第1話『冒険、踏み出してみた。』

1-1 始まりの街


……ーーーーここは、どこだろう。

そんなありふれた台詞を口にするまで、およそ数秒もかからなかった。

「………あー………?」

声は出せた。

鼻につくかび臭さに、ねっとりと纏わり付くような湿っぽい空気。

間違っても、自分が住んでいた部屋とは違うのを……後の「主人公」である鋼裂千夜は悟る。

「……え、何。拉致とか?いやでも縛られてないし……」

まずは犯罪面。見知らぬ場所で目を覚ましたんだ、疑うのはおかしくない。

しかし手首や足首など、違和感はない。縛られていた、という訳ではなさそうだ。

次に呼吸。擦れることもなく正常。心拍数の上昇は多少の緊張から、そう見受けられた。

「よっし……とりあえず、灯りでも探すか」

ポケットをまさぐる。

ぼんやりとした記憶を辿り、自らの服装が意識を失う以前の服装であると仮定した。なれた手付きでスマートフォンを取り出す。

……しかし、妙だ。

スマートフォンにしては……小さすぎる。

千夜自身が使っていたスマートフォンはお世辞にも小さいとは言えない。今手にした"何か"は、それに比べると大分小さく感じていた。

別の端末、にしては軽すぎる。まるで……っと。

そんな流暢な考えをしている暇はない。とにかく今は灯りを。

そう思った千夜は、手当たり次第に"何か"を触ると、側面にある電源ボタンらしきものを押し込んだ。すると、見慣れない画面が表示される。

これは……見たことも聞いたこともない言語だ。不思議と読める。

「ようこそ私の世界へ……?」

「はァろォ~?」

「わぁぁぁぁぁぁッ!?」

ゴンッ。

「ぷぎゅっ!?」

悲鳴と同時に出たのは防衛本能。人類の原始的攻撃方法である"頭突き"。

可愛らしい鳴き声と共に、何かが倒れる音がする。

「え、あ、え、すまん誰かよくわかんないが!」

取り乱しながらも冷静さを欠くことはせず、その場に留まりつつももう一度スマートフォンの電源をつけ、辺りを照らしながら見回す。先程の大きな物音に反して、周囲には誰もいない。

………柄にもなく大声を出した。緊張……で間違いないだろう。自分の居場所も満足にわからないのだから無理もない。

とにかく、今は場所の確認。出口の有無も重ねて確認。その為には……

「……身動きか……おい。さっきの奴……どこにいる?」

声を少しだけ張り上げる。それでも呼び掛けに応じる音も声もなく、辺りは再び静寂に包まれた。

……この際、慎重ではいられない。

もしこのまま動かずにいればそちらの方が危険だと踏んだ千夜は、足元をスマートフォンで照らしながらゆっくりと立ち上がる。その場で腕を広げ、周りに何も無い事を確認しつつ壁を探して歩を進めた。

程なくして壁は見つかる、が……

「腐ってる……木造?しかも苔まで生えてるな……」

所謂廃墟、という場所だろうか。

水々しい苔がこの纏わり付くような空気の正体……となると、カビ臭さはこの腐食した木材から……ふむ。

壁に背を向け、考える。

ここは俺の知らないどこかの廃墟。そして、俺の他にも1人、誰かがいる。

それともう一つ。……この苔は、少なからず花屋を経営していた自分の知っているものでは無い。

どこの世界に、変色し続ける苔が存在すると言うのか。

(……ダメだ、情報が不足している。何か、もう少し……)

思い悩む。壁に手を付き、思考を巡らせる。

夢ではない、それは先ほど頭突きをしてしまった誰かで証明ができている。痛い。

夢ではないとすれば?ここはどこで、この状況は誰が説明できる?

……考えても、埒はあかなかった。

千夜は一旦思考を止めると、もう一度あたりを見回す。スマートフォンの灯りで多少目が慣れてきたのか、そこそこに室内が見えるようになっていた。向こうには扉のようなものもある。

出るか、否か。廃墟に似合わず、つい最近まで使われていたような真新しい木製の扉。ドアノブは磨き抜かれ、まるで千夜を挑発しているように淡く光っている。

………と。

気付けば、扉の目の前にまで来ていた。

「……出てみるか……?」

思考が追いつくまもなく、吸い込まれるようにドアノブに手を掛けようとしたその時。

「触るの、やめといた方がいいよ」

部屋の灯りがついた。それと同時に振り向くと、そこには…?

「やぁ。初めまして、鋼裂千夜クン?」

ーーー目を、奪われた。

いや、視線と言うべきか。それはともかく。

千夜の視線は、余裕綽々といった感じで立ち尽くす女の子に、釘付けにされていた。

人とは思えない程鮮やかな銀色の短髪に、握ればへし折れそうな程……とまでは言い過ぎではあるものの、それほどまでに華奢で、透き通るような肌で覆われた肢体。自らのおよそ半分ほどしか無いのではないかと思ってしまうくらいに小さな体躯……絵に書いたような美少女、とはまさにこの事。

そんな彼女をまじまじと見ていた千夜に訝しげな視線を送る彼女は、徐に口を開いた。

「………変態」

その一言。返す言葉も無かった。

そりゃあ、まじまじと見つめた俺も悪いけど……などと思う暇もなく、彼女は口を開く。

「……初めまして、だよね?」

やれやれと言わんばかりに首を振った彼女は、千夜へと視線を送り始める。

その声色に、千夜に似た緊張は感じられなかった。

「……ああ、……初めまし」

「僕は優しいから、"さっきはよくも頭突きをしてくれやがったなこの腐れノッポ"なんて言わないよ?」

……言葉を遮るように、彼女の顔からは想像もつかないほどの罵倒が、千夜の胸を貫いた。罵倒というよりは、……至極当然の反応と言うべきか……。

しかしまあ、兎にも角にも前言は撤回。どうやら、絵に書いたような美少女である彼女は、誰かが考えたような可愛らしい設定を持ち合わせていないご様子。

貫かれながらも負けじと、渋い顔をした千夜は「あれはお前も悪い」と言いかけた。

そう、言いかけた。

以下彼女の心境である。

「いくら知らない場所とはいえ体格差のある女の子に頭突きって何さ?確かに悪ふざけも過ぎたよ?過ぎたけどだからと言って君が見惚れる程華奢で小顔な乙女の柔肌にどうして頭突きなんて出来るのか問い正したいし、そもそも君は僕より遥かに大きな男だよ?巨人だよ?見た感じ体格だってそこそこいいのに、腹筋なんて八つぐらいにに割れてるのに、そんな巨人が見知らぬ場所で目を覚ましたからっていくらなんでもビビりすぎじゃない?そんなんでよく女誑しとか言えたね?何?女の子に土下座でもしてオトしてたの?よくそんな貧弱根性で生きてこれたねこの妖怪エイトパック」

……撃沈。

貫くどころか切り刻まれたであろう千夜のハート。残りライフは0から飛んでマイナスへと振り切っていた。

本来であれば、なぜ俺の腹筋が八つくらいに割れている事を知っている?とか聞きかえすつもりだった千夜だが、怒涛の攻めに折れた心はその気力を残していなかった。

南無三。

「……ねぇ」

放心しきった千夜に、彼女は口を開く……その口振りには、先程にはない緊張感が感じられた。

流石の千夜、相手の声色に気付くとハッとし、言葉を返す。

「どうした?」

「……はぁ。気付かないとか、ちょっと君の精神構造教えて欲しいよ」

溜息を吐いた彼女は、そのか細い指先で明るくなった室内を指差す。

「アレ、どうも思わないの?」

「あれ、って…………っ!!」

……表現し難い。

それも当然。そこで千夜は、人生で初めて。

"溶けて死亡した人間"を認識したのだから。

「っーーー」

思わず息を呑む。

所々ヒトの形が残るソレは、生々しくも当然のように溶けていた。しかも焦げたということもなく、本当に溶けだしていたのだ。

陥没した目玉や口は、より一層生々しさを醸し出している。

「こ、れは……」

思いの外大きな衝撃に動揺を隠しきれず、口に手を当てた千夜。その瞳には疑問の色が浮かんでいた。

「……それは、人だよ。そのドアノブに触れたであろう、人」

淡々と切り出す彼女の目は、酷く荒んでいた事を覚えている。




それから。

落ち着きを取り戻した千夜は、彼女の傍らに座り込む。

「……要は、俺らよりも先に来た数人の男女は、あれに触れて溶け始めたと思えば息を引き取った、と……」

ちらりと横目でドアノブを見て大きく息を吐いた彼は、疲れたと言わんばかりに深々と項垂うなだれていた。

「そんなに項垂れたら、頭取れちゃうよ?」

適当な言葉をかけながら辺りの散策を始めた彼女にとって、死体なんてあってないようなものなのだろう。その証拠に、彼女は先程から溶けかけの死体を足蹴にしていた。

と。

「……お前、名前は?」

一連の出来事に流され、すっかり忘れていた。彼女の名前。

きっとスミレとか、カスミとか、とにかく可愛い名前なんだろうななんて、千夜の脳裏にそんな思いが過ぎるも。

彼女の口から出てきた彼女の名前は、人のそれとは違う気がして。

「シロ」

「……え?」

「御影シロ。ボクの名前ね」

「………」

犬かよ。千夜は確かに、そう思わざるを得なかった。

いや、ね?確かに見たことはあるよ?でもシロって。どっかの子供向けアニメでわたあめとかの芸覚えてるアイツかよ。

っとと、そうじゃなく。

気を取り直して、彼女……御影シロ、そう名乗った彼女を、まじまじと見つめる。

見れば見るほど、頬が赤く染まってしまいそうな程に、男子ならばほぼ全員が魅入ってしまいそうな程に、それ程までに、端整な顔立ち。体型はまあ、とある部分が残念とはいえども。ボクなんて口調で、男っぽく演出しているとはいえども。

彼女は、一目で分かるほどの美少女だ。

その名前がまるで犬そのものなのだから、当然、千夜は戸惑う。

自らの名前も、とある曲やその日の風景を参考に名付けられたとは言え。

流石に"シロ"は、聞きなれない。

「……はぁ」

と。しばしの沈黙で先に口を開いたのは、当の"シロ"だった。

「君の事だ、その顔から察するに犬みたいだとか、ポメラニアンだなとか考えてるに違いないよね」

図星をつかれた千夜は、思わず目を逸らして押し黙る。それを彼女は、迷いなく肯定と取った。

……ひとつ訂正するなら、ポメラニアンではなく柴犬。

「まあ確かに、ボクの名前は犬っぽいよ。自分でもそれくらいはわかってるつもり」

やれやれと肩をすくめた彼女は、その言葉の後に話題を切り替えた。

いや、元に戻したというべきか。

「ンな事より,君はここから出ることが最優先じゃない?ボクも出なきゃいけないし」

……あ。

程なくして千夜は口を開く。

「……出ると言っても、触れば人が溶けるドアをどうやって開けるんだよ」

忘れてたなんて、口が裂けても言えない。

けれど確かに、千夜の言ったことは正しい。触れば溶ける、そう話したのは彼女自身だ。

"そんな扉を、一体どうやって?"

千夜がそう考えるより先に、彼女は女子あるまじき言葉を言い放った。

「触れないなら壊せばいいじゃん」

「……は?」

「ふっ………せぇぇえええぇぇぇぃっ!!!!」

呆気に取られた千夜が次に聞いた音は、何かが砕ける音だった。おそらくそれは……

「……ふー………ほら、ね?開いた!」

砕け散った扉を背に、“スカッとした”と、そんな顔をした彼女に思わず。

「……まじかよ……」

そう呟いた千夜達には、とても眩しく久々に浴びたように感じる光が、惜しみなく降り注いでいた。

「ほーら、踏み出さないと始まんないでしょ?」

光の中から華奢な腕と小さな手のひらが伸びてくる。ほんの数時間前に出会った、彼女の腕が。小さな手のひらが。

俺の腕を迷いなく、掴んだ。

「……やれやれ、とんだじゃじゃ馬に出くわしたな」

「ボクとしては馬じゃなくて猫が良かったかなー。ってね?」

他愛ない会話から、俺達の冒険は幕を開けた。

今のはほんの、プロローグ。

遥か下に広がる西洋風の町並みを見ながら、二人が同時に叫んだ言葉は。



『どーやっておりんのぉぉぉぉ!?』



……先が思いやられそうだ。

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異世界で魔王を蹂躙してみた。 にーたん&朱兎本舗 @kosaki0419

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