木曜日の背走 - Echelle White and Corde Bluek (2)

 数分後……シスルは頭を抱えたい気持ちだった。

 さすがに、この容姿で、荒事を請け負う仕事の、しかも名前さえ知らなかった人間に声をかけられて、ホイホイお茶についてくるとは、いくらなんでも、危機管理能力が低すぎる。てっきり「それはできないわ」とでも言って、素直に帰ると思っていたというのに。一体、親はどんな教育をしているのだか……。

 ともあれ、言い出したのは自分である。まあ、たまには女の子を鑑賞しながらの優雅なティータイムも悪くないか。……とシスルは、無理矢理自分を納得させた。

「珈琲? 紅茶のほうがいいかな?」

 シスルが問いかけると、エシェルが先に反応する。

「あっ……紅茶のほうが」

「私は珈琲のほうが好ましいです」

「……じゃあ、どっちも飲めそうなところに行こう」

 シスルはざっとこのあたりの地理を思い返し、あれこれ考えてみた。とはいえ、そもそも喫茶店に当たるところは少ないし、ここからは少々、距離がある。挙句、ある知り合いの家に思い当たった。

「木曜は非番だったよな、確か」

 そう呟いてシスルは、二つ先の角を曲がった。


 

「で、どーして女学生なんかナンパしておいてわざわざ俺の所に来ようと思うかなこの変態ハゲ野郎は……」

 こざっぱりした服装の青年が、呆れた調子で言った。

「仕方ないだろう、年の近いお前がいるほうが安心だ。あと別にナンパってわけじゃないからな。制服女子を二人も拝めて眼福眼福、とか思ってないし」

「思ってるんだろこのハゲ頭!」

「お嬢さんたちには珈琲と紅茶をそれぞれ。私は水でいいから。よろしく」

「は? ウチは喫茶店じゃねーんだぞ」

「ま、そこを何とか。ほら、お嬢さんたちも寒そうだし」

 シスルは、向かいの椅子に座っている少女たちを示した。二人はびくっと体を震わせて、こちらに顔を向ける。

「……ったく。お前は自分で入れろよ。つうか水も勿体ねえよ。必要ないくせに。金取るぞ」

「別に金は払ってもいいぞ。その代わり、それなりのものを要求するがな」

「おま……ウチは喫茶店じゃねえんだからな?」

「じゃあ、友人のよしみで頼もう」

「誰が友人だ、誰が」

 諍ううちに、若干肩身の狭そうな、金髪の少女の声が割って入った。

「あのう……早く話を……」

「というわけで頼んだぞ、ソータ君」

 部屋の主である板前見習いの青年は、シスルをキッと黄金色の瞳で睨んだが、それ以上はもう何も反論せず、キッチンへと向かった。「だいたい、珈琲と紅茶ってどういう了見だよ。香りが混ざっちまうじゃねえか。あー……冷えてんのとあったかいのどっち?」愚痴の後半は、少女たちに向けられる。

「えっと、温かいので」

「珈琲は温かいままでお願いします」

「じゃあ、私もホットでお願いしよう」

「おいそこのハゲ」

「それで、本題に入ろうか」

「……ったく」

 シスルは懐から葉巻を取り出し、携帯発火装置で火を点けた。紫煙がゆるやかに立ちのぼり、テーブルにつく少女たちとシスルとの間にいくらかの距離を作り出す。青年のほうからまた厳しい視線が飛んできたが、それも一瞬きりで、特に何を言うこともなかった。

 穏やかに換気装置の回転する音と、ガスの噴出する音が、暫時、ほどよく整った部屋を支配する。室内に置かれた物は最低限だったが、不思議に多いのは雑誌の類いだった。よく見てみれば、どれも酒類か料理についてのものだ。勉強熱心なことだ、とシスルはこっそり微笑ましい気持ちに包まれる。

 シスルとかかわった人間には、奇矯な境遇の者が多い。台所で茶葉と睨み合う青年も、そのうちの一人だ。まあ、奇矯といえば、シスル自身だって十分すぎるほどに奇矯なのだが――

「頼みたいことは単純なの」

 思考の海へ、少女の声が鮮やかに立ち入った。

「ほう」

「あたしたちを、町の外に連れていって」

「町の外に?」シスルは、無い眉毛を上げた。「……別に、勝手に出て行ったらいいだろう。私にわざわざ頼むことじゃない」

「勝手に出て行けないから頼んでるのよ。私たちだって、そこまで愚かじゃないわ」

「……事情を聞かせてもらおうか?」

「……」

 エシェルは、コルドと呼ばれていた短髪の少女を見た。コルドは薄い唇を引き結んでいたが、黒い瞳をかすかに大きくして、口を開いた。朗々とした声音が、身分をはっきりと感じさせる。

「私たちは、上級学校の学生です。そして……私たちの両親は、それなりに地位のある人間です」

「だろうね、それくらいは言われなくたってわかる」

 シスルは興味なさげに口を挟んで、葉巻の煙をもう一口、飲み込んだ。

「私たちの体内には、生まれたときから、安全管理を兼ねた身分証明用のICタグが埋め込まれています。もし町の外壁に近づこうものなら、すぐに父たちの部下が追ってきてしまいます。そして、私たちには彼らを振りきって外に出る力はありません。ですから、彼らの手から私たちを守ってください。外に出してください。――用件は、それだけです」

「なるほど、言いたいことは分かった」

 色の薄い唇から、ごっそりと煙が吐き出された。

「……だが、断る」

 言った瞬間、二人はぽかんとした表情でシスルを見つめた。

 何を言われたのか分からなかった、という顔だ。しかし、やがてエシェルが、机を威圧的に叩いて立ち上がった。

「まだ話を聞いたばかりじゃない!」

「悪いが私は、成功が確約できない依頼と、自分の命が……自分の実力に関わらず、確実に危うくなる依頼は、受けないことにしている」

「だからっ、お金だったら」

 エシェルはシスルの方へ身を乗り出した。シスルはそこで、赤々と燃える葉巻をエシェルの灰色をした眼の前へ突き出した。エシェルは咄嗟に身を引き、シスルはその場で手を止める。

「そういう話をしてるんじゃない。だいいち、自分で稼いだこともないお嬢ちゃんが、お金ならお金なら、なんて繰り返すんじゃないよ。それとも今から、体で稼いでみるかい。そんな子、この界隈にはいくらでもいるんだよ。――さっき私が背負っていた男、アイツだってそうだ。危険だと分かっていても、死ぬような目に遭ってでも、抜けられないだけの理由がある。私みたいな外れ者に頼まなきゃ、木曜日には医者にもかかれないような奴さ。アンタたちくらいの年でとっくに、殺されかけてるし、何人も殺してる。そうじゃなきゃ、ああいう場所で、あの年まで、五体満足には育てない。それに、」

 シスルは一度、言葉を切った。人工の肺に、空気を補給する。

「――もちろん私だって、そうさ。アンタくらいの年には、とっくに手を血で染めてた。首を掻き切り、内臓を抉り、半身不随にさせたこともあれば、アンタたちの想像も付かないような奇怪な化け物が、人を丸ごと噛み砕くのだって、この目で見てきた。……そう、今この葉巻を、アンタの綺麗な眼球に押し付けたら、きっと二度と、あの塔の姿さえ拝めないだろうね」

「……っ!」

 シスルはそこで目線を外し、葉巻を口元に戻した。

「……冗談さ。このくらいで怯えてるようじゃ、まだ内周を出るのは早かったみたいだね。早いとこ、おうちに帰りな」

「エシェ……」

 言いさしたコルドを泣きそうな顔で睨んでから、エシェルはそれでもまた立ち上がり、シスルに向き合った。

「あなたにはわからないでしょうけど、あたしたち、もう息が詰まりそうなの。このまま窒息して死んでしまいそう。あたしたちはいつも大人に振り回されてる。毎日が、ただ過ぎていくだけ。親が気にするのは、あたしたちの成績とか進路とか態度とかそんなのばっかりで、あたしたちが本当に何を望んでいるかなんて……あたしたちがどんな風に生きていたいかなんて、一度も気にしたことがない。何を言っても無駄なの。何を言っても、下らない、の一言よ。あたしたちは、必死なのに。ちゃんと、生きてるのに。――コルドと会えるまで、あたしの世界はずっとずっと灰色だった。それが、やっと色づきそうなの。この大きな檻を出られれば、きっと全部が変わる。あたしたちらしく、あたしたちの生き方ができるはずなの!」

「根拠のない妄想だ、よく言っても夢想だな」

「あなたにはわからない、って言ってるでしょう。起きてから眠るまで、いいえ、眠ったあとさえも……一から十までずうっと管理された生活がどんなものか、あなたには絶対にわからない。たとえ学校を出ても、仕事に就いても、それを辞めても、私たちは死ぬまで、塔の手の内を出られないのよ!」

「そんな人間、この世界にはごまんといる。君たちの周りにいる人間もみんな、そうだろう」

「それが嫌だから……」

「頼みたいなら、別の奴にでも頼むことだ。誰かいるならな」

 こぽこぽと、湯の沸き立つ音が静かに部屋を満たした。

「なら……体で払えば、受けてくれますか」

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