第4章 大学生の秋編

(12)

 純と真理とは別の大学に進学し、再び道を分かつ選択をした俺は悠々自適にとまではいかなくとも、それなりに充実した日々を送っていた。

 かれこれ、その生活ももう一年以上になる。

 二十回目の春を、俺は迎えていた。

 過去をそこまで引きずっていないせいか、以前よりは気持ちが幾分軽い。あの二人がもし結ばれたとしても、同じ過ちを犯したりはしないだろう。

 これはこれで、やり直せたといえる。

 疑ってしまったのを、神様に謝らないとな。

 そんなことを考えながら構内を歩いていると、誰かが俺の動線を塞ぐように立ち止まっていた。

 下を向いていた俺はそれに気付き、顔を上げる。


「なっ……!」


 唖然とする。


「お久しぶりです! 羽馬先輩」


 ここに誰がいても、特段おかしくはない。

 大学は基本、試験日や余程の不審者でもなければ自由に出入りは出来る。

 けれど、わざわざここに訪ねてくる必要がない。用があれば、電話一本でも済む。

 唐突に、しかも真白が俺の通う大学の構内に現れたのに対して驚いていた。


「どうして、ここに……?」


「生徒がここにいたら、おかしいですか?」


「生徒? 待て、真白。まさかとは思うが……どこの大学に進学した」


「ここですよ」


 さも当然であるかのように、真白はそう告げた。足元のアスファルトを指差しながら。

 より一層、俺の口があんぐりと開く。


「あっ、ちなみにですけど、先輩を追っかけてきたとかではないですよ。あたしが行きたいって思った学部が、偶然にも先輩と同じ大学にあった。それだけですからね!」


 真白は勘違いするなといわんばかりに、釘を俺に刺してくる。


「挨拶をしておくってのは最低限の礼儀ですからね。なので、参上したわけです」


 ない胸を張って些か上から物をいう真白を、俺は冷めた目で見てしまっていた。

 俺の知っている後輩はもっと可愛げがあったはずなのに。と、首を傾げて。


「……立ち話も何だし、学食のところにでも行かないか」


 人が行き来する場所でこうして騒いでいると、周りの目が気になってきてしまう。ひとまず、移ろうと提案したそれに、真白も素直に応じてくれた。

 学食は、主だった講義のほとんどを終えた時間帯なのもあって、比較的空いていた。

 窓際の方を指差し、俺と真白は席に着く。

 すると、ピンと伸びていた真白の背筋が猫みたいに真ん丸くなる。一気に力が抜けていったとでも表すべきだろうか。


「ひゃ~、疲れました~」


 テーブルに突っ伏し、ふにゃふにゃになっていた。

 上目遣いでこっちを覗いてきたのに、不覚にも胸が高鳴る。


「先程は偉そうにして、本当にすみません。変わったーってところを、先輩に見せようと頑張ったんですけど……。大学デビュー、的な? ことをしてみて」


 違う気がする。

 服装に関しては多少大人っぽくなっているものの、栗色の髪のポニーテールは同じで、化粧も派手になったりしていないし、外見は高校時代とほぼ同じだ。性格や態度を改めたのなら、それは俺的に喜ばしいとはいえないので、是非ともやめてほしい。


「でも、よかった」


「へっ? 何がです?」


「いやさ、真白が真白のままだったから。安心した」


 そうして、久しぶりに会った俺と真白は一年程度の昔話に花を咲かせる。

 その中で、真白が躊躇いつつもある話題を切り出してきた。

 姿勢を直し、恐る恐る。


「……こういうことを訊くのは無神経かもしれませんが、先輩は真理さんの近況などはご存知ですか?」


「いや、あいつらの最近は全く知らない」


 連絡をまともに取ってすらいない。


「そう、ですか……」


「お前は?」


「真理さんとは時々連絡を取っているので」


「ふむ」


 感じからして、この先の話を聞いても、俺が得する内容でないのは明らかだ。ここで話題を逸らしても、真白は俺に合わしてくれるだろう。

 だが、あえて俺は訊いた。


「で、真理はどうしてた?」


「真理さんは……」


 いいづらそうにして、真白は視線を宙に彷徨わせた。彷徨った視線が一周して俺のところにまで戻ってくると、その続きが語られる。


「黒音先輩と付き合ってるそうです」


 喜べない内容だ。

 悔しいし、死にたくもなる。

 けれど、大丈夫だ。俺は俺でいれてる。我を失わずにいれてる。

 もう同じ過ちは犯さない。


「そうか。そうなる気がしてたよ」


 真白はそんな俺の反応が予想外だったのか、目をぱちくりさせていた。


「驚きすぎだろ」


「えっ、だって……」


「未練はあるかもしれない。けど、俺は振られて、真理は純を選んだ。それ以上それ以下でもない。事実はちゃんと受け止めるさ」


 それが俺の運命なのだから。


「そっちこそ、純が真理と付き合って、やっぱりショックだったか? ん? どうなんだよ」


 少々雑に訊いてみると、真白の眉間に皺が出来る。


「教えません!」


 ぷいっと横を向かれた。

 これはデリカシーがなさすぎたか。

 頬を膨らませる真白を必死になだめつつ、あれこれしているうちに時間が大分経っていたことに気付く。


「もうこんな時間か」


「本当だ。すみません、遅くまで」


「全然、こっちこそすまなかったな」


 荷物を手にし、席を立つ。

 外に出ると、日がすっかり沈んでいた。


「ここまでは電車?」


「はい、そうです」


「俺は自転車なんだけど……、駅まで付いてってもいいか?」


 別にまた大学に来て会おうとすれば会えるのだけれども、もう少しだけ一緒にいたくなり、俺はそう尋ねてしまった。

 拒まれると凹むしかなかったが、真白は二つ返事で快諾してくれた。

 横並びになりながら、駅へと向かう。


「会えてよかった。またな」


「はい、また」


 手を振り、真白を見送り終えた俺は自転車に跨り、風を切って進んでいく。

 通りすぎていく景色の中で、俺は思いをはせていた。

 遠いことのように感じかけていた過去が、真白と再会したのをきっかけにして、また俺の近くにまで戻ってきた。

 それが俺にもたらすものは見当もつかない。

 ただ、何かが起きる。

 そんな気がしていた。


 ◇ ◇ ◇


 しかし、これといったことは何も起きず、季節は秋へと移り変わっていた。

 紅く染まった葉が街を彩る。


「もうすっかり秋ですね」


 隣には、当然の事実を述べる真白。


「今日はポニーテールじゃないんだな」


 一方、俺は情緒もへったくれもない、つまらない言葉を口にする。さっきから気になって仕方がなかったのだ。

 いつもまとめられていたそれが下ろされ、髪先が肩よりも長い位置にある。たったそれだけなのに、随分と大人びた印象を受ける。

 露になっていた肌が隠され、束ねられていた一本一本の髪の毛が自由になびき、えもいわれぬ神秘性を作り出していた。

 これはこれで、どきりとさせられる。


「ちょっと頑張ってみました。どうですか?」


「う、うん……悪くない」


「……せめてそこは、いいと嘘でもいうべきですよ」


 刺さってくる視線から逃れるように、俺は踵を返して歩き始めた。


「ほ、ほら! 行くぞ」


 情けない対応してしまった俺に嘆息を漏らされていたが、見放さずに真白はすぐについてきてくれる。いい子だ。

 ちなみに、俺と真白は休日に二人で会って遊んでいる最中だ。

 遊びといっても、テーマパークに行ったりはせず、適当にぶらついては休憩がてらにお店で一息ついたりと、計画性は微塵もない。ごくたまに、互いに都合が合ったりするとこうして一緒に出かけたりしていた。

 決して、デートではない。

 真白も慕う先輩の一人として接してくれているし、俺も真理と幼馴染なのもあって異性に緊張はそこまでしない。

 友人に近い関係性だ。


「先輩。ここにある本屋に寄っていってもいいですか?」


 真白が指差したのは、とある複合商業施設。

 レストランにアパレルショップにその他諸々の店舗が入っている建物だ。

 もちろん、そこには大手の本屋も名を連ねていた。


「おう」


 店内に足を踏み入れ、本屋がある階を案内図で確かめているとき、俺のスマホがポケット内で振動する。

 メールと思い、そのまま放置しかけるも、振動が連続して続いた。

 加えて、微かにではあるが音も鳴っている。

 電話だ。

 取り出し、指を画面に触れさせようとした瞬間、動きを止めてしまう。


「どうしました?」


 覗き込んでくる真白に、俺は慌てて取り繕う。


「あっ、えっと……知らない番号からの電話だ」


 無視してそれを切り、ポケットに突っ込む。


「大丈夫なんですか?」


「平気平気。どうせ、セールスとか間違いとかだろ」


 笑って誤魔化す俺に、真白もそれ以上突っ込んだりはしてこなかった。

 エスカレーターを使い、目的の階まで上る。


「俺も見て回ってるから、ゆっくりでいいよ」


「はい。ありがとうございます」


 別行動になると、俺はそそくさと隅の方に行き、スマホの着信履歴からリダイヤルの文字をタッチする。

 数回コールした後に、その相手は出た。


『よかった。もう関わってくれないのかと思ったよ、翔』


 忌まわしき声が、電波を通して聞こえてくる。

 優しそうな口調をしているが、どこか俺を見下すそれは忘れもしない黒音純の声。

 感情的になって、いかにも不機嫌な態度を取るのは簡単だが、あいつの手のひらで転がされるのはごめんだ。

 声を発する前に気持ちを落ち着かせ、平坦な口調で俺は答えた。


「一年半ぶりぐらいだな、純」


『そうだね』


「で、用件は」


『まあ、そう急かないでくれよ。思い出話もなしかい?』


「今は立て込んでてな。あんまり長話は出来ないんだ。すまない」


『そうか……。それなら、手短に済ますよ。実は、君に伝えておきたいことがあってね』


 予想はつく。

 俺を驚かせて、屈辱でも与える魂胆なのだろう。

 残念ながら、とっくに真白によって知らされている。

 だから、逆にしてやった。


「真理と付き合ってるんだろ」


 そういうと、純がほんの一瞬息を呑んだがわかった。


『……知ってたんだね』


「風の噂で聞いた」


 真白と明言はしない。

 仮にそう疑われたとしても、それが重要なのではない。


「よかったな。これで証明されたわけだ」


『真理を勝負の対象にするのは不謹慎かもしれないけど、僕は君に勝った。なのに……随分と清々しいね』


「完全に吹っ切れた。……とまではいわないが、ここで未練がましくしたって惨めなだけだ。素直に認めるさ。俺の負けだ」


 純が望んだであろうセリフを俺は吐く。

 純が望んだ結末にはさせなかったが。


『………………』


 何を考えているのか、純は静かになる。

 俺が理由をつけて切ろうとすると、最後に答えづらい問いかけをしてきた。


『次は直接会えるかな』


「……機会があればな」


『わかった。また連絡するよ』


 通話を終え、溜まっていたものを外に押し出すように俺は大きく息を吐く。

 春頃に感じたあの気配が、ここになって姿を見せてくるとは。

 不意打ちも甚だしい。

 とりあえず、このせいで不審な言動でもして、真白に違和感を覚えさせてしまうのは避けたい。

 一通り見て回った風を装って、俺は自分から本棚の前で佇んでいた真白に近づいていった。


「どうだ、何かあったか?」


 真白はこちらを向くと、小さく笑みを浮かべて首を横に振る。


「ないですね。行きましょうか」


 どうやら、欲しい本はなかったらしい。

 俺たちは本屋を後にして、また行く当てのないぶらり旅をし始めた。

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