水曜日の迷夢 - Kuchinashi (4)

    § 4


 

「最後の伝言だ」

 梔子は「そうかい」と言って、視線でシスルに言葉を促した。

 最後の伝言は、あまりにも簡潔だった。


 

 親愛なるあなたへ。

 その挑戦、受けて立ちましょう。今度こそ、吼え面かくのはそちらですよ。

 それでは、その時まで、お元気で。


 ――エリック・オルグレン


 追伸、返信は不要です。


 

「全く、怖いもの知らずのおぼっちゃまにも困ったもんだ」

「その怖いもの知らずの血は、アンタにも流れてるだろ」

「同じ血といえ、成功作と失敗作の間には雲泥の差があるよ。要は『一緒にするな』ってことさ」

 言う梔子の表情は、それでも、いつになく晴れやかなものだった。シスルがそう思い込んでいるだけかもしれないが。

「そういえば、アンタの欠陥って何なんだ? 私には、アンタに致命的欠陥があるようには見えないんだが」

「簡単さ。私には生殖能力が無いんだ。行為は可能だが、子を成すことができない。だが、ガーランドは、人類の進化形として繁殖していくことに意義がある……そういうことさ」

「なるほど」

 以前、自称エリック・オルグレンは自虐的に言っていた。「無菌室で管理されるげっ歯類に、どうして恋情などという不必要な感情を付与したのでしょう」と。その時には全く意味のわからない言葉だったが、つまるところ、彼らガーランドは繁殖すら塔に管理されている、ということなのだろう。

 そんな、常識から外れたところにある世界を、シスルが知らないわけではない。けれども、やはり、理解はできなかった。

 それでいいのだとも、思っている。

 梔子は、シスルの苦手な甘い香りの煙を眺めながら、誰にともなく呟いた。

「奴は、本当にわかってるのかねえ。自分の言ってることの意味を」

「わかっているだろうよ。アンタは奴を莫迦というが、そこまで致命的な莫迦じゃない」

「ああ――知ってるよ」

 梔子は、静かに言った。畳の上に落ちた影が、音もなく揺れる。シスルは、黙ってそれを見つめていた。

 豪奢な服に身を包み、闇の奥底に息を殺す花冠の姫。その瞳が見据えるのは、遥か遠く。ここではない、どこか。終わらない牢獄の夢の、その先なのかもしれない。そして、オルグレン氏は、彼女をその先に導こうとしている。

 そこに立ちはだかるものは、きっと、何よりも高い。それでも彼は諦めることはないのだろう。梔子が持つ埋み火と同じ熱を、その瞳の奥に宿している限り。

 横に座るシスルの耳元に甘い煙を吹きかけて、梔子は艶やかに笑う。

「ま、精々お前さんも、始末されないように気をつけなよ」

「……そう簡単にくたばる気はないさ」

 シスルもまた、不敵に笑ってみせる。実際、梔子の秘密を知ったところで、それを利用しようなどという考えはシスルにはない。仮にそれを理由に狙われるとしても、それは普段シスルが冒している危険と、さして変わりはない。

 できれば、塔に関わる案件は避けたいところだったが、半分は己から望んでここまで首を突っ込んでしまったのだ、逃げ腰でいるのもおかしな話だ。

 ともあれ、これで依頼は済んだ。メッセンジャーの役目を終えた以上、ここにいる理由はない。腰を浮かせて、別れの言葉と共にその場を去ろうとした、その時だった。

「ああ、ちょいと」

 梔子に呼び止められて、シスルは振り向く。伸ばされた梔子の手には、ちいさな包みが握られていた。

「……持ち出しは、禁止されてるんじゃなかったか」

「なあに、私に押し付けられた、って言えば諦めてくれるさ。私を怒らせたら怖いってことは、誰もが知ってるんだからね」

 にやり、と梔子は笑う。シスルも、つられて笑ってしまいながら、素直に包みを受け取って外套のポケットに滑り込ませる。包みは、とても軽かった。

「それじゃ、元気で」

「ああ、お前さんも」

 あっさりとした別れの言葉と共に、シスルは梔子の部屋を後にした。当然、出口のところで梔子から包みを受け取ったことを咎められはしたが、梔子の言葉をそのまま伝えると、蒼白になってシスルを送り出してくれた。

 店を出たところで、貰った包みを手の中で開く。

 そこには、簪があった。梔子の頭を飾っていた重々しいものではなく、ごく質素な簪。その先端には、白い花が四つ、連なって揺れていた。決して、大輪の花ではない。ひっそりと、谷間に咲くというちいさな花。

「嫌がらせか、これは」

 シスルは、己の禿頭を撫でて唸る。揺れる花を見ているうちに、梔子の押し殺したくつくつ笑いが、その向こう側から聞こえてきそうな気がした。

 けれど、心底不快なわけではないことは、確か。自然に口元に浮かぶ笑みを隠そうともせず、シスルは簪に向かって呟いた。

「本当に……花冠の連中は、性質が悪い」

 そして、梔子が煙管でそうしていたように、簪を指先でもてあそびながら、提灯の灯りに照らされた歓楽街に背を向けた。


 

 その後、シスルが梔子の消息を知ることは、ついぞなかった。

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