(13)

「最後にあれでも乗りません? 見晴らしよさそうですよ」


 高くそびえるそれを、俺は見上げる。


「これに」


 それは、野球の試合などが繰り広げられるドームに併設されたアミューズメント施設――の観覧車。


「もしかして、高所は苦手ですか?」


「観覧車は平気だ」


「じゃあ、乗りましょうよ」


「ま、まあ……構わないけど」


 そうではなくて。

 あの密室に二人っきり。

 期待をしているとかではないが、つい意識してしまう。

 二人でこうやって遊んでいるだけでも、傍からは十分にそういう感じで見えていたかもしれないが、これはさすがに。

 俺が変なことをしないと、真白がそう信頼して誘ってくれているのなら、それは先輩として嬉しい限りであるものの、やはり渋ってしまう。

 中々乗る気になれない俺を、真白に半ば強引に導いていった。


「どうぞ」


 係員のお姉さんに案内され、足を踏み入れる。

 ゴンドラは徐々に高さを増していき、窓の向こう側には都心の景色が広がっていった。

 にしても、あんなに望んでいた割には、乗ると真白はずっと外を眺めて落ち着いている。見惚れているといえば、それまでなのだが、にしては瞳をきらきら輝かせている感じはしなかった。

 俺は膝をこすり、緊張を誤魔化す。


「あんな遠くまで見渡せるんですね」


 そんな感想を呟く真白に、俺も同意を示す相槌を打った。


「先輩」


「ん?」


「さっき、黒音先輩とはどんなお話をされたんですか」


 唐突に純の名前が出て、俺は動揺する。

 普段ならどうでもないのに、さっき言葉を交わしたばかりのせいで思わず反応してしまった。


「やっぱり、黒音先輩だったんですね。電話のお相手までは、覗いているだけだとわからなかったので」


 年下にいいようにされる俺が恥ずかしい。

 隠れてしていたつもりなのに、バレバレだ。


「大した話はしてない。お前に教えてもらった、真理と付き合ってるってのを伝えられたぐらいだ。他は……」


「他は?」


「直接会いたいともいわれた」


「会うんですか?」


「……機会があればとは返事した」


 そんなものがあるなら、とっくに俺と純は顔を合わしているに違いない。

 実質、拒否に近い意味合いなのは純も察しているはずだ。


「なあ、真白。あいつはどうして今にになって連絡してきたんだろうな。付き合ったのは、遅くとも春だろ?」


「あたしが真理さんから聞いたのは大体それぐらいでした」


 真理とそういう間柄になった時点で、俺との勝負には勝った。なのに、半年近くもしてこなかった理由。

 恋人という関係性を確立させておきたかったのだろうか。

 俺が付け入る隙など、微塵もないと示しすために。


「だとしたら、余計に会いにくいに決まってるだろ……」


 自身の惨めさを感じるだけだ。

 あいつからすれば、それを欲していたのかもしれないが、俺にとっては当然飲めるはずのないものだ。

 沈む気持ちに比例し、視線も下を向いてしまう。


「じゃあ、こっちも驚かせてやりましょうよ」


「えっ……?」


 俺は視線を上げて、真白を見やった。

 ちょうどそのとき、ゴンドラが頂上に達して、遥か彼方にまで続く風景をバックに真白は驚きの提案をしてきた。


「あたしたちも付き合ってみませんか?」


 最初は意味がわからなかった。

 間を空けて、ようやく理解した俺は慌てふためいてしまう。


「な、何をいってるんだ……真白。ふざけるのもいい加減に……」


「ふざけてませんよ」


 微笑んではいるが、漂う雰囲気は緩んでいない。本気かどうかは別として、真剣であるのは伝わってきた。

 俺は瞼を閉じ、黙考する。

 可愛い後輩からの告白を受けるか、はたまた断るか、ではない。

 真白の気持ちを慮っていた。

 そして、俺なりの結論を出し、瞼を開ける。

 これは賭けだ。


「真白」


「はい」


「いいんだな」


 押され気味だった俺は決意を固め、ゴンドラの中で立ち上がると、真白の横に座った。肩が触れてしまう程に距離は近い。

 目と鼻の先に真白がいる。

 肩に手をかけたとき、僅かにびくついていたのを、俺は見逃さなかった。

 しようとしていることがわかったのだろう。

 けれど、それで動きを止めたりはしない。本当の気持ちを試すのに、これは必要な行為なのだ。

 真白は緊張のせいか、表情が強張っている。

 距離をさらに縮めていき、もう重なろうとした――寸前で、真白が顔を背けた。


「……ごめんなさい」


 か細い声で、そう呟かれる。


「いや、それでいい」


 俺は真白の傍を離れた。

 反対側の席に戻り、腰を下ろす。


「まだ純が好きなんだろ? 当てつけみたいなのに、俺を利用するなよ」


 こいつの心には、まだ純への思いが完全には絶たれずに残っているのだろう。俺と同じだ。

 そういえばと、ちゃんと訊いたことなかったことを俺は確かめてみた。


「何で純みたいな奴を好きになったんだ?」


 仮にも後輩が好意を寄せる相手なのに、奴呼ばわりしてしまうという配慮のなさだったが、真白に気にしている素振りはない。


「あの人は……寂しい人なんです。ずっと自分を偽って、人を欺き続けてる。本当のあの人は優しくて脆い。だから、あたしは傍にいて支えてあげたいって思ったんです。……変ですよね」


 自虐的な笑みを真白は浮かべた。


「少なくとも、俺はそう思わないけどな」


 案外、好きになるきっかけというのは単純だ。

 一目惚れもあるわけだし。


「俺もお前と似たようなもんだからあれなんだけど、区切りはやっぱり自分の中でつけるべきだ。誤魔化そうとしたところで、その気持ちが消えたりはしないだろ」


 真白は小さく頷く。


「よし」


 観覧車もそろそろ終わりを迎えようとしていた。

 俺は最後に、所信表明ではないがこう告げた。


「俺、純と会ってくるよ。後輩に行動で示してこそ、先輩だからな」


 ◇ ◇ ◇


 思い立ったが吉日。

 俺は純と会う約束を交わした。

 その当日、待ち合わせの時間よりもかなり早く来て、あいつが現れるのを今か今かと待ち構えていた。

 早めに来たは、純が真理を連れてくる可能性を考えての対策だった。

 もし俺が後の場合だと、その二人が待っているところに近寄っていくわけだ。

 それは精神的にきつい。

 こうしていれば、あっちから来る。

 足を地面に根付かせ、構えていられる。

 いるといないでは大きな違いで、俺が強気であいつと相見えるには必要なことだった。


「………………!」


 街の人ごみの中、遂にそいつは現れた。

 久しぶりに見たその姿は、結婚式のときの純と重なる。幼さを残しながらも大人びてきた顔つきに、服の上からでもわかる引き締まった体。

 異性はもちろん、同姓でさえも惚れ惚れしそうになる。

 みずぼらしい自分に情けなくなりそうだったが、それ以上に勝ったのが拍子抜け感だった。俺の体から力が抜けていく。

 隣には、誰の姿もなかったのだ。

 純一人。


「やあ、翔。待たせたね」


 純が軽く手を上げる。

 それに応えながら、俺は尋ねた。


「お前だけのなのか?」


「……そうだよ」


 抑揚のない淡々とした口調に、微笑みか嘲笑かもわからない笑み。

 そこから純の感情は読み取れない。

 こいつの態度に好感が持てないのは、俺にとっていつものことだが、気付かずに流していそうな刹那の間。

 そこに変な違和感を覚える。


「追々、訳は話すよ」


 問い詰めたくなる俺を、純が先手を打つようにそう前置きする。


「行きたいところがあるんだけど、そっちでいいかな?」


「わかった」


 促されるままに、俺は純に付いていった。

 これといった会話もなく、どこに連れて行くのだろうと一抹の不安を感じていると、着いたのは見覚えのある場所。

 ここは中学生のとき、真理と純と三人で桜の花見をした。

 そして深い溝が出来てしまった、あの場所。 

 桜は紅葉になり、時の流れを視覚で感じさせる。


「翔。僕は君に勝った」


 純が真っ直ぐに前を見つめながら、わかりきった事実を再度告げてくる。


「勝ったんだよ」


 なのに、苦虫を噛み潰したような顔をしているのが、横からでも覗けた。

 俺に、というよりも純が自分自身にいい聞かせているみたいに見て取れる。

 不意に、その純が歩みを止めた。

 それに追随し、俺も立ち止まる。


「そうだろ、翔」


「ああ、俺はお前に負けたよ」


 俺は電話口でそうしたように、あっさりと負けを認めた。

 けれど、純は喜ぶどころか、悲しそうに顔を歪ませた。


「違う……。そうじゃないんだよ、翔。僕が望んでいるは、それじゃない」


 もっと悔しそうにして欲しい。

 それもあったはずだろう。

 だが、純が悲しむのにはもう一つ理由があった。


「どうして、君は、君たちは、僕の望んだ通りにならない……」


 君は俺だ。

 でも、純は君たちとも口にした。


「待て、純。君たちって……」


 俺以外の人物など、一人しかいない。


「……お前、真理に何をした」


 風が吹き、葉が地に落ちる。

 冬はもう、すぐそこへと迫っていた。

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クズの人生革新 進賀透 @Death

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