。インシオンが眉をひそめると、「まあ、会ってからのお楽しみだよ」とレイは口元をゆるめ、付け足した。

「エレを助け出したら、きちんと本人に伝えるんだね、今僕に言った事を」

「言えるか!」

 我ながらとんでもない発言をしたものだと、耳まで赤くしながら言い返したが、インシオンの脳裏では、同じ言葉を面と向かって告げた時、少女が頬を朱に染めて目に涙をため、おずおずと微笑む様までもが容易に想像できていた。

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