第42話 奇妙な違和感
力なく倒れる肢体を待って、銅鑼鐘がなった。
一拍遅れて放り投げた男の頭が地面に落ちて、歓声が全身を包んだ。
「ふぅ……」
ユーマは剣にべっとりと付いた血を倒れた男の着衣で拭い取る。
感情を殺した反動のようにどっと溢れ出す疲労感に肩を落としながら立ち上がると、頭の中に聞き慣れた声が響いた。
(なにか意図があるのか?)
剣を背中のホルダーに通しながらユーマは返した。
(姉貴の声に従っただけだ)
(そうか……)
マオは剣の力を使ったことに不満があるのだろう。しかし、マオはそれを咎めなかった。
咎めてもしようがないとわかっているからだろうか。そのことをユーマは感謝していた。
「タック、行こうぜ」
ユーマは控室に戻ろうとする手前、棒立ちするタックに声を掛けて控室への門をくぐり抜ける。その表情にかすかな笑みが見えたのは気のせいだと溜飲を下げた。
「ユーマさん!」
「んあ……?」
階段を下りていくユーマの背中に後方から走ってきたタックが悲痛そうな声で言った。
ユーマが出るのとすれ違って衛兵たちが闘技場へ入っていく。
死体の片付けだろう。もしかしたら生きている者もいるかもしれない、その救助か。いや、ないな……。
自身の希望的観測をこの手に感じた確かな死の手応えを思い出し打ち消す。
こんな簡単に誰しもに訪れる死に対して何を恐怖すればいいのか、ユーマにはわからなかった。
剣を大事そうに抱えてユーマを見上げるその姿は、どこか小動物を思わせる。ユーマは小刻みに震えるその肩に手をおいた。
「『そういう時はあたたかいミルクを飲むんだ。心が安いらいでぐっすり眠れる』」
「それは……?」
「もちろん、姉貴の言葉だ」
「……。どうしてユーマさんは戸惑わなかったんですか? 躊躇……しないんですか?」
「してどうなる?」
ユーマは首をかしげた。
タックが人を殺めることについて問うているのは明白だ。しかし、ユーマにはその求めている答えを持ち合わせていなかった。
「剣が迷えば死ぬのは俺だ。仮に刃を裏返して戦っていたとして、全力で殴れば死ぬやつは死ぬ。なら、自分の出来ることを最大限全力でやったほうがいい」
自分の頭の硬さにモヤモヤとしながら、ユーマは苦しい表情で語った。
「だああ! 俺はこういうのは苦手なんだ。王都騎士団の連中にでも――ん?」
ユーマは言葉の途中でタックが何かに興味を惹かれたかのように彼方を眺めているのに気づき、口を閉じる。
「ルセリナの声だ……」
「ルセリナ……?」
「近づいてくる」
「あ、待て! タック!」
突然走り出したタックを追って、ユーマは通路を折れる。
すばしっこいじゃないか……。
あっという間に小さくなるタックの背中に文句を垂れてユーマは足を進める。
いつの間にか控室の前を越え、人混みへとぶち当たってしまった。
「おいおい、こっちは観客席だぞ……!」
まだ衣服に血の染み付いた自らの様相を心配し、ユーマは追跡を尻込みする。
だが、ここで立ち止まったところで事態は変わらない。まだ参加者として解散を支持されていない手前、衛兵に見つかるくらいなら顔見知りの王家の人間と共にいたほうがまだ言い訳も効くというもの。
「ええい、ままよ!」
そう言ってユーマが左右の手で人混みをかき分け進もうとした途端、
「うおっ!?」
背中に何かがぶつかる衝撃が走り、思わず肩をビクリと跳ねさせた。
伝わる温い感触。痛みを伴わないあたり、どうやら鋭利な刃物で刺された、というわけではなさそうだった。
腰に回された細い腕、腰に当たるのは丸みを帯びた感触。
エミィ……ではないな。
そう思って振り返ったユーマが見たのは、いつぞやの長いブロンドの髪だった。
「ルセリナ? 血がつくぞ」
ユーマはまるで顔を上げないルセリナの頭の上に手を乗せる。
反対の手でルセリナに怪我をさせないよう背中のホルダーから剣を抜き取ると、また新たな来訪者が目の前に現れていた。
「あぁ、ユーマ殿」
「ゆ、ユーマさぁん……」
それはヒルダと、ヒルダに襟首をつままれて歩くタックの姿だった。
「お嬢様を捕まえていただいてありがとうございます」
「捕まったのは俺の方なんだけどな……」
苦い表情で後ろを振り返ろうとした瞬間、体を拘束していたルセリナの感触がふっと消え去る。その先では今にも「なんてことよ」なんていいたげなルセリナがツンとした表情で立っていた。
「あら、いつの間に」
その小生意気な様子は、まるで噂に聞いたいたずらっ子そのままで、されどきっとユーマを睨みつける瞳には「何もかも黙っていろ」という無言の圧があった。
「どちらにせよ、感謝に違いありません。なるほど、先程の銅鑼鐘は試合終了の合図でしたか。ということはもうお帰りの最中で?」
「そうだが……まだ解散指示を受けていなくてね」
「それは私から言っておきましょう。明日、二回戦の組分けが発表されます。ご武運を」
「あぁ、そっちこそな」
ユーマは再度剣をホルダーに収めながら言った。
「ルセリナ!」
ヒルダの拘束から開放されたタックがルセリナに近づく。
「あ、あなたは……タック?! まさか武闘会に出ているの!?」
「あぁそうさ。始めこそユーマさんに頼りきりだったけれど、なんとしてでも優勝してみせるよ」
先ほどとは打って変わってタックの表情は明るく快活になっている一方、ユーマとヒルダの表情は一変、影を落としていた。
「ユーマ殿……」
「あぁ……誰かが今、魔法を使った」
ユーマはヒルダと目配せして周囲を警戒する。
使用された魔法がなんなのかはわからない。だが、ルセリナが今ここにいるというのは、好ましい状況とはいい難い。
「幸い、魔力の反応は弱い。おおよそ才のあるものが無意識に魔力を放出してしまったと考えるの妥当でしょうか」
「そうかもしれないが、どちらにしろ早めにこの闘技場を離れたほうが良さそうだな」
二人は顔を見合わせ頷く。
面倒に巻き込まれるのはゴメンだ。
「だからまた今度街においで――えっ、ちょ……ユーマさん!?」
「行くぞ」
旧友の再会という涙ぐましい場面に少々気の毒ではあるが会話を強引に中断させ、ユーマはタックを半ば引きずるように会場の外に出る。タイミングを同じくしてヒルダがルセリナに駆け寄ると、そっと手を引いて人混みの中へ消えていった。
「何するんですかユーマさん! せっかくまた会えたのに」
憤りを露わにするタックになんと弁明するべきか、ユーマは一瞬悩んだ。
素直に事実を話すわけにはいかない。混乱を招いてしまう可能性があるからだ。だとすれば。
「俺達はただの参加者。相手は王様だ。身分を超えた立ち振る舞いは周囲の視線を気にしなければ。それをよく思わないやつもいるんだ」
「あ、そうか……」
自分の行動が早計であったと納得し落ち込むタック。
そんなタックへ向けユーマは表情を一変、笑顔で背中を叩いていった。
「ま、一回戦は終わったんだ。勝った者同士、祝杯をあげようぜ。そうだ、マオを呼ばなきゃな」
「あいや、僕は遠慮します……」
「そうか?」
「二回戦に向けて用意したいことがあるんです」
「なるほど、秘密兵器ってとこか」
「そういうことです。今日はありがとうございました。戦う時は負けません!」
「あぁ」
意気込みを浴びせかけるように言ってそのままタックは走り去っていく。
その背はユーマに取ってあまりに眩しく、ただ手を振り返すことしかできなかった。
あまり強く言った覚えはないんだが……言い過ぎたか?
振った手をゆっくりと下ろしながら自分の言動を反芻するユーマ。
いや、おかしいことは……多分なかったはずだ。
そう一人合点して、気を取り直したユーマは心で念じてマオに呼びかけた。
(マオ……)
「ここだ」
「うおおぅ!?」
突如真横に現れたマオに、ユーマは思わず心臓が止まるんじゃないかと錯覚する。
こいつ、一体どこから出てきたんだ……。
「聞こえているぞ。というより、こんなことで心臓が止まっては困る」
しかめっ面で指摘するマオの表情に、無意識に視線を反らして口笛を吹くユーマ。
そらした視線の先に見覚えのある青白い髪を見てもう一度口笛を吹いた。
「キルナ、出しているんだな」
心を持ち、人の肉体を持ち、自らで物事を考えるキルナに対し、出しているという表現のおかしさに抵抗を覚えながら、ユーマは言った。
「あぁ、エミリアがいないとなればベッドが余るだろう? ならばキルナに寝かせてやってもよかろう」
「あ、えっと……」
マオは自分の尊大な言い方がキルナを困らせていることに気が付かないのだろうか。なんて頭に思い浮かべつつ、ユーマはキルナの頭に手を乗せた。
「ベッドで寝ていいんだ。誰も咎めはしない」
キルナの表情が一気に明るくなり、つられてユーマも口元をほころばせた。
自分が救った一つの命。その笑顔がこんなにも嬉しいだなんて……。
安直だが、ユーマは自身を誇りたい気持ちでいっぱいになっていた。
「其奴はお前を気に入っているからな。私の力なのにな」
「その言い方がキルナを不安にさせているんだろうが」
「うるさい! 私は魔王だぞ!」
「はいはい。今日も疲れた。寝に帰るぞ」
ユーマはキルナの手を引いて歩きだす。
「あ、オイ待て! ユーマ! ユーマぁ!」
その背中を憤慨しながらマオが追う。
三人の背に伸びる長い影を踏んで、黒ずくめの女性が光のない目でその背中を見つめていた。
アリサのキセキ 志々島 @shishijima402
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