ぽもすドロップス

@gau

先輩のぽもす

夕暮れのとき。ベランダにいる私は今日の先輩のことばを思い出す。


※※※


どたどたどた。制服を身に纏った私は、16畳ほどの四面ピンク色の部屋を走り回っていた。部屋の真ん中には3人くらいなら思い思いに寝返りをうってもぐっすり眠れそうな大きなベッドが壁にぴったりくっついて設置してあり、そのベッドの上半分は私が走るコースに組み込まれていた。コースといっても簡単なもので、ソファとローテーブルを端に追いやった部屋の中でいちばん大きく円になるところを走るだけ。走る長さは指定されていて、学校の私の教室から理科室までの長さを正確に思い出し直線にした長さだった。その長さをこのピンクの部屋1周ぶんの長さで割ると24個になる。だから私はこのピンクの部屋を24周する必要があった。あと21周。


どたどたどた。ぴょん。


走っている時の気持ちも先輩に指定されていて、1周に「好き」「好き」「好き」と叫び思うことが必須とされていた。

先輩から指定されることはいつも難しいものばかりだったけど、今日のはとても簡単だった。だって私は部屋を走り回るのが大好きだし、先輩のことはそれ以上に大好きだったから。


好き 好き 好き。


かぎかっこを付けるのを忘れた。でも今日はそんなミスも許される気がした。だって私の好きは本物の気持ちだもん!


楽しくなっていたらもう24周目になっていた。地形のリズムは体に馴染んでいた。どたどた走って、ベッドをぴょん。「好き」「好き」「好き」って、どたどたどた。24周目はコースが変わる。ベッドの右の、廊下の先の、洗面所に模した理科室に行く。どたどたどた。そして、途中の、ここだ!ここで、強く思う!

「まだ居て、まだ居て、まだ居て!」

私は理科室の扉の前に着いた。少しだけ息を整えて、扉を開ける。

ブレザーの制服を着ている先輩はもちろん理科室に居た。

「遅かったじゃないの」

先輩は優しい微笑みを浮かべて私に言うが、先輩のそのセリフは自前に渡された台本と違っていた。穴が空くほど暗記した台本には、遅かったね。と確かに書かれていた。

先輩がミスするなんて初めてのことだった。私はびっくりしたその表情が出ないよう気をつけ、"ルールその5・ミスしても続けるように"にのっとってセリフと演技を続けた。

「先輩!待たせてごめんなさい!」バッと勢いよく頭を下げる。ツインテールにした髪の毛先が顔に刺さり面白い。

「ううん、ぼくは今、来たところだから気にしないで。ところで、元気印川げんきじるしがわさん。用事って何ですか?」

私は、−−−っ!とやった。でも、台本に書いている気持ちの通りには出来なかった。元気印川のつもりが、私の−−−っ!になってしまった。台本"元気印川げんきじるしがわ留美るみの告白"に書かれていた、これから始まる愛の告白の発表に気後れする−−−っ!じゃないのをやった。私が今、やったのは、やったのはさ。


先輩。私、元気印川じゃないよ。たぴおかだよ。私の名前はね。たぴ岡ざめだよ。元気印川留美じゃない。元気印川が理科室に来たんじゃない。たぴ岡が、3時間3500円のピンクの部屋を24周して洗面所に来たんだよ。


の、−−−っ!だった。

でもそんな事先輩は気付かない。それはまるで、昨日初めてやったプレイス・ステーションのパラッパラッパッパというゲームの4面のムービーで、腹を下すパラパッパがうんこを我慢している苦悶の顔が、サニニちゃんにはとってもとっても男らしく見えていたときのようだった。


私は演技を続ける。

元気印川は言った。

「好きです」

「先輩とお付き合いして、デートを月に数回行いたい」

元気印川は気恥ずかしいのか左ツインテールをくるくるしている。

先輩は変わらぬ笑顔で元気印川の言葉を聞いていた。

「私が先輩を好きになったのは、顔が好みだったから。人相が良くて清潔感もあって、そういう所が欲しい。だから付き合って下さい。」

なんて告白の仕方だ。もっと、ロマンチックにしようよ。女の子だろ。これは本当にあった告白の再現なのか、それとも先輩の創作なのか考えてしまう。台本の表紙にはいつもと変わらずタイトルの上に"記憶再現シリーズ"と書かれている。今日のは実際にやってみると、創作を疑ってしまうな。

先輩は面食らった顔を直し、ドキドキして目をそわそわさせている元気印川の顔を見て、元気印川の名前を呼んだ。

「元気印川さん。ぼく、嬉しいです。ぜひ付き合ってください」

そして、先輩は元気印川の手を握った。


※※※


「誰だよ元気印川って」

私は自分の左手と右手をほどき、プレイス・ステーションにパラッパラッパッパのディスクを食べさせながら、やっと頭にあった言葉を声にのせて外に出した。顔も気持ちもとんでもなくぶすっとしていた。

こんなに嫌な気持ちになるのなら、"記憶再現シリーズ・元気印川留美の告白(種別:恋愛)"なんて断れば良かったんだ。でも、台本を渡されてぱらぱらと読んでいったらキスシーンがあったから断る選択肢は無かった。

先輩の記憶再現シリーズには私の他にあと2人登録者がいるらしい。私はいちばん早くに登録したから、全部の記憶再現シリーズに一度呼ばれ都合がつけば主演する。都合がつかなかったりすると2番目3番目の登録者にまわるらしい。らしいっていうのは、今まで一度も断ったことがないから2番目3番目の登録者に順番が回っていったことは無い。これからもずっと無いんだ。


※※※


理科室で元気印川の時は止まっていた。

さっき告白をした。そして先輩も私を大好きと言って付き合うことになったのだ。しかし、時が止まった理由はそれらではなく、今、彼女の体の一部、腕の先の手。その手が、先輩の手に包まれていたからだ。

元気印川のドキドキは更にピークに達した。先輩…と、とても小さな声を出すのが精いっぱいだった。

先輩は元気印川を抱きしめ、元気印川の顔を撫でる。

「ぼくも、元気印川さんの顔がとても好きだ。君が笑っているところを見られた日は良い1日を過ごせるんだ。」

その言葉は元気印川を納得させた。元気印川はとろんとした顔で先輩を見上げると目が合い、そこからのふたりの行動は一致し、元気印川のドキドキはもう観測出来なくなった。


−−−


「お疲れ様」

端に追いやった大きなソファに座りぽーっとなっている私に、先輩は声をかけ、淹れてくれた紅茶と封筒をテーブルの上に置いた。

「たぴ岡さん、今日もありがとう」

今は、こちらこそありがとうございますと思う事を返事とするのでやっとだった。元気印川のドキドキは私に引き継がれていて、言葉が出なかった。

あとは先輩が私の右側に座れば最高の1日は確定するが、そうでなくてもなかなかの1日だ。先輩が右側に座るのは私の演技にミスが無いときだ。今日はミスをしたからきっと左側だろう。

高揚感を凝縮させるために少しだけ目を閉じると、私の左側が沈み、なかなかの1日になったことがわかった。

砂糖が入った棒状の袋を千切る音が聞こえる。私は目を開かずに「今日はたくさん走って疲れました」と嘘をつく。先輩は「うん」と言った。

紅茶に砂糖を入れる音はすぐに消え、部屋は静かになった。


「たぴ岡さん、今日もミスが多かったね」

先輩が喋りはじめた。

多かったかな。かぎかっこ忘れが一回だけだと思っていたけど。

「うん。かぎかっこ忘れが2回。感嘆符も付けたところもあったね。24周走るところは25周になっていたよ。25周なら、理解準備室に行ったことになっちゃうよ」

走るのが楽しかったからとか、先輩の事が好きだからとかは言い訳にならない。指定が遂行できなければミスで、私は謝るだけだ。

「ごめんなさい」

「いや、いいんだ。でも、ぼくね、たぴ岡さんは恋愛再現シリーズが向いてないと感じているんだ。仕事再現や買い物再現はとてもよく出来るのに、恋愛になるとミスが頻発する」

そんなことは言われなくても自分でわかっていた。恋愛再現では私はもう何回も何回もミスをしていた。だって、先輩の事が好きなんだもん。先輩に向けて好きって気持ちを出せるのがとっても楽しくて、役に私をにじんでいた。滲んでも、先輩は私を見ないで私を見ながら、元気印川留美や坂之上さかのうえ千春ちはる油天晴あぶらあまはるりすを見て、滲む私をミスだって無視する。

今だってむすっとした気持ちを隙間から出しても、先輩は気付きもしないで言葉を続けた。

「だから、恋愛再現は別の登録者の人にやってもらおうかと考えているんだ」

先輩の言葉とは思えない言葉が私のどこかに聞こえて、頭や喉や心に刺さった。私はびっくりして体が軽くなり、その勢いで叫んでいた。

「それはだめです!」

「とってもいやです!信じらんないです!私はいちばん早い登録者なんです。2人目の登録者が出るまでの8年間、私だけだったじゃないですか!ルールブックにこう書きました!"1番目の登録者は全ての記憶再現の主演を出来る権利を有する"!そうやって決めたじゃないですか!」

私は、2番目の登録者が来てからルールブックに登録者の項目を作ることを先輩に要請した。1番目の登録者たぴ岡湯ざめの8年と同じシステムを維持しつつ、新しい登録者を受け入れるシステムの形だけを作った。私はこのルールを乱用して2番目以降の登録者を排除している。


「うん。そうやって決めたね。だけど、そのルールにはこうも書いているよね。"1番目の登録者が期待に添えない場合はその限りではない。"って」

「ぼくは8年もやってくれているたぴ岡さんだから、ここまで言わなかったんだよ。でも恋愛再現はやればやるほどミスが多くなってきた。謝礼金と釣り合わなくなってきてるんだ。もちろんそれ以外は最高の出来だからこれからもお願いしたい」

先輩が喋るほど、私の気は昂ぶって、ぶるぶる震える。

「私は謝礼金なんて、いらないと言った!先輩が受け取らないと困るっていうから受け取って、でも、一度も使っていません!それ全部返します。だから私をずっと使って下さい。ずっと!私だけ」

そういうことじゃないと先輩は言う。

「返されても困る。謝礼金のぶんだけぼくに権限が発生して、踏み込まれないでいられる。大事なんだ。ぼくは謝礼金以上の事は望んでいない」

「望んでくださいよ!」

「なんで!」

なんでって、その方が私に都合よく事が運ぶからに決まっている。私は先輩の言葉を全て無視し、私の気持ちをもう無視しないでと、ずっと胸に秘めていて月に1、2度先輩にいつも言っている言葉を叫んだ。

「私はずっと!ずっと!先輩が好きなんです!昔から、8年前から!会ったときから!会って何回か話して、5年前に好きになってからずっと好きなんです!付き合ってほしいっていつも思って!先輩が好きなんです!」

先輩の顔も見ずにぎゃあぎゃあ叫び、一瞬だけ落ち着いた私はこんな告白嫌だと思った。現在、60冊を突破したたぴ岡告白帳のどのページにもこんな告白のセリフは載っていなかった。だけど、好きだってやっと伝えられた。先輩は、先輩はなんて言うかな。なんて言う。

「えっ!8年前?5年前?どっち?」

どっち?なにが!今、私が好きだって、それが大事でしょう!

「先輩、そんなの!どっちでもいいこと!8年か5年なんてもう忘れてしまったでも今思い出しました!5年前に強烈に好きになって記憶が再構築されて8年前からも好きになった!とにかく!ずっと、ずっと好きなんですばかやろう!付き合ってほしい!デートしたい。なんで私にキスしたんだ」

「たぴ岡さん!ルールブックには"記憶再現でした事はフィクションであり、現実と混同しないこと"と書いてあるよ。だからぼくはたぴ岡さんとキスはしていないことになる」

「うるせえ!フィクションじゃない!それに、そこじゃない!触れるのはそこじゃない!私が先輩を好きって、付き合いたいってところに触れてください!」

違う!なんだこの告白の仕方は。元気印川の告白もきっとこんな風にわけわかんなくなってしまったから変になったんだろう。私が元気印川の事を考えたのは次に先輩が何を言うかわかっていたからだ。

「たぴ岡さん!ルールブックには更に…」

「はい。しっています!書いています。書きましたね!"登録者と恋愛関係に陥ってはならない"!私が決めたものです!他の登録者と恋愛関係になったら困るから…。うう」

「たぴ岡さん…」先輩は困惑しつつも私の背中をとんとんと叩き落ち着かせる。

「何か飲む?」

返事はしなかった。


背中とんとんのおかげで呼吸が整い、深く息を吸って落ち着いた。伏し目し、私の背中を叩く先輩の手を取り、先輩の顔を見る。もう一度。ちゃんと。

「先輩、好きです。私と付き合ってください」

先輩は悲しそうな顔をするだけで、何も応えるつもりはなさそうだったし、実際に10分待っても何も喋らなかった。


たぴ岡の 言葉虚しく 雲散し あとに残るは先輩の 悲しき顔と 沈黙かな


短歌がひとつできたので、気を取り直して声を出す。

「元気印川さんってどんなひとだったんですか?」

先輩は私の背中をさすりながら首を振る。「今日再現したことしか覚えていないから、笑顔が素敵な人だったんじゃないかな」

「そうなんですか。じゃあ、私と付き合ってくれますか?」

先輩はまた困った顔をした。

「じゃあ、じゃあ。私に好きって言われてどんな気持ちになりましたか?」


先輩は少し考えていた。

また黙っちゃうかなと思った先輩は口を動かし言葉を発した。それは、嬉しいとか恥ずかしいとかそんな気持ちだったらいいなと期待した私を裏切るものだった。


先輩は言った。

「スーパーぽもすな気持ちさ…」


先輩はひとつのぽもすを零した。

そんなようすの先輩を見て、私はまた気が昂ぶった。私だって、

「私だってスーパーぽもすな気持ちですよ!!」


そう叫んでベッドの上の電話を手に取り9番を押す。涙が込み上げる。フロントに繋がった瞬間相手の声を待たずに「1人先に出ます」と伝え、受話器を置いた。

制服を乱暴に脱ぎ捨て、さっきまで着ていた白いタートルネックのシャツと薄手の黒いカーディガンを羽織り、ボロボロ溢れる涙を拭く。ジーンズを履き、バックを掴んで財布を取り出し、1750円をローテーブルに放り投げた。外に出る頑丈な分厚いドアの前でスニーカーを履いているとドアノブの上にある緑のカバーに覆われた箇所がカチャと鳴った。

先輩が動く気配は無かった。

それから私は振り返らず、ピンクの部屋を後にして家まで走った。


先輩のアホ!先輩のアホ!


そうやって先輩への漠然とした悪口を思い言いながら、心の別のところでは

スーパーぽもすな気持ちって、いったいなんのことだろう。と思っていた。

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