第93話 奴隷制が気に食わない
ヴィルジニア・リッピがリヴェリから一度、撤退し、再攻撃の目標とした近隣の村々に、焼き働きを行っていたころ。
トウタ達は、次の交渉先がある「メリノ地方」へ向かっている途中で、奴隷の死体を燃やしている現場を目撃し、鬱々とした気持ちで歩を進めていた。
皐月とイリスは、顔を伏せて、少し暗い顔にはなってはいたが、皆一様に先を急ごうとしている。
(みんな何も思わないのか)
心を殺しているのだと分かってはいたが、街全体が一つの意思のように、奴隷制を当たり前だと思い込んでいる状態に、トウタは眉を顰めた。
転生前の仕事を思い出す――――いつも午前様で、起きるのは6時のあたり。仕事のノルマが達成できないと、精神的につるし上げられるような―――――そんな職場だった。
現代でも、奴隷制は影で続いていたんだな――――と、トウタは改めて思い至った。
「クソッタレ」
思わず、毒づいて、怒りで我を忘れそうになったところで、ヴェロニカの発したショックの魔術が冬場の静電気のようにバチリと軽く流される。
「!」
そこで、やっと我に返る事ができた。
「魔力生成は体に負担です。魔痛症も治ったわけではないのですよ? 怒りに任せて、制御を忘れていませんか?減点です」
ヴェロニカは後を歩きながら、注意をしてくれる。
ポコポコと、蹄を鳴らして、先頭を行くケンタウロス族のシュティーナ。その後ろに並んで、皐月とイリス、そしてトウタが続き、一番後ろはヴェロニカ。
(いけない、いけない)
息を沈めて、心も一緒に、腹の底へのみこんだ。
「冷静でいてよ。ここはすでに敵の勢力内なんだから」
シュティーナは尾っぽを縦にぶんぶんと振っている。少し腹を立てているに違いない。――――この癖は彼女が意識していないだろうが、イラつくたびに出ていることをトウタは経験則から推し量った。
加えて、ここはすでに帝国の勢力下にあることを再認識する。
国境警備の切れ目を縫って、この街を素通りしようというのだ。もっと意識を周りに割いていなければならない。
国境警備の黒騎士達に街中で偶然に、鉢合わせることだって、十分に考えられる。
布で顔を隠し、4人は目だけをのぞかせた状態でいるが、疑いを掛けられて、足止めを食ったりするのは避けたかった。
「ごめん」
「奴隷なんかココじゃ珍しくないわ。もし、ケンタウロスが居たら助けてくれればいい」
シュティーナとしては、同族を助けられればそれでいいと思っているし、ほかの種族は今は助ける余裕などない。
それに、王国の資金も好きに使えるわけではない。一応自分の裁量では、個人の額面的には多いが、それでも、奴隷を何人も買ってやるわけにはいかない。
買ったのちに、王国へ移送する手間もあることも考えれば、シュティーナのいうケンタウロス族のみを、買うしか手がないことも分かっていた。
「トウタ殿の領分ではござらん。気に病むのはやめるで御座るよ」
皐月は励ますように言い、その隣のイリスは何も言わなかった。
だが――――気持ちを切り替えようとするときに限って、事件と言うのは起こるのだ。
「――――」
檻の向こうで何かを叫んでいる奴隷が居て、イリスは、一瞬ぎゅっと目をつぶった。
「――――!」
叫び声が大きくなる。このまま声が大きくなれば奴隷商人が黙らせるはず。イリスはそれを待った。
「――――」
「――――!!」
しかし声は大きくなるばかり。その声を聴きながら――――イリスが、聞こえないとでも言うように――――ぎゅっと目をつぶっていた。さっき目を合わせてしまったのが原因かもしれない。そうも思う。
精霊の声が、始終聞こえる状態で、言語形態が異なる種族の、言葉がなんとなくだが分かったりする。反応して目が合ってしまったとしても、仕方ないかもしれない。
イリスには、左横にある檻から、大声で『助けて!』『ここから出して!』と
聞こえてはいた。
しかし――――ここは敵の勢力圏内だ。
奴隷を、買っている暇などないことは、イリスにもわかっていた。とにかく早く抜けて「メリノ地方」へ行かなければならない。
しかし、
『ねぇ!――――助けて!』
今度は、はっきりと奴隷と視線がかち合ってしまった。
あの檻の中にいる奴隷は、自分たちに向かって叫んでいることも、分かってしまった。
「トウタちゃん」
イリスがトウタの手をつかむ。
「どうしたの?」
「あの奴隷の子、あたしたちに向かって叫んでる」
イリスはそっと申し訳なさそうに、呟いた。
(厄介ごとを引き込んだ――――そう思ってても、言わずにはいられなかったんだろうな)
トウタは、イリスを、そっと抱きしめて落ち着かせるように言った。
「落ち空いて。深呼吸だ。今回のことは単なる偶然だよ。イリスちゃんのせいじゃない」
「聞こえてしまったのですね。仕方ない。ここはイリスのために一度黙らせるしかでしょう」
「――――!」
奴隷はまだ叫び続けている。奴隷商人は店の奥にひっこんだままで姿を見せていない。いまなら話くらいはできそうだった。
2
『やっと来てくれた!』
イリスを見て、その奴隷は羽を檻の中でバタつかせた。
「ハーピー族で御座るな」
皐月が補足するようにつぶやいた。
「イリス。これから私たちの通訳を」
「うん」
ヴェロニカがイリスの横に立ちハーピーに話し始めた。イリスはその言葉をハーピーにもわかる様に精霊を介して通訳をし始めた。
『まずは、お黙りなさい。あまり五月蠅くしては店の者が奥から出てきます』
言葉が通じたのだろう。ハーピーは静かに口をつぐんだ。
『よろしい。貴方は故郷に帰りたいですか?』
ハーピーはうなづいた。なんども、なんども。
『わかりました。貴方が私たちに協力するというのならば――――故郷に返してあげましょう。いっている意味は分かりますか?』
こくんとハーピーは首肯した。
「どういうこと?」
トウタはヴェロニカに問いかけた。
「これからハーピーとも、交渉せねばなりません。ならば、事を有利に進めるために彼女を貢物として差し出します」
無論今の言葉はイリスは通訳しなかった。
「でもそれじゃ――――あんまりだ」
やり方が
感情に火が付きそうになって、大人な態度を貫くヴェロニカには冷徹さをにらみつけるのが彼にできた精一杯の反抗だった。
「何がです?彼女は故郷に帰れる。私たちはハーピーに恩を売れる。目的は合致しています」
「トウタ殿。ここはこらえるで御座る」
皐月はトウタの肩をぎゅっと握った。
「こんな手段しか取れない―――正直、拙者も口惜しい。だが、今はこの手が一番理にかなっている」
皐月の目は相当に悔しそうに見えた。唇は布で隠されていたが、歯を食いしばっているに違いなかった。
「わかった――――ごめん。ヴェロニカ」
「分かっていただければ、それで」
ヴェロニカはそっと目を伏せただけ。それより先は何も言わなくなった。
「店主殿はおられますか」
扉を開けて中に問いかけると、人族の初老の女がカウンターに座っているのが見えた。
「あたしが、店主だ。お客かい?それとも―――冷やかしかい?」
「客だ。故逢ってフードは取れないが。それでも構いませんか?」
「ああ。いいよ。顔は見せたくないってやつはここにはいくらでも居るさ――――で?客ってんなら欲しいものがあるんだろ?」
「表に閉じ込めてあるハーピーを買いたいのです」
「ああ、あれかい?いいよ。正直うちも言葉がわからなくて困ってたんだ。10万カリフでどうだい?」
10万。奴隷の価値にしては安い。通常であればこの10倍の値段はとられてしまうだろう。ヴェロニカを初め、皐月も、イリスも、シュティーナもそれは分かっている。
「カリフはあいにく持ち合わせがないのだが」
「それじゃローデで支払うかい?ローデで払うなら1,5倍の15万で手を打つよ」
店主は意地汚そうに笑った。
「分かった。それで手を打ちましょう」
「よっしゃ。決まりだな。少し待ってな――――いま、檻から出してきてやるよ」
女店主はそういうと、カギを持って扉から出ていき――――暫くして、ハーピーを連れて帰って来た。
ハーピーの羽と足には、飛べない様に、拘束用鎖と鉄球がついていて、身体を進める度に、ガシャリ、ガシャリと音を立てる。
「じゃあここに、署名をしてくれるかい?」
女店主は一枚の紙に署名を促してきた。署名はヴェロニカが行った。
「あいよ。これで受け渡しは成立だ」
店主は、ヴェロニカからローデリア紙幣で15万を受け取った。
「それと――――店主。お前の奴隷の中にケンタウロスは居ないか?」
声を掛けたのはシュティーナだった。
「ケンタウロスか。――――あんたも同族みたいだが。生憎うちにはいないよ」
店主はシュティーナの大きさから同族だと推測する。
「ほかの店に居ると、聞いたことは?」
「ないね。ケンタウロスは希少種だ。この街にはいないんじゃないのかね」
まだ食い下がるシュティーナにたいして
女店主の返答は、にべもなかった。
3
近くにあった露店でとりあえず、ハーピーの服を購入し、彼女に着せてやった。
少し、垢じみていて、匂いが目立ったが、それは、洗えば済むことだと分かっていた。服を着せてやると、彼女は、最初はむずがゆそうにしていたが、やがてなれたように何もしなくなった。
(まぁ、死なすよりかはましなのかもしれないな)
故郷に戻してやることを考えれば、大分ましなのは、トウタにもわかる。しかし、釈然としない気持ちは残った。
長めの外套で、体はすっぽり覆われ足先が見えるだけになって、外見からはハーピーだとは一見して分からなくなった。
ハーピーはさっきから何かをイリスに話しかけている。
イリスはそれを、聞き流したり、たまに何かをつぶやいたりしていた。
夜になって。
トウタ達一行は、街の外に野宿をすることになった。
街から離れたため、人影もあまりなくなっている。これならば外套を外し、顔を晒したしても問題はないだろうと、みなフードと顔を覆っていた布を外した。
「イリス。また通訳を頼めますか?」
「うん」
食事を終えて車座になり、ヴェロニカはイリスにハーピーの通訳を再び頼んだ。
「では、これから私の言葉を彼女に伝えてください」
イリスは頷く。
頷くイリスを見て、ヴェロニカは先を話し始めた。
『私はヴェロニカ・アリトフ。一応はあなたの所有者になった者です。――――さて、あなたのお名前は?』
ハーピーが何事かを話す。それが、イリスの声で皆に伝わっていく。
『ヴェロニカ様。私はドーラ。ご覧のとおりハーピーです』
ハーピーは名乗り、羽を見せるように外套から羽を出した。黒い羽根の先に少し白が混じっている毛並み。顔はやつれてはいたが、人並み以上だとトウタは判断した。
ハーピーは少しづつだが、自分自身の事を話し出す。
ハーピーは、腕が鳥の羽になっており、下半身も鳥の様になっている種族であること。
帝国の黒騎士たちに戦争で負け――――方々、手を尽くして逃げ延びたこと。
そして、その末に行き倒れ、奴隷として売られてしまったこと。
『辛かったね』
イリスはそっと、ドーラを慰めた。イリス自身も泣いている。
シュティーナは、何かを思い出したのだろう――――さっきから泣きそうな顔でいる。皐月は、我関せずを決め込み、トウタ自身は、なんと声を掛けるべきか迷っていた。
ヴェロニカが口を開く。
『ドーラ。貴方にはこれから、王国の手駒になってもらいます――――良いですね』
こんな時でもヴェロニカの声が揺れることは無く。
『はい』
それに答えるドーラの声にも躊躇はなかった。
4
「あの婆さんに頼まれて来たは良いが――――やっぱり帰ろうかねぇ」
彩花は南の大陸に渡り、トウタ達の足跡を追っていたのだが、やっと足取りをつかめたと、思ったトゥラテルの港町でさえ、半壊していた有様を見て、げんなりしていた。
「いったい何をやったらこんなになるんだろうね――――鬼族でさえこんなにぐちゃぐちゃには、しやしないってのに」
ぼやく。それほどに、トゥラテルの街は港から半分ほどが燃え墜ちて、まるで廃墟の有様だった。
「海賊、アリーナ・ベニーが火をつけたらしいが、それだけでこんなになるもんかぃ?人ってのは加減ってもんを―――」
ドン
何かがぶつかった。見ると、小さな子供が足元にひっくり返っていた。
「おや。坊主。大丈夫だったかい」
子供を起こして、土を払ってやると、子供の後ろから――――この子の親だろう――――人影が見えた。
「あんたが親かい?」
彩花は、優しく聞いたつもりだったのだが。何を思ったのだろう――――この子の親は、子供を守る様に抱えて頭を下げた。
「すみません!わざとじゃないんです」
「あん?」
彩花は最初、何を言ってるのかわからなかった。
が、この状況は利用できると考え直し、少しいんねんを吹っ掛けて見ることにした。
「なぁ、あんたが親だろ?少し付き合え、なぁ」
ニラニヤ笑い、親を近くの露天へと引っ張って行く。親は断ることをしなかった。
「わりいな。ちょっと教えて欲しい情報があるだけさ」
酒とつまみを頼んで、親に目を会わさずに言った。
「情報なんて何も――――」
「あんたはここの住民だろ?ここが何でこうなっちまったのかを、教えてくれりゃいい」
彩花は酒を一口飲み込み
(不味い酒だ…)
顔をしかめた。
「ふぅん。翼人種と人馬、ダークエルフに子供が海賊を倒した…ねぇ」
「有名な話です。私じゃなくても知ってますよ」
子供の親は早くこの場から離れたいとばかりに、キョロキョロして落ち着かなかった。
「そいつらが何処に行ったかは知っているかい?」
「そこまでは…」
「よし。もういいよ。行きな。今度はしっかり前見て歩きなよ?坊や」
彩花は、子供を一撫ですると、露店に金を払ってそこを離れることにした。
5
「―――すげぇ雨だ。こりゃ当分、市はできねぇな」
会場を襲った豪雨のために一旦、奴隷市は休止せざるをえなくなった。
そして、奴隷商たちの不運は突然やって来た。
煙る豪雨の中から、フードをかぶった一行が現れ――――何も言わず奴隷商に襲い掛かり始めたのだ。
「――――なんっ」
『何だ』という暇も与えられずに、奴隷商の一人、トマスは、馬の後ろ脚に蹴られて吹っ飛ばされ気絶させられ、仲間の奴隷商達も、各々があっという間に昏倒させられる事になった。
檻の中から、昏倒させられる奴隷商を見ていた奴隷達は、訳も分からず、ポカンとしているだけ。
分かったのは、外套姿の一団が何事かを唱えると、前も見えないような雨だったのが、ぴたりと止まった事だけだ。
その雨が魔術で起こされたものだと奴隷の一部は勘づいていた。
「逃げなよ」
目の前の少し小さめの外套姿が、檻の鍵を、魔術で解除して呟く。
「さて――――すべての解錠はすみました。引き時です」
続いて、一団の中から女の声がした。
「逃げるってたって…何処に」
奴隷達が呟く。
「それは、そなたらの自由じゃ」
一行の一人が素っ気なく言う。
「あんたら誰なんだ…何が目的でこんな――――」
「名前は名乗れない。ただ奴隷制が気に食わないだけだよ。それと――――逃げるなら東に向かって逃げるべきだ。東ならまだ、逃げ道があるから」
一行は、そこまで言って姿を消した。
「東に逃げろ―――か」
奴隷の男は誰に言ったわけでもなく、ただ茫然と呟くのみ。
周りを見れば逃げ出している奴隷は増え始めていた。
「ケンタウロス族はいないわねぇ」
シュティーナは森の中に逃げながら、ぼやきを漏らした。
「国境の町はあと3つ。そこにも居なかったら――――あとは」
「帝都に送られているかもしれぬ。気を落とすな―――――馬公」
皐月が後ろに追走しながら、シュティーナを励ました。
「ドーラ。追手は?」
『いません。振り切っています』
『ご苦労様。あとは自由になさい』
ヴェロニカは礼を言って、ハーピーを自由にするよう指示を与えた
この計画は、元は、トウタの発案であった。そこにシュティーナが、
「解放するなら同族を助けてほしい」
と肉付けしたことで、計画の骨子が決まり、国境の町で開かれるであろう奴隷市を、手始めに潰しはじめたのが、ここ最近の話であった。
巷では、「謎の奴隷市潰し」とささやかれ始めて、一部では、解放された奴隷たちのシンボルになり始めていることも、トウタ達は知っていた。
(英雄なんてなりたいわけじゃない。でも――――奴隷制がどうにも気に食わない。知ってしまった以上、知らなかった振りなんて…したくもない)
森を抜けて、いくつもの穴があけられた洞穴住居にたどりつくとやっと、そこでトウタ達は外套を外した。
ここは、内陸地にできたノーム達の隠れ家。
そして今は、トウタ達の隠れ家でもあった。
『やぁ――――上手く行ったみたいじゃな』
洞穴住居の一部がスウとかき消えて――――中から全長が12cmくらい――――の人型が姿を見せた。
彼らはノーム。土の守護者、大地を司る精霊・妖精で、主に地中で生活し鉱脈の場所などにも詳しい。
小人で長いひげを生やした老人のような風貌をしており、派手な色の服と三角帽子を身につけている。
最初は驚いたものだが、ここ最近彼らは、トウタ達を敵視しなくなった。
『上手く行ったわ。貴方たちが協力してくれたからよ』
これは――――イリスの通訳によるところが大きい。きっとイリスが居なければ、いまごろ、諍いを起こしていただろう。
『なに。近くまで続く穴を教えたまでよ』
ノームはそう言って少し誇らしげに顎髭をなでて見せた。
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