第5章 不信と信頼と(1)

 ユニアスの街についたインシオン遊撃隊は、街門前で隊商と別れた。エレを捕らえようとした真犯人はわからないままで、隊商の長は何度も何度も頭を下げて、報酬を割増ししようとしたのだが、インシオンが「契約通りでいい」と、それ以上の額を受け取らなかった。

 それでもしばらくは旅に困らないだけの金が手に入ったので、早速一行は宿を取り、作りたての食事にありつく事ができたのだった。

 久々の豪勢な食事に健啖ぶりを発揮するシャンメル。黙々と白パンをかじるリリム。その二人を交互に見やりながらエレは思考を巡らせた。

 イシャナ王都に着く前にエレの身に何かあれば、大物を失わせたとしてインシオン遊撃隊の名は地に落ちる。責任は、隊長のインシオンに降りかかってくるだろう。ソキウスの提言は、それを目論む内部の人間が、エレを狙う何者かにこちらの動向を流している、という示唆だった。

 インシオン本人にそうする理由は無い。自らの評価を落としたがる人間などいないだろうし、万一そうだとしても、彼の実力ならば、最初に破獣(カイダ)がエレを襲った時点で、見殺しにするかその場で斬り捨てているはずだ。

 そうなると、リリムとシャンメルしか容疑者は残らない。

 少し良心が欠落しているものの屈託無く笑うシャンメル。愛想は良くないが悪人とは思えないリリム。そのどちらかが、インシオンを陥れようとしているのか。一体何故だ。

「なに、エレ? さっきからじろじろ見てさー」

 シャンメルに明るい声をかけられて、エレは自分がスプーンを握り締めたまま思考の輪の内に入り込んでいる事に気づいた。リリムもじとりとこちらを睨んでいる。エレは慌てて首を横に振って取り繕い、目の前の食事に集中する。

 数種類の豆を牛のテール肉と共によく煮込んだポタージュは、口の中でほろほろととろけてゆく。この肉のように、疑念もあっさりと崩れ去ってくれれば良いのに。苦い思いを味わって眉間に皺を寄せていると。

「エレ」

 唐突にインシオンに名を呼ばれて、反射的に背筋を伸ばす。

「食事が終わったら相手してやる。そのつもりでいろ」

 ソキウスが口に含んだ水をぶっと噴き出し、シャンメルが口笛を吹いて、リリムがさっと顔を赤らめた。当のエレだけが、皆の反応の意味がわからずに首を傾げている。

「お前ら、何か変な深読みしてねえか」

 インシオンが半眼になって部下達を見渡し、再度エレに視線を戻す。

「お前に剣を教えてやるって約束しただろう。手ほどきしてやるって言ってんだよ」

 そう言い切って彼は豆茶をぐっとあおった。

「そういう事でしたか」

「あー、びっくりした」

 ソキウスが手布で口を拭いながら苦笑いして、シャンメルが安堵の息をつき、リリムの頬から赤みが消えて動揺が治まる。エレだけはやっぱり訳がわからずにいたのだが、ふとインシオンを見やって、微妙な変化に勘付いた。

 彼は平然を装っていたが、耳だけがわずかに赤くなっていたのだ。

 この人でも恥ずかしいと思う事があるのか。そう思うと急に親近感が湧いた。そして同時に誓いを新たにする。

 この人を陥れようとする者がいるのなら、絶対にその人物を探し当て、アルテアを使ってでも止めてみせよう。たとえそれが、今、どんなに優しい仮面をかぶって身近にいる人物だとしても、躊躇はしない。


 すっかり春めいてきた青空の下、宿の裏庭に木剣の打ち合う音が響く。

「筋はいい」

 エレの剣を片手でいなしながらインシオンがにやりと笑う。

「お前、ド素人じゃねえな」

 彼の指摘は間違っていない。セァクで護身術として基本の型は習った。だが本当に基礎中の基礎だけで、稽古中に雑談に興じる余裕は無い。だからエレは返事の代わりに本気の剣を打ち込んだ。

「だが」

 かん、と高い音を立てて木剣がくるくる宙を舞ってゆく。徒手になったエレの喉元に、インシオンの木剣が突きつけられていた。

「所詮ド素人じゃないってだけだな。素人に毛が生えた程度だ」

 すっと武器が引かれる。エレはしばらくの間、得物でとんとんと肩を叩くインシオンをぽかんと見ている事しかできなかったのだが、自失状態から覚めるとぎんと彼を睨み、木剣を取りに走り、正眼に構えて再びインシオンと対峙した。

「もう一度お願いします」

 インシオンが気乗りしなさそうに目を細めるので、エレは不敵な笑みを浮かべる。

「約束してくださったでしょう?」

「……肝心な事は忘れてるのに、余計な事ばかり覚えていやがって」

 インシオンは舌打ちしながらがりがり頭をかくと、今度は剣を両手で握った。

「そこまで言うならこっちも本気でやってやる。だがな」

 肉食獣のような獰猛な笑みが、真正面からこちらを捉える。

「俺のしごきは半端じゃねえ。後悔したって知らねえからな」

 そのあまりにあくどい表情に、食われる直前の獲物の気持ちはこんなものだろうかという恐怖を覚えて、エレの背中は汗でじっとりと湿るのだった。

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