月曜日の狂騒 - Alicia Fairfield (1)

「ありがとう、すっかり助かっちゃったわ」

 柔らかな香気に満ちた、小さな部屋。その部屋の大きさに合わせたサイズの、角に細かなレース模様が刻まれたテーブルには、陶器のポットと、二つずつのカップとソーサーが置かれていた。これも普通見られるものより小ぶりで、しかし、ところどころに施された繊細な金のラインや、シスルが力を入れればすぐに割れてしまいそうな薄さは、それらが優れた技術によって作られたものあることを示していた。きっと、どれもが今のこのご時世ではかなりの値打ちで取り引きされるのだろうな、とついつい考えずにはいられない。

 それらの持ち主である初老の女性は、盆の上に焼き菓子を載せてシスルの前に現れた。調度品と同じように小さな体と上品そうな雰囲気を漂わせる女性は、盆をテーブルの上に置こうとしたところで、「あら」と声を上げた。

「ごめんなさい、食べられなかったかしら」

 シスルは「いえ」と微笑んだ。目を保護するミラーシェードを外すわけにはいかないから、せめて「笑っている」ということがわかるように、意識して頬の筋肉を使って笑顔を見せる。

「食事が必要ないだけで、食べるという行為は可能ですし、好きなんですよ。いただいてもよろしいですか?」

「ええ、よかったわ。きっと、二人じゃ食べきれなかったから」

 ほっとした表情になる女性を見上げていると、いつになく穏やかな心持ちになる。殺すか殺されるか、という日常に生きるシスルにとって、柔らかく過ぎゆく時間に生きる人の見せる表情は、暖かなものとしてシスルの胸の中に入り込んでいく。

「そういえば、お孫さんは?」

 普段、女性のそばにつき従う、赤毛にそばかすの少年の姿を思い浮かべながら問いかけると、女性は困った顔をして言った。

「今日は友達の誕生日らしくて。一日出かけているの」

「なるほど」

「だから、何でも屋のあなたに頼っちゃったんだけど……迷惑だったかしら?」

「そんなことありません。他でもない、ミセス・ラングレーのお願いですから。このような素敵な報酬までいただけるとあれば、どんな仕事でも喜んでお受けいたします」

 いつもお世話になっている身としては、報酬もいらないくらいですが――とシスルが言うと、正面の椅子に腰掛けて、女性……ミセス・ラングレーはころころと笑った。

「でも、これは、私から何でも屋さんへの『依頼』だもの。当然、あなたは正当な報酬を受け取るべきだわ」

 シスルも請負業を生業としている身だ。プライベートで世話になっている相手でも、正当な形で依頼されてしまっては、やはり正当な形で仕事をこなし、報酬を受け取ることになる。

 それが、古書店の掃除という、普段の血腥さからあまりにかけ離れた仕事であろうとも。

「でも、報酬がこんなものでよかったのかしら」

「『二人でお茶を(Tea for two)』。金銭ではどう足掻いても手に入らない、最高の報酬ですよ」

 軽くカップを上げてみせる。すると、ミセス・ラングレーはおかしそうにくすくすと笑った。別に冗談のつもりはないのだけれど、と思いながらも老婦人に微笑みを返す。

 ここ……シスルが部屋を借りている建物は、外周でも極めて奇妙な建造物として知られている。煤けたサイコロをいくつも重ねたような姿をしていて、普通ならばありえないような場所に窓や階段が取り付けられている。どうやって人が暮らすのだ、と思いたくなる見かけだったが、実際に暮らしてみると心地よい。

 その心地よさは、建物が生み出しているだけでなく、お互いに深くは干渉せず、それでいて連帯感をゆるやかに共有している居住者の意識にもあるのかもしれない。

 ミセス・ラングレーも、その一人だ。この老婦人はちょうどシスルの部屋の真下に当たる部屋に住まい、小さな孫と共に細々と古書店を営んでいる。紙とインクの香りを好む「古風な」読書家であるシスルにとって、この物件を選んだ理由の一つが、彼女の営む古書店だったともいえる。

 また、ミセス・ラングレーはシスルの異様な見かけや後ろ暗い仕事を気にすることなく、本を愛する「同志」としてシスルを受け入れていた。かくして、シスルは暇さえあればこの古書店に入りびたり、時にはこのように、店主と穏やかなティータイムと洒落こむわけだ。彼女と過ごす時間は、とても心地のよいものだったから。

 手製の焼き菓子を一つつまみ、口の中に放り込む。機械仕掛けの体に、食物の経口摂取は意味がない。意味はないが、つくりものの歯で菓子を噛み締めるさくさくとした感触は、好ましいものだった。かつて、自分がいつもそうしていた、ということを思い出させてくれるから。

 ……味覚がまともに備わっていないため、正しく「味わう」ことができないことだけが残念ではあったが。

 ミセス・ラングレーはシスルが飲み干した紅茶のカップに、さりげなく新たな紅茶を注いでくれる。天井に取り付けられたランプの明かりがほの赤く小さな世界を照らし、時計の針がゆっくりと流れる時を刻む。

 そんな、いつになく平穏な時間を噛み締めていると、ふと、ミセス・ラングレーが口を開いた。

「そういえば、先週だったかしら。随分上が騒がしかったけれど、何かあったの?」

「ああ……あれですか」

 シスルは露骨に表情を歪めた。老婦人の言葉に、思い当たるフシがあったからだ。紅茶で唇を湿し、意識して苦笑を浮かべる。

「実はこの前、アリシアが突然うちにやってきましてね」

「アリシアさん……顧兎新聞社の記者さんよね? あなたのお友達?」

「ええ。ドクター・ビアスの下にいた頃に顔は合わせていたのですが、先日、色々と話す機会がありましてね。それから、何だかんだで親しくなったんですよ」

「あら、そうだったの。あの子、よく店に来てくれるのよ。きっと、あなたとも話が合うんじゃないかしら」

「そうですね。アイツと話すのは、なかなか面白いです。ただ……どうもアイツに関わると、ろくなことにならなくて。先週も酷い目に遭いましたよ」

 すると、ミセス・ラングレーは灰色の目をきらりと輝かせた。それは、子供のように無邪気な好奇心。

「そのお話、聞いてもよいのかしら?」

「誰かに話したいと思ってたところなので、聞いていただけるなら嬉しいですね。まあ……ただの愚痴になってしまうとは思いますが、それでよければ」

 カップを置いて、指を組む。

 さて、どこから話すべきか――思いながらも、シスルは薄い色の唇を開いた。

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