断章 女子高生の夏編
(10.5)
夏休みに入って、まだ間もない頃。
あたしは偶然、ある人と出くわした。
普段のお見かけする制服姿ではなかったので、すぐには誰かとはわからなかったけれど、覗く横顔を見てわかった。
あたしが一人の女性として尊敬する――大空真理さんの幼馴染でもある方だと。
つい最近、その真理さんにお願いして紹介してもらってもいるし、間違うはずがない。
その人は掲示板をまじまじと見つめていた。
あまりにも真剣な眼差しをしながら、そこにずっと佇んでいるので、ついつい気になってしまったあたしは声をかけてみた。
「羽馬先輩?」
「ん? ああ、真白か」
やっぱり、その人は羽馬翔先輩だった。
何をしていてのか訊ねてみると、掲示板に張られている一枚のチラシを先輩は指差した。
そこには記されているのは、夏祭りの開催とその案内。
こういう催し事がお好きなのかなとも考えたりしたけど、先輩は真理さんにご熱心だから、多分そっちだ。
「こんなことをお伺いするのは大変失礼かとは思いますが……真理さんと?」
少々配慮のない訊き方をしたかもしれない。
先輩は顔を刹那しかめるも、案外あっさりと認めた。
ならばと、核心に迫る質問をぶつけてみた。
「――羽馬先輩は、真理さんが好きですか」
曖昧な答えで逸らされるのは嫌だったから、真っ直ぐに先輩の瞳を見すえた。恋バナをしているとも思われたくないので、はしゃいだりもしなかった。
すると、先輩はそんなあたしの気持ちにしっかりと応えてくれた。
「好きだよ」
男らしく、そうはっきりと示してくれたのだ。
羽馬先輩は、真理さんが好き。
なら、あたしにもチャンスは――何をいっている。それは先輩方に失礼な行為だ。
ほんの一瞬、浮かれた自分の心を戒めた。
僅かでもお近づきになれれば、それでいい。余計な願望を持ってはいけない。
すぐに気持ちを切り替えて、いつものあたしに戻った。
「それで、真理さんを誘う算段などは?」
「それは……現在進行形で考えている最中だ」
「要はないんですね。ふむ」
それはただ純粋に、先輩の役に立とうと思っての行動だった。
先輩は真理さんをお祭りに誘いたい。
でも、真理さんは二人っきりで行くというのに難色を示しかねない。
「あたしに、妙案があります」
その状況を打破する方法を、あたしは閃き提案した。
「二人が駄目なら、人数を増やせばいいんですよ」
自信満々に答えたのに、先輩の瞳からは感情がどんどん失せていっていた。
そこで、言葉足らずであったのにようやく気付き、すぐに補足した。
「さ、最後まで聞いて下さい! あくまで、誘うときにだけは人数を多めにして、途中から二人っきりにしていけば、真理さんにも断られずに先輩の希望も叶えられませんか?」
ちゃんと説明すると、先輩もなるほどといった感じで頷いてくれていた。
また、あたしにこうもいってくれたのだ。
「真白」
「はい?」
「協力して欲しい」
年下のあたしなんかを頼ってくれる嬉しさなどもあり、あたしは元気よくそれを快諾した。
「モチのロンですよ!」
◇ ◇ ◇
そのときは快く受けたものの、別れた後に戒めたはずの邪な思いが再びあたしの心にまとわりついてきた。
振り払っても湧き、振り払っても湧き。切りがなかった。
だったらと、それとちゃんと向き合い、潔く諦めようとした。
だけど、それが間違いだった。
諦めるどころか、ますます増していったのだ。最早、理性でどうにかなるレベルではなくなってしまった。
とどめを刺したのは、タイミングよくかかってきた先輩から電話。
それで覚悟を決めたあたしは、出ると先輩の話を最後まで聞きもせずに、明日会えますかと口にしていた。
翌日。近くの喫茶店で先に来ていた先輩は、あたしが席に着くなり単刀直入に訊いてきた。
「で、どうした?」
無理をいって、ここに来て貰っているのだ。
緊張しながらも、秘めていた思いを先輩に語った。
「あの、ですね……。あたし、羽馬先輩に隠してたことがありまして。それをずっと伝えようか悩んでいたんです。……でも、昨日帰った後にやっと決心しました。先輩だけには伝えておこうって。あたし――」
ずっと、あたしは羽馬先輩たちが羨ましかった。
小学校からの幼馴染で、その関係が十年経つ今でも続いている。
最初は、その深い友情の秘訣を知ってみたかった。
でも、人伝に聞いていたり、実際に自分の目で見たりしていく中で、一人だけその関係に変化が生じているようであった彼に、何故か惹かれ始めていた。
容姿が整っていたから、というくだらない理由もあったのは否定出来ない。
けれど、それ以上に、感情をあまり出さない彼の闇にあたしは魅了されていた。
怖いもの見たさのだろうか。
それもわからず、いつしか彼を目で追っていた。
「黒音純先輩が好きなんです」
あたしの思いを知り、先輩は驚いていた。
大体、こんなのを伝えられたところで迷惑でしかないだろう。
恋敵かもしれない黒音先輩とうまくいきたいと暗に望んでいるようにも受け取れるし、正直いい気分にはならないはずだ。
だってそれは、先輩の手を汚させるようなものでもあるのだから。
「……ご迷惑ですよね。先輩方のお気持ちを知ってて、こんな……」
それでも、先輩はあたしを責めたりはしなかった。
むしろ、優しい言葉をかけてくれさえした。
とはいえ、現実が厳しいのもまた事実。
「けど、だ。真白にとっていい答えを、俺には出せそうにない。難しい」
無理なお願いをしたのは、あたしだ。
謝る先輩に、あたしは精一杯の謝意を伝えようと深く頭を下げた。
しかし、先輩の言葉はそこで終わらなかった。
「でもな、真白。俺にお前の気持ちを否定する権利なんてない。これで諦められるなら諦めればいいし、誰も手を差し伸べてくれなくても、最後までやって果てたいならすればいい。決めるのは、俺でも他の奴でもない。真白自身だろ」
そこでようやく、あたしは自身の甘えに気付かされた。
◇ ◇ ◇
夏祭り当日。
真理さんのお母さんのご厚意で、可愛らしい浴衣を着さしていただいた。
合流したときの、先輩と真理さんのやりとりは微笑ましくて、ついつい笑ってしまう。
「で、メンバーは以上なのか?」
主語はなかったが、それはあたしに対しての問いかけだ。
「そう、ですね。一応、お誘いはしたんですけど……来ていただけるかはわからないので」
適当な理由を並べて、連絡先を得たあたしは黒音先輩を誘った。
ほとんど面識のない後輩の誘いを受けてくれるかはわからない。可能性としては皆無に等しいだろう。
だとしても、やらなければ確実にゼロだ。
やれば、奇跡は起こるかもしれないのだ。
「あっ、ごめんなさい」
来た。
彼からだ。
先輩を見ると、頷いてくれた。
「真理先輩。あたし、少しだけ席を外しますね。すぐに戻ってきますので、では!」
自分勝手な期待を胸に抱き、あたしは漆黒に染まる夜空の下を力いっぱい駆けていった。
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