第2章 暗転(5)

 部屋の中を、かつかつと歩き回る靴音ばかりが大きく響く。落ち着きの無さは鬱陶しいの域に達しているのだが、あまりにもぴりぴりした空気と、靴音の主の苛立ちを思えば、シャンメルもリリムも椅子に座って沈黙を保つしか無かった。

 エレが何者かに連れ去られて一夜が明けた。既にレイ王にも話は伝わっているだろう。今はアーキが情報を得て来るのを宿で待っている状態だ。

 シャンメルの証言から得られた手がかりは、ふたつ。敵は褐色の肌を持っていた事と、明らかに最初からエレを狙っていた事だ。

 褐色の肌といえば、このフェルム大陸ではセァクの民がまず考えられる。しかし、意識が朦朧としたシャンメルの記憶の限りでは、地黒というよりは、日に焼けた小麦色の肌だったという。そして耳は尖っていなかった。以上の二点から、相手はセァクとは関係無い人間ではないかと思われる。

 大陸南方には、そのように色黒の民が暮らす地域もあるという。犯人と決めつけるには時期尚早ではあるが、可能性が少しでもある内は、容疑者に入れておくべきだ。

 そしてエレを狙ったのは、あらかじめ計画された上での犯行だろう。言葉であらゆる現象を起こす『アルテアの魔女』がインシオン遊撃隊の一員として行動しているという話は、最早大陸全土に聞こえているはずだ。その目立つ赤銀の髪色と共に。

(だから、無闇に人前でアルテアを使って欲しくなかったんだよ)

 インシオンはかちかちと爪を噛んだ。子供の頃苛々すると無意識に出てしまって、育ての親に何度もたしなめられた癖だ。

 情報を待って無為に過ぎてゆく時間がもどかしい。この間にも、エレはどんどん遠くへ連れて行かれてしまうかもしれないのに。爪を噛む代わりに、たまたま見下ろす位置にあった椅子を思いっきり蹴飛ばした時。

「手癖足癖がお悪いんです事」

 こちらの怒りなどどこ吹く風といった調子で、部屋の扉が開いた。先日とは違い、動きやすさを身上とした衣装に身を固め、長い髪をしっかりと結ったアーキが姿を見せる。

「見つかったのか」

 今は彼女の揶揄にいちいち目くじらを立てている場合ではない。インシオンがつかみかかりそうな勢いで問いつめると、アーキは、落ち着け、とばかりに片手を掲げて、「確定情報ではありませんが」と続けた。

「昨夜、南方人らしき商人の一団が馬車を駆って門を抜けて行きました」

「どこへ向かった」

「南街道へ去りましたので、恐らくは、ディルアトへ」

 ディルアトは大陸南方の港街だ。フェルム以外の大陸とも積極的に交易を行って発展した街で、外洋を往く船も多数出入りする。

 大陸外へ逃げられでもしたら、流石にリリムの『神の目』でもエレを追跡する事はかなわないだろう。事態は一刻を争う。

「最速の馬を用意します。何とか追いつくでしょう」

 アーキは淡々と告げたのだが、「いーよ」と横からかけられた声に、怪訝そうにそちらへ顔を向けた。

「もっと速い『足』があるから」

 シャンメルが不敵な笑みを浮かべながら腰を上げ、自分の腿を平手で叩く。たちまちアーキが眉間に皺を寄せた。

「ですが……」

 シャンメルの『神の足』は、あらゆる障害を無視して常人の数倍で駆ける事ができる代償に、駆けた距離と運んだ人数に応じて数日から数年寿命が縮む。まさに諸刃の剣である。しかし少年は、あっけらかんとした調子で告げるのだ。

「エレがいなくてうちの隊長がずーっとイライラしてる居心地の悪さで寿命すり減らすよりは、遙かに有意義だもん」

 その言葉に、険を帯びていたインシオンの瞳から鋭さが消え、いくばくかの冷静さを取り戻す。

「……すまん」

「うわ、インシオンが謝るとか、矢の雨でも降らなきゃいいけど」

 うつむきがちに詫びると、シャンメルが大仰に自身を抱き締め震えてみせた。折角誠意を見せたというのに。部下の反応にインシオンがじとりと半眼で見すえると。

「そうそう、それそれ」

「そうしてた方がインシオンらしい」

 シャンメルもリリムも、ようやっと薄く微笑む。自分一人が苛立って、二人を心配させていた事に気づかずにいた。こんな性分だから、エレにも今までさんざん迷惑をかけていただろう。

 助け出したら、ひたすら頭を撫でてやろう。あの泣き虫の事だ、心細い思いをしているだろうから、めちゃくちゃに泣いても許してやろう。

「行くぞ」

 インシオンは部下達に告げる。シャンメルが拳を突き上げ、リリムが真顔でしっかりとうなずいた。

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