日曜日の午睡 - Winifred Bierce (3)

「……珍しいな。君が技術提供を渋るとは」

「だけど、やだ。やだよ。あたしは、シスルを塔に持っていきたくない。シスルが他の人に弄くられるの、見たくないもん」

 その言葉に、ミシェルは目を見開いた。実際、シスルも意外だった。今まで一度も自分の作品に執着する素振りを見せなかったウィニフレッドが、初めて見せた一面だったから。

「義体の設計図とか、脳との接続方法とか、作り方ならいくらでも教えるよ。だけど、シスルはダメ。ダメって言ったらダメ」

 ウィニフレッドの言葉は、理由などない、子供のわがまま。だが、ミシェルは苦い顔をしながらも、すぐには彼女の言葉を否定しなかった。ウィニフレッドを否定しない代わりに、シスルに視線を向ける。

「なら、君は――どうかな? 我々に協力する気はないかな」

 シスルは、息を飲んだ。

 一体、どう答えるべきなのだろう。微笑むミシェルと、頬を膨らませて俯いてしまったウィニフレッドを交互に見て、それから、溜め息混じりに答えた。

「まあ、ずっとウィンの世話になってるわけにもいきませんし、国の研究に貢献できるというなら、それはそれで、悪い話ではないとも思います」

 びくりと身体を震わせるウィニフレッドと、俄然紫苑の瞳を輝かせるミシェルに対し、シスルは、口元にうっすらと笑みを浮かべ、それでいてきっぱりと、断言する。

「しかし、きっと、誰もがこの中身を知りたがるんでしょうね。はっきり言わせていただきますと、生きたまま全身をバラされたことを思い出せば、もう二度とそんな目には遭いたくありません」

「……なるほど、それは一理ある。辛いことを思い出させてすまなかったね」

 ミシェルは苦笑して、音もなく立ち上がる。茶と茶菓子にはほとんど手をつけないまま。ウィニフレッドは意外そうに「行っちゃうの?」と首を傾げる。すると、ミシェルは軽く肩を竦めてみせた。

「どうやら、私は君だけでなく、シスルくんにも嫌われてしまったらしいからね。だが……ウィニフレッド、わかっているね。そう悠長なことを言っても、上は待ってはくれない」

「うん。わかってる、つもり。そろそろ、顔くらいは出すよう」

 ウィニフレッドは曖昧に微笑んで、身体の割に小さい手で紅茶のカップを包み込むように持つ。ミシェルはじっとそんなウィニフレッドを観察していたようだが、やがて簡単な別れの挨拶を投げかけて、部屋を出て行った。

 その後姿が完全に見えなくなってから、シスルは全身の力が抜けるような虚脱感に襲われた。別に、何をされたわけでもない。ただ、あの男の姿、視線に宿った光、声のトーン。その全てが、シスルの脳裏に嫌なイメージをちらつかせる。

 自分が一度ばらばらになった、その瞬間のイメージを。

 ウィニフレッドは、一気に紅茶を飲み干すと、ソファの背に腕をかけ、爪先に引っ掛けたスリッパを揺らす。

「だいじょぶ、シスル?」

「大丈夫。少し、疲れただけ」

「怖いこと、思い出しちゃった? ミシェルも性格悪いよね、わざわざあんなこと言うなんてさ」

「……大丈夫。大丈夫だから」

 もし生身であれば、閃いては消える赤いイメージに酷い吐き気を覚え、痛む頭をかきむしっていたかもしれないが、機械の身体はシスルの動揺を反映するにはあまりにも鈍すぎた。それがよかったのか悪かったのかは、シスル自身にもわからなかったけれど。

 ウィニフレッドは、ぴょん、とソファから立ち上がる。ところどころが汚れた白衣を揺らし、ほとんど同じ背丈のシスルの顔を覗き込んだ。

 きらきら煌くかんらんの瞳が、シスルの顔を不安げに映しこんでいるのを見て、シスルは、反射的に視線を逸らしていた。その顔は反則だ。他意がないとわかっているだけに、虚勢を張り続けるのも難しい。

 だから――無理やり、話を逸らすことにした。

「それより、よかったのか?」

「何が?」

「アイツ、塔の偉い博士じゃないか。そいつの話を突っぱねて大丈夫なのか」

「だいじょぶだいじょぶ。シスルには、絶対に手を出させないから」

「違う、私じゃなくて、アンタが」

 言いさしたシスルの下唇に、ぴたりと指先を当てる。柔らかな指先の感触に戸惑っていると、ウィニフレッドは白い歯をむき出して笑う。

「おねえさんに任せれば万事オッケーなのよ。もう少し頼って欲しいなあ」

 そういうことじゃない。そういうことじゃないんだ。

 そう叫びたかったけれど、きっと、叫んだところでウィニフレッドは笑って取り合ってくれない。それがわかってしまうだけに、シスルは言葉を飲み込んでしまう。本来放つべき言葉の代わりに、軽口を叩いてしまう。

「もう少し、頼りがいのある態度を取ってくれるなら、考えてやってもいいよ」

「えへへー、ごめんねっ」

 全然悪いと思っていない様子で頭を下げたウィニフレッドは、顔を上げてじっとシスルを見つめる。

「ねね、シスル、あれ、何の話してたの?」

「あれって何だ?」

「サムライ、とか剃刀、とか」

「ああ、旧時代のサイ・ファイに、そういう女が登場するんだ」

「ふうん、いいねえ、かっこいいねえ」

 ウィニフレッドはにたりと笑う。何となく、嫌な予感を覚えてシスルは釘を刺しておく。

「寝てる間に仕込むなよ」

「んー、剃刀もお洒落だけど、やっぱりドリルが捨てがたいかなーって思うよ」

「仕込むなよ! 形だけでも人間のままでいたいんだ!」

 念を押すと、ウィニフレッドは頬を膨らませて、「ぶーぶー」と鳴いた。

 この女は、本当に大人なのだろうか。確かに、ウィニフレッドの年齢を直接聞いてみたことはないが、彼女の経歴を聞く限り、三十路は超えていないとおかしい。身体は大きいものの顔立ちが幼く、言動も子供そのものだから、普段は全く意識していないが……たまに、その事実に思い出して空恐ろしくなる。

 だが、その何ものにも囚われない心が、ありとあらゆる奇跡を生み出してきたことは、間違いないはずだ。

 人として大切な何かが、決定的に欠けているからこその『天才』。それが、ウィニフレッド・ビアスという女のあり方だとも、言えた。

「そうそう、シスルにね、見せたいものがあったのだよ」

 そのまま作業場に戻ると思われたウィニフレッドは、ぺたぺたとスリッパの音を立てて作業場の扉をくぐると、すぐに戻ってきた。手の中に、やたら派手な色の何かを抱えて。

「じゃじゃーん!」

「……何これ。鸚鵡?」

「鸚鵡じゃないよ、フロックスだよー」

 フロックス。シスルと同じく花の名前だ。地面に鮮やかに咲くちいさな花。その名のとおりの鮮やかな……否、鮮やかすぎるショッキングピンクの羽を持つ機械の鸚鵡は、ウィニフレッドの腕の中で眼を閉じて丸まっている。

「で、何なんだ、これは」

「シスルの身体をちょちょいと直してくれるロボットだよう。シスルってば、最近よく怪我して帰ってくるからさあ。あたしがいなくても、応急処置くらいはできないと困ったことになるなあ、って。いつもグレゴリーには頼めないでしょ?」

「ああ……確かに、そうだな」

 身体が自由に動くようになってきた頃から、シスルはウィニフレッドの制止を振り切って、戦闘技術を学び始めていた。元々戦闘用ではないといえ、つくりものの身体は生身の人間よりも身体能力に優れ、無理を可能とする。その能力を生かすなら、荒事に関わる仕事につくべきだとシスル自身が思い定めていたのだ。

 ……異常な経歴とつくりものの身体を持つシスルが、まともな仕事につけるはずもない、と言った方が正しいかもしれない。

 ともあれ、ウィニフレッドに頼ってばかりもいられない、というのがシスルの見解だった。身体の維持にウィニフレッドの協力が必要不可欠とはいえ、ずっと彼女の庇護を受けている気はなかった。

 ずっと庇護を受けられるとも、思っていなかった。

 誰も、何も言わなかったけれど、それだけは確かなことだったから。

「触ってもいいか?」

「いいよいいよ。はい、どうぞ」

 目を閉じたままの鸚鵡を、受け取る。

 フロックスは思ったよりずっと軽かった。これでどうやってシスルの身体を整備するのだろう、と不思議になるが、この天才の造ったものだから、きっと上手くやるのだろう。

 手袋を嵌めたままの手で、そっと鸚鵡の頭を撫でる。力を入れすぎて、傷つけないように気をつけながら。温もりのない、完全なる機械仕掛けの鸚鵡は、どこまでも穏やかな表情で眠っている。

 この子は、一体、どんな声で鳴くのだろう。

 そんなことを思っていると、ウィニフレッドの声が響いた。

「……シスル」

「何だ?」

「これで、きっと、だいじょぶだよね」

 何が、と言いかけて、言葉を飲み込む。

 ウィニフレッドは笑っていた。けれど、その手は長いスカートの布地をぎゅっと握り締めて、震えている。

「ウィン……」

「ごめんね、シスル。あたし、シスルとずっと一緒にはいられないんだよ」

 突然の告白に、シスルは完全に声を失った。

 ずっと一緒に、いられるはずもない。それは、ウィニフレッドに命を助けられた時からわかっていた。だが……ウィニフレッドの瞳に宿った、いつになく強く、それでいて今にも壊れてしまいそうに揺れる光に射すくめられ、動けない。声が出ない。

「変だね。最初は、誰だっていいと思ってたんだよ。君があの時『生きたい』って言わなかったら、きっと別の子を選んでた」

 ウィニフレッドは、今にも泣き出しそうな顔で、しかし、あくまで笑顔を失うことはなく。

「だけど……君と一緒に暮らしてるうちにね、思ったんだよ。君がシスルでよかったなあ、って。君がそこにいて、元気にしてるのを見てたら、初めて自分の作品を手放したくないって思ったの。不思議だねえ、これが、親の気持ちなのかな。君の未来を思うと、この辺がね、ぎゅっとするのよ」

 よれたセーターの胸元を握り締める。そのちいさな手を、シスルは自然と己の手で覆っていた。ウィニフレッドは、「へへ、シスル、変な顔してる」と無理やり笑ってみせてから、ぎゅっとシスルの手を握り返す。

「今なら、君を助けられてよかったって、胸を張って言える。これから先も、君に生きていてもらいたい、って、心から思うんだよ」

 だから、何も不安に思わなくていい。あたしが、君を守ってあげるから。

 ウィニフレッドはそう言って、細い両腕でシスルを抱きしめ――薄い唇に、そっと口付ける。ぼさぼさの赤毛からは、微かな薄荷の香りがした。

「生きていてくれてありがと、シスル。大好きだよ」

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