月曜日の狂騒 - Alicia Fairfield (2)

   *  *  *


「シスル! お願い、匿って!」

 激しい呼び出しのチャイムの後、シスルが扉を開けた瞬間に飛び込んできたのは、鮮やかな蜂蜜色の髪を頭の上で縛った女……アリシア・フェアフィールドだった。額には汗を浮かべ、やけに切羽詰った様子でシスルを見据えている。

 そんなアリシアに、シスルは、きっぱりと宣言した。

「却下」

 一瞬、アリシアの顎がかくんと落ちた。だが、立ち直りも早く、すぐにシスルの仕事着――体の表面をぴったり覆うボディスーツの胸元にすがりつく。

「ちょっと、ひどい! 友達でしょ!」

「友達だからこそ、ここははっきり言わせてもらう。帰れ。当たり前のように私を巻き込むな」

「遠慮なく頼れるのはアンタだけなの!」

「少しは遠慮しろ……って勝手に入るな!」

 一瞬前までべったりとシスルの胸にくっついていたはずのアリシアは、いつの間にやら立ちはだかるシスルの横を抜け、部屋の中に足を踏み入れてしまう。

 いつも……そう、いつもそうなのだ。何やら厄介事を抱えては、決まってシスルが家にいる時に、厄介事もろとも飛び込んでくる。そして、気づいた時にはもう、シスルもその厄介事の歯車の中に組み込まれてしまうのだ。

 だが、その不毛すぎる連環はそろそろ断ち切られなければならない。シスルとて、何よりも命が惜しい。その大切な命を危機にさらすレベルの厄介事を持ち込む疫病神は、とっとと追い出さなければならないのだ。

 シスルの脳内で疫病神のレッテルを貼られていることも知らないアリシアは、軽やかな足取りで部屋の奥に歩みながら言う。

「相変わらず殺風景な部屋ね」

「うるさいな」

 勝手なことを言うアリシアに対し、無い眉を寄せて不愉快さを表現するシスルだったが……アリシアの言葉は、厳然たる事実でもあった。

 集合住宅の二階に位置するシスルの部屋は、一人暮らしにしてはそれなりに広い。だが、安物のカーペットを敷いた床の上には、パイプと板を組み合わせただけの小さな机と椅子、決して造りのよいものとは言えない寝台が一つ。それだけだ。

 箪笥や棚の類もなく、収納は部屋の奥にある作り付けのクローゼットで事足りていた。

 ――本当は、床下に大量の武器を隠しているのだが、それは教える理由もない。

 とにかく、シスルの部屋は人が暮らしているとは思えないほどに殺風景だった。ある意味では「人ではない」シスルらしい部屋とも言える。

 許可も得ずクローゼットを開けたアリシアは、中に押し込まれたほんの少しだけの仕事着と、本来服が入るはずのスペースをことごとく占拠する本の山に驚きの声を上げていた。そんな、金色の尻尾を揺らす背中をミラーシェード越しに睨む。

「とにかく、さっさと帰ってくれ。どうせ、また塔に喧嘩売ったんだろ?」

 うっ、という声と共にアリシアの動きが固まる。やはりか、と思いながらも、今回ばかりは言葉を選びながら、できるかぎり低い声で言う。

「アンタが、一人で塔の後ろ暗い部分を追いかけるのは勝手だ。だが、私には、あんな馬鹿でかい相手とどんぱちやらかす理由がない。わかるな、アリシア・フェアフィールド」

「……っ、なら」

 振り向きざま、アリシアが高い声を上げかけたところで――

 チャイムが、鳴った。

「来たっ」

 アリシアがびくっと身を震わせて、反射的にクローゼットの中に隠れようとする。シスルは、どうしてくれようかと一瞬思いはしたが、結局「入ってろ」とアリシアの背中を押してクローゼットの戸を閉めた。

 二度目の、チャイム。

 意識してゆっくりと玄関の扉を開く。扉の前に立っていたのは、細身の黒い背広を着込んだ、若い女だった。背広の襟には、翼のバッヂが輝いている。銀の翼は、国の中枢機関鳥の塔の象徴であり、この女が塔の代行者であることを示している。

「突然の訪問、失礼する」

 威圧的な言葉遣いは、もしかすると、塔の連中の特徴なのだろうか。どこかで見たような女をくまなく観察しながらも、シスルの意識は部屋の奥、クローゼットの中に潜むアリシアに向けられる。

 塔絡みだと踏んだのは間違いではなかったようだが、果たして、今回はどんな理由で追われているのだか。内心の呆れを表情に出さないように努力しつつ、女に向かって言う。

「塔のお嬢さんが、何の用かな。仕事の依頼、というわけでもなさそうだが」

「ここに、アリシア・フェアフィールドが来ていないだろうか」

「……アリシア?」

 すっとぼけてみると、女は無表情ながらも、深い青の瞳に明らかな苛立ちを滲ませて言った。

「そうだ。以前もここに逃げ込んでいただろう」

 以前、この部屋にアリシアを匿ったことは、既に伝わってしまっているようだ。匿いたくて匿ったわけでもないのだが。前回も、もちろん今回も。

 シスルは、溜め息を……演技ではなく、心からの溜め息をついてから、言った。

「今日は見てないぞ。しかし、一体何をしでかしたんだ、奴さんは」

「塔の進入禁止区域に立ち入った容疑がかけられている」

 その程度にしては物々しいな、とシスルは苦笑する。

 もちろん、女が言葉を選んだことはシスルにもわかっている。要は、塔にとって不都合な事物を、記者たるアリシアが調査し、記録したということなのだろう。

 女は、シスルの茶々を聞かなかったことにしたのか、淡々と、しかし有無を言わせぬ圧力を込めて言葉を続ける。

「本当に、見ていないのか」

「見てないって。そんなに信じられないなら――」

 シスルは、自然な風を装って、視線を部屋の奥に向けた。これで、アリシアが己からボロを出すならその程度ということ……思いながら、言葉を放つ。

「別に、中を見てってもいいぞ」

「そうか。では、確かめさせてもらう」

 これで「そこまで言うならいないのだろう」と言ってくれるなら楽だったのだが、さすがに、そう簡単にごまかされてくれる相手ではなかった。

 だが、シスルとて、これで素直に帰ってくれるとは思っていない。

 女は、土足で――そもそもこの部屋は土足で上がるつくりではあるが――シスルの部屋に上がり込む。そして、シスルは開け放したままになった玄関の扉を閉めようとしたところで、声を上げた。

「おい、あれ、アリシアじゃないか?」

「何?」

 一旦は部屋の中に向きかけた女の意識が、玄関側に戻されたのを確かめて、シスルは扉の外に顔を出した姿勢で言う。

「あっち、走ってたぞ」

「あっちってどっちだ」

 一緒になって顔を出した女に、指で方向を示してやる。それが真っ赤な嘘であることまでは気づかなかったのか、女はシスルに向き直って、軽く頭を下げた。

「協力、感謝する」

 協力というより、妨害だけどな。

 内心でそんなことを呟きながら、シスルはひらりと塔の代行者を見送って……その姿が完全に見えなくなったのを見計らって、部屋の奥に声をかけた。

「行ったぞ」

「っつあああ、寿命縮んだあああ!」

 途端に、ばたーんという派手な音とともにクローゼットの扉が開き、アリシアが転がり出てきた。

「焦った……本気で売られたのかと思った……」

「実際、あそこで騒いだらそのまま連れてってもらうつもりだったがな」

「あたし、そこまで馬鹿じゃないって」

「馬鹿じゃなきゃ、こうも毎度毎度塔の怖い人に追われることはないと思うんだがな」

「ううっ、持病の癪がっ」

「黙れ。とにかく、今のうちに出てけ。これ以上詮索されたらごまかしきれん」

 シスルは指先を振るジェスチャーで、「帰れ」という合図をする。その意味がアリシアに伝わらなかったとは思えなかったが、アリシアはその場から動かなかった。

 遠い昔に失われた花、紫苑の色を咲かせた瞳で、じっとシスルを見据えたまま。

「シスル」

「何だ」

「依頼をしたいの。あたしを、顧兎新聞社まで護衛して」

「……高いぞ。塔が絡む以上、尚更だ」

「知ってる。だから、出世払いで」

 あっさり言い切ったアリシアの額を、シスルはぺちんと手の平ではたく。

「それはタダと同義だ。却下に決まってんだろ」

「えええ、シスルつめたーい」

「お前……お前なあ……っ」

「冗談よ。前金で五十、成功報酬二百五十」

 合計三百。それは、確かにシスルの中の相場に照らし合わせても――塔の連中とやり合う、というリスクを考えても妥当な額といえた。同時に、三流紙の新聞記者が一括で払えるような金額でもないことも、確か。

「……出せるのか?」

「娘思いの親父に、今ばかりは感謝することにする」

 アリシアは、言葉に反して、明らかな嫌悪を瞳の奥に揺らしていた。

 ――シスルは、アリシアの父親を知らない。

 娘とは別々に暮らし、アリシアの母の葬式に顔を出すでもなく、いつも危険に身をさらしている娘を心配するわけでもなく。ただ、外周と内周の狭間に一人で暮らす娘の口座に毎月大金を振り込むだけ、という話を聞いたことがあるだけで。

 そして、話が父親のことに及ぶと、アリシアは必ず今と同じ顔をする。アリシアの話を信じるならば、父から与えられた金は、今まで一度も口座から引き出されたことはない、はずだ。アリシアは母が亡くなる前から、己の記者としての腕一つで生計を立てていた。それが、家庭を顧みない父に対するささやかな反抗であるかのように。

 そのアリシアが、己のプライドを捨ててでも、助けを求めている――いや、どちらかといえば、最も譲れないものを守り通すべく、つまらない拘りをかなぐり捨てた、という方が正しいか。

 そのために振り回される身としては、たまったものではないが……シスルは、息をついて言った。

「わかった、それで請けてやる。全く、お人好しなおにいさんに感謝しろよ」

 一度そうと決まってしまえば、後は準備をして、さっさとここから出なければならない。寝台の横に投げ出してあった、仕事用の鞄を手に取った時、不意に声がかけられた。

「……あのさ、アンタって」

「何だ?」

 どこかためらいがちなアリシアの言葉に、今更何だというのか、と思ってそちらを見ると、アリシアは大きな目を更に見開いてシスルを見ていた。けれど、やがてにっと白い歯を見せて、笑った。

「ううん、何でもない。ありがと、シスル」


   *  *  *


「……そういや、アイツ、あの時何言いかけてたんだろ」

 口の中で呟いて、さくり、とクッキーを噛む。

 ミセス・ラングレーは、穏やかな微笑みを湛えてシスルの話を聞いていたが、シスルの話が一旦途絶えたところで、微かに表情を曇らせ、自分のカップを両手で包み込むように手にした。

「アリシアさん、まだ諦めていないのね」

「諦めていないも何も。あの諦めの悪さは、どうにかならないもんですかね」

「難しいお話ね。確かに、塔の動向に関しては、疑問に思うことも多いけれど……」

 ミセス・ラングレーの視線が、小さな窓の外に向けられる。建物と建物の間に聳える《鳥の塔》が、ここ――外周の片隅からでも見てとれる。塔の表面にはテレヴィジョンが張り巡らされ、国営放送を垂れ流している。

 流石にその内容まではここからでは判断できないが、ふと、テレヴィジョンを睨むアリシアの姿を思い出す。金色の尻尾を埃交じりの風に揺らして、大地を踏みしめて立つ後姿が、瞼の裏に閃いて消える。

「ミセス・ラングレーは、どうして、アリシアがああも塔に執着するかご存知で?」

「いいえ。噂だけなら、色々と耳にはするけれど」

 その中には、当然、酷く無責任な噂も数多く混ざっているだろう。ミセス・ラングレーの暗い表情からも、それを察する。

 アリシア・フェアフィールドの生業は、基本的に招かれざる領域に足を踏み込み、知られるべきこともそれ以外も、わけ隔てなく暴き立てる類のものだ。当然、それを望まない者からは疎まれ、時には知ることを望んでいる者すら、彼らのやり方を厭う。

 特に、アリシアが属する顧兎新聞社は、二割の大げさすぎる煽りと八割のガセネタで構成された、新聞としての役割を果たしているのか極めて怪しい新聞を世に送り出すことで知られている。そんな新聞社の記者が、世間によい顔で迎え入れられているわけがない。

 だが、だからこそ――塔が目も向けないような、虚構に満ちた記述の合間に、鋭い真実の刺を仕込めるのだろうけれど。シスルはそんなことを思いながら、口の中に残ったクッキーを紅茶で飲み下す。

 ミセス・ラングレーは、そんなシスルを真っ直ぐに見つめたまま、ぽつりと言った。

「シスルさんは、ご存知なの?」

「……いいえ。実は、本人の口から聞いたことは無いのです。色々と、推測の材料はありますけどね、それは、多分私の口から語るべきことではない」

 だから、今は――月曜日の出来事を語るだけ。

 アリシアがテレヴィジョンの向こうに見据えていたものを、思い出しながら。

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