日曜日の午睡 - Winifred Bierce (2)

 客間……と言っても、そこはガラクタ置き場のようなものだった。申し訳程度に脇に寄せられた、シスルには用途が全くわからない機器に囲まれ、来客用のソファとテーブルが居心地悪そうに身を縮めている。

 そして、一人掛けのソファに腰掛けた女が、棒切れのような足をぶらつかせながら、盆を持ったシスルの姿を認めて大きく手を振っていた。

「ありがとー、シスル!」

 屈託なく笑う家主の肩の上で、燃えるような赤毛が揺れている。それを視界の端に捉えながら、シスルの視線はあくまで、家主の正面に座った客人に向けられていた。

 白髪交じりの金髪を撫でつけた、痩身の男。年のころは五十代に入るか入らないか、といったところか。身に纏っている服は決して豪奢なものではないが、袖や襟がしっかりとしていて、決して安物でないことは一目でわかる。

「おはよう、ございます」

 軽く会釈をして、盆をテーブルの上に置く。今度は、先ほどの花瓶のようなことはあってはならないと、手の位置と指の運びに気を遣いながら。すると、客人の男が感心の声を上げた。

「なるほど……君が、シスルくんか」

 無駄のない動きで立ち上がると、軽く頭を下げて言う。

「初めまして。私はウィニフレッドの同僚で、《鳥の塔》総合研究室所属、環境改善班主任のミシェル・ロードだ。よろしく」

「よろしく」

 長ったらしい肩書きの自己紹介と共に、握手を求めて差し出された手に、軽く手を重ねる。ミシェルは、紫苑の両眼を細めて満足げに笑んだ。

「君の噂を聞いて、一度でいいからこの目で見てみたいと思っていたのだよ。ウィニフレッドの最高傑作、塔でも未だ実用化に至っていない完全人型義体。素晴らしいね、どこからどう見ても生身の人間にしか見えないよ」

「……そう、ですかね」

 言葉の端々に混ざりがちの癖を、意識して抑えこみ。シスルは、曖昧な微笑みを浮かべて言った。ミシェルはシスルの頭の先から爪先までをくまなく観察していたが、やがて真正面からシスルの顔を見つめる。

「変わった眼鏡をかけているね」

「感覚器官も人並みに調整してもらったんですが、視力だけは上手く働かなくて。外部から補正かけてるんで、外すに外せないんです」

 嘘はなく、しかし本来の意図は何一つ織り交ぜずに説明する。果たして、どれだけ信用されたかはわからないが、分厚いミラーシェードに意識を向けていたミシェルは、軽く肩を竦めてみせた。

「おや残念。硝子の瞳がどれほど綺麗か、見てみたかったんだが。『モリイの眼が何色か、結局わからなかった。見せてくれないんだもの。』というやつだな」

「かのサムライを気取るなら、爪の間に剃刀でも仕込んでもらえばよかったですかね」

 シスルもおどけてミシェルの揶揄に応じる。ただ、家主がぱっと目を輝かせたのを横目に見てしまって、まずいことを言ったと思う。完全に冗談のつもりだったのだが、この女は本気でやりかねない。

 そんな家主の態度に気づいているのかいないのか、ミシェルはソファに腰掛けなおして、家主と向き合う。シスルは、ミシェルの意識がこちらから離れたことに安堵しつつ、茶を注ぐと家主の後ろに立った。

 膝の上で指を組み、ミシェルは穏やかな微笑みを湛えて言う。

「さて……ウィニフレッド。私がここに来た理由は一つ。わかるかな」

「そろそろ休暇は終わりにしろー、って?」

「その通り。君が突然長期休暇と洒落こんだせいで、いくつものプロジェクトが足踏みしている」

 家主――《鳥の塔》総合研究室に名を連ねる博士、ウィニフレッド・ビアスはぷくーと頬を膨らませて言った。

「あたし一人がいないと進まないプロジェクトってのも、どうなのかなあって思うよ」

「まあまあ。あの事件で、私もしばらく謹慎を喰らっていたからな。上も遅れを取り戻そうと必死なんだろ」

「あの事件……ねえ。結局、あれってどういう事件だったの? 《種子》が、示し合わせて脱走を図ったってのは聞いたけど」

 すると、ミシェルは少しだけ眉を寄せて、ちらりとシスルの方を見た。ウィニフレッドもそれに気づいて「あっ」と口元に手を当てた。ただ、それはシスルから見ても酷くわざとらしい所作だった。

 シスルは微かに口元を歪めて、二人に向かって問いかける。

「あー、私は席を外した方がいいかな」

「……いや、構わないよ。他に誰が聞いているわけでもない。君の胸の中に閉じ込めておいてくれるなら、それで」

 ミシェルはいたずらっぽく人差し指を唇の前に立てたが、紫苑の瞳は、決して笑ってはいなかった。シスルは背中に冷たいものが走っていくのを感じながらも、平静を装って頷いた。

 結構、と口元だけで微笑んだミシェルは、再びウィニフレッドに視線を戻して続ける。

「事件としては、君が言った以上でも以下でもない。自由を求めた結果、彼女らのことごとくは死んだ。捕縛に向かった兵隊も、生きて帰ったのは一握りだ」

「何だかやるせないねえ。ミシェル、あの子たちにそうとう酷いことしたんでしょ? そうじゃなきゃ、あんな事件起こらなかったよ」

「客観的に見ればそうかもな。だが――必要なことではあった」

 そうかな、とウィニフレッドは首をかしげながらも、小さな口でラングドシャをさくさく咀嚼する。ミシェルは「わかっていただけなくて結構だ」と言って、シスルが注いだ茶に口をつけた。

「失ったものは、また集めればいいだろう。あの子を失ってしまったのは手痛かったが……今回の事件は、彼女らに関する貴重なデータをもたらしてくれたのだ、悪いことばかりではない」

「相変わらずポジティブだねえ、ミシェルは。あたしには真似できないよう」

「私も、君の真似はできないがな。君のように――たった一人で、塔の持つ全ての技術を上回るような真似は」

「やだなあ、ミシェルってば。買いかぶりすぎだよう。くすぐったくなっちゃう」

 くねくねするウィニフレッドをよそに……「買いかぶりではないよ」、とミシェルが呟いたのを、シスルの鋭敏な聴覚は確かに聞き取っていた。そこに混ざった感情は、純粋なる羨望。

 シスルは、外周に位置する辺鄙な屋敷で、奇妙な研究に打ち込むウィニフレッドしか知らない。彼女が塔でどのような立場にいるのかは、実際にこの目で見たことがないために、噂と彼女自身の言動から想像することしかできない。

 だが――シスルは無意識に己の胸を押さえる。規則正しく動く心臓、生身と違う部分はあるものの、ほとんど自在に動かすことができる四肢。それを、ウィニフレッドという女は鼻歌交じりに造ったかと思えば、たやすく他人に与えてしまう。そうして出来上がったシスルは、ウィニフレッドが生み出した一個の「作品」としては最もわかりやすい部類であるといえた。

 彼女にとって、己の手で生み出したもの、そのものに意味はない。試行錯誤を繰り返し、一つのものを誕生させる「過程」のみが、絶対の価値判断基準だった。

 その結果が、このガラクタ屋敷だ。塔では彼女の作品がどう扱われているのか知らないが、ウィニフレッドが個人的に作成したものは、成功作にしろ失敗作にしろ大概誰かの手に渡るか、屋敷の片隅に投げ捨てられる。それらを、ウィニフレッドが顧みることは、決してなかった。

 そんな彼女独特の性質は横に置くとしても、生まれながらに、神にも等しい創造能力を与えられた彼女に対して、羨望や嫉妬の念を抱くのは、ものを創る人間からすれば当然とも言えるのだろう。

 しかし、ウィニフレッドはそんなミシェルの思いに気づいた様子もなく、もぐもぐと口を動かし続けている。口の端に、菓子の欠片をつけたまま。

「……ウィン、ついてるぞ、口」

「あ、ほんとだあ。えへへ、ありがとねー、シスル」

 白衣の袖で口をぬぐって、にっと歯を見せて笑う。シスルは、そんなウィニフレッドに呆れた視線を向ける。もちろん、ミラーシェードに隠されて、ウィニフレッドにもミシェルにも、シスルが呆れていることは伝わらなかったとは思うけれど。

 ミシェルは軽く咳払いをして、話を元の方向に戻す。

「とにかく、君には塔に帰ってきてもらわなければならないのだよ、ウィニフレッド。もちろん、シスルくんと一緒に」

「……私と?」

 予感はしていたが、それでも、思わず声に出してしまった。ウィニフレッドも笑みを消して、長い睫毛に縁取られたかんらん石の瞳を丸くする。

「シスルも? どうして? これはあたしが個人的に造った作品だもん、塔は関係ないよ」

「彼に使われた技術は、今、塔が最も欲しているものだ。全身義体の技術を塔にもたらされれば、怪我や病で身体の一部、もしくは大半を失った者を一人でも多く救うことができる」

「そりゃそうだけど……やだ」

 ウィニフレッドは、眉を寄せて言い切った。

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