木曜日の背走 - Echelle White and Corde Bluek (1)
「ごめんな、旦那あ。女背負うならともかく、俺なんかじゃ余計に重たいよなあ」
「気にするな、これが仕事だ」
「意外と優しいんだな、旦那」
「意外は余計だ」
今日は、医者が休みだ。どうしても掛かりたいとなると、内周の年中無休でやっている総合病院に駆け込むしかない。うまく良心的な医者の当番日だったら、身分を気にせず診察を受けられる。
仕事柄、曜日感覚を忘れがちなシスルの元にも、ときどき、内周まで患者を送り届ける、というだけの依頼が持ち込まれる。たいてい、そういう人間はあまり大きな声では言えない類の負傷を負っているのだが……他人の命がかかっているとなると、そうそう嫌とも言えないのが、シスルの人情でもある。そんなわけで今日もグラサンスーツなお兄さんから頼まれて、病院まで一人の若者を背負っていく羽目になった。
内周と外周の行き来じたいは、それほど厳しく規制されているわけでもない。もともと明確な境界線がない両地域の、中間地帯のような部分には、内周の雰囲気から逃れてきた偏屈者や、内周と外周を繋いだりまたいだりするような仕事をする人間(たとえばシスルの知り合いである郵便屋の少女など)は、塔に深く通じているとはいえ、塔からの依頼もスラムからの依頼も受けているため、その中間地帯に住んでいる。
とはいえ、そもそも外周の人間にとっては内周などただのお偉いさんの集まりだったし、外周の
翻って内周の人間はというと、むろんスラムと化した外周になどわざわざ足を運ぼうとしない。彼らは高度な電子システムと、いつでも綺麗に洗濯された服と、清潔で美しい調度品に囲まれている。物物交換の経済が入り交じり、洗濯は数日に一回、家にあるのは最低限の家具、それさえもまだあればマシという外周の住人とは、まさに住む世界が違う。そして外周の更に外、中央隔壁を除いた終末の国の広い大地など、もはや同じ国の大地だとすら思っていない。《鳥の塔》の膝元たる内周は、いわばノアの箱舟だ。選民だけが暮らす、荒れ果てた終末世界の箱舟。
むろん中央隔壁、すなわち裾の町だけが終末の国ではないことを、自身が外周の住人だから、という理由に限らず、シスルはよく知っている。ほかの隔壁、あるいは隔壁の名さえ持たない場所にさえ、人やその他の命は息づいている。そして同時に、それらの場所を知らずに一生を過ごす者が存在し、逆に内周のような生活を知らずに死んでいく者が存在するのだということも知っていた。
しかし、それについて是非を問う趣味は、シスルにはない。
「助かったよ、禿頭の兄貴」
「禿頭は余計だ禿頭は。それは本当に感謝してるのか」
「ごめんごめん、それのが通じやすくて……じゃ、あとはウチの迎えが来てるから。ほんとにありがとな、薊の旦那」
「今度からはちゃんと急所外して怪我しろよ」
「怪我するなって言ってくれよ」
「なら、足を洗え。それが一番早くて確実だ」
そりゃあ無理な相談だよ、とシスルの背から降りながら青年は笑う。わかってるよ、とシスルも苦笑混じりに返す。
「そんじゃあ」
もう二回三回と頭を下げ、青年は仲間に引き取られていった。
残されたシスルは、ふと溜め息をついて、唐突に言う。
「で、何か用なのかな。お嬢さま方?」
「えっ」
振り向いた先には、ネイビーブルーの制服が二つ。そのうち背が低く金髪を伸ばした少女が、思わず、といったように声を上げたところだった。
少女は隣にいたもう一人の少女――おかっぱというには不思議な髪型で、しかも変わった髪の色をしているが、これは暗赤色とでも言えばいいのだろうか――に小声で噛みつく。
「ちょっとコルド、何でバレちゃったのよ」
「エシェルが声を出したからよ。通り過ぎればよかったのに」
「そんな、あたしのせいだって言うの?」
「そういうわけじゃないわ」
「そう言ってるじゃない!」
「あー……お取り込み中悪いけど」
シスルは手を軽く振りながら割って入った。
「私も暇なわけじゃないんだ。病院から尾けてきてたのはわかってるから、何か用があるなら手短に頼むよ。……見たところ、別に私を暗殺に来たって風でもないし」
そう言うと、エシェルというらしい金髪の少女が、ダークグレイの瞳をぎょっとしたように丸くした。
「あ、あ、暗殺なんてされるの、アナタ」
「場合によってはな」
「…………あ、アナタのこと、いろいろ聞いたわ。いろいろ、やってくれるんですってね。何でも屋みたいなもんだって」
「正確には、請負業とでも言って貰えればいい」
「ところで、お名前は?」
シスルは胸のうちで大爆笑した。だが、それを表に出さぬよう、努めて冷静に問う。
「……ちょっと待った。名前も知らずに素性だけ調べたのか?」
「だ、だって……その……」
「なんだ」
「な……何でも屋のハゲがいる、って……」
「とりあえず、それ言った奴を一発殴ることから始めようか」
「だ、だめっ。言わないって約束なの」
「ちっ」
おどけて口で舌打ちを再現するシスルに、金髪の少女は表情を再び整えてから言った。高貴な血筋らしい、いかにも下の者に対するときのような気配が、ふと少女の姿勢から放たれた。
「アナタに頼みたいことがあるの」
「何でも屋とは言っても、タダでボランティアしてやるってわけじゃないんだけどな?」
「馬鹿にしないで、わかってるわよ。報酬は用意してあるわ」
「……お嬢さんたちの可愛さに免じて、話だけは聞いておこうか。ここでもなんだから、薊のおにいさんがお茶でもごちそうしてあげよう。外周だから、品質は保証できないが」
「薊?」
「ああ。私の名は、シスルだ。それ以外の呼ばれ方はない。少なくとも、今は、な」
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