木曜日の背走 - Echelle White and Corde Bluek (3)

 台所で、陶器の割れる涼やかな音が響いた。

「は?」

「コルド……?」

 シスルとエシェルが、コルドのいかにも大人しげな顔を見つめる。彼女は変わらず、奇妙に真面目な調子で、淡々と続けた。

「若いというだけで価値になるのであれば、……若さというものが生命的リソースとして価値を保証されるのなら、それも厭いません。体で払えと言うなら、私にはその覚悟があります。それで、私とエシェルを逃がしてくれるというなら」

「待ってくれ、そういう話をしてるんじゃない」

「そういう話でしょう。貴方は、私たちが世間知らずで外のことを分かっていないからという理由で、私たちの依頼を断ると仰っています。なら、私たちが外のことを理解すれば、いいのでしょう。手ずから稼いで、外がどんな世界かを知ることができれば、それで」

「極論だ」

「しかし正論です」

「正論がいつでも正しいわけじゃない。正論というのは、むしろ往々にして認められない」

「……正論を求めよと、私たちは言われて育っています。それが通じないなら、私たちは一体どうすればいいというのですか。そんな状態で、私たちはどうやって生きればいいと? こんな引き裂かれそうな状態で、私たちはどうやって私たちらしく生きられますか。それとも、一度でも押し倒されれば、本当の私たちがわかりますか? それなら、それでもいいんです。教えてください。私たちは私たちだと。簡単に埋没してしまうような、取るに足りない存在などではないのだと」

 面倒なことになったな、とシスルは机に肘をつき、葉巻をはさんだ手の端で、生白い側頭部を支えた。

「……仮にそれが正しいとしたって、口先だけならどうだって言える。私たちみたいな商売は必ず前金をつけるんだ。何でかわかるかい。言葉なんか信用してないからだ」

「なら、行動で示せば問題ないということですね」

 コルドは何の前触れもなく、突然胸元のリボンを引き抜いた。

そしてセーラー服の脇のボタンを外し始める。ぷちぷちと、小気味よいばかりの音が響いた。そしてメガネを外して机に置き、次はセーラー服を脱ぎにかかる。

 エシェルが唖然とした表情でそれを見つめ、シスルの顔とコルドのほうを見比べていたが――意を決したように、自分の胸元からもリボンを引き抜く。板張りの床に、真っ赤な布が横たわった。ついでに靴を脱ぎ、ハイソックスを落とす。おお、生足。と、シスルは心の中で歓声を上げた。

 ほとんど自棄に近い様子で、二人はそそくさと衣服を体から離していく。セーラーを脱ぐと、下の清純そうなブラウスがあらわになった。少女らしい柄の下着が、そこから透けて見え隠れする。そしてブラウスのボタンを、さらに外していく。

 シスルは黙ってそれを見守っていたが、

「おいハゲ」

 と言いながら、いつのまにか台所から戻ってきていた青年が、二人の腕をぐいと勢いよく掴んだ。少女たちは目をぱちくりさせて、錆色の髪の青年を逆さに見つめている。

「強要してないからって調子乗んな」

「別に、進んで見せてくれるみたいだしさ?」

 シスルがにやりと笑うと、青年はあからさまに嫌そうな顔をする。

「てめ……そのままにしとく気だったな。ったく、アンタらもこんなツルッパゲの挑発にホイホイ乗ってんじゃねえよ。ほら、ぼーっとしてねえでとっとと着る!」

 青年はぱっと手を離し、地面に落ちたリボンとセーラー服を少女たちに押しつけた。少女は戸惑いながらもそれを受け取り、二人の顔を見比べながら衣服を元に戻し始める。

「脱がれても私は、おまえと違って手出しできないんだがな」

「こらそこ、語弊のある表現は控えろ。それから、手出しできないってのも詭弁だろうが。生物学上は無性だからって、盾にすんじゃねえよ」

 その言葉を聞くなりエシェルが、ハイソックスを半分穿いた手を止めて、急に頭を上げた。ごちん、といい音がして、彼女の整った指が、自分の頭といささか仲良くなりすぎた机を押さえ、やっと再び顔を上げる。

「むせい、って……性別がないってこと? あなた、一体……」

「……それは企業秘密さ、お嬢さん」

 シスルは、曖昧に笑った。

「だって……染色体の構造はどうなってるの。YYじゃ足りないでしょう? そんな構成の仕方……」

 シスルは一瞬すごい顔をしかけたが、何とか軽い咳でごまかして、話題を切り替える。

「まあ……詳細はさておき、残念ながら私がお嬢さんたちの裸体を拝んだところで、精神的満足以上のものは手に入らない、ってのは事実だよ。……たまには、いいものが見られるかとは思ったんだけどな。私の部屋に来てもらえばよかったかな」

「……騙したんですか」

「そっちが、勝手に解釈しただけだろう。最初っから受ける気はないと、はっきり言ったはずだしね」

 シスルは、肩をすくめる。レディに対してこういう意地悪を言うのはいささか気が引けないでもなかったが。

「これ以上、食指も動かないような子供と遊んでる暇もないな。お茶でも飲んで、帰った帰った」

 シスルは葉巻を深く吸い込んで、ミラーシェードの下の視線を床に外した。

 それを確認した青年が、台所に取って返し、ゆるやかに歩を進める。練習しているのか、本職のウェイターと言っても申し分ない、しっかりとした足取りだった。

「……はい、お待ちどうさん」

 ごとっ、と重苦しい音が響いて、マグカップが二つ置かれた。片方には黒い液体がすでに入っている。もう片方は空っぽで、青年が手に持ったポットから黄金色の液体を注いだ。

「紅茶の方はホワイトノーブル、コーヒーは悪いがインスタントだ。銘柄も知らねえ」

「ありがとうございます」

「……いただきます」

「おい、私の方はないのか。沸いてるんだろう」

「ちょっとは待ちやがれ」

 シスルは肩をすくめて「冷める前にどうぞ」と、少女たちに促した。二人は、それぞれに口をつける。

 コルドの目がくるりと丸くなった。エシェルもエシェルで、大きな目をぱちくりさせている。

「おいしい」

 声を揃えて言うと、顔を見合わせて楽しそうに笑いあう。柔らかそうな唇から、丁寧に磨かれた白い歯がこぼれて光った。

 ……こういう、無菌の中の幸福だって、あっていい。

 シスルは眩しい光源を見るように、ミラーシェードの下の瞳を細めた。

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