梅乃木氏と樫木先生
「良かれと思ってしたことが、相手を傷つけることがあります」
「は? 樫木先生、何か仰いましたか?」
「いえ、ね。梅乃木さん……ほら、このうろの中……見えますか?」
「別の木の幹でしょう? 可哀相に、こいつの腐っちまったのをいいことに、乗っ取りやがって。もっと早く気付いて、さっさと腐ったところを全部綺麗にしてやっていれば……」
「違います。梅乃木さん、違うんです。空胴の中の、朽ちたものは取ってはいけないんです」
「いけないって、先生……。放っておいたら、本当に腐って、折れっちまいますよ!」
「梅乃木さん、このうろの中の幹みたいなものは、不定根といって、この木自身の根っこです」
「根っこ? 幹の中にですか?」
「ええ、腐って柔らかくなった自分の幹を養分に、木が自分で、下へ下へと『成長』するのですよ」
「なんですって?」
「不定根が地面まで降りて、充分な太さになると、本当の幹になります。芽が出て、枝が出て、やがて花が咲く」
「それじゃぁ私のしたことは……」
「……あまり気になさらないでください」
「私はこいつのためにと……」
「あまり気に病まないでください。大丈夫ですよ。まだ間に合います。間に合わせて見せます」
「先生、私にできることはありますか? 何かしてやらないと、こいつに申し訳が立たない」
「では梅乃木さん、この木の根の回りに、ぐるりと柵を作るのを手伝ってください。人が入ってこられないような高さの柵を」
「寄っちゃぁ、いけませんか?」
「根元の土が踏み固められると、根が弱ってしまいますから」
「小さい頃から根元で遊んだり登ったりしてたのが、いけなかった……」
「そんなに悲しまないでくださいよ。ハリネズミの恋ですよ。くっつきすぎちゃぁ相手を傷つける。ちょっと離れて、見守ってあげるのも愛情です」
「はぁ……。ちょいと寂しいですなぁ」
「寂しいですが」
「こいつも寂しいでしょうな。なんだかそんな『顔』をしている」
「梅乃木さんには、そう見えますか?」
「先生にはそう見えませんか?」
「そうですねぇ。ふふふ。お互い寂しいでしょうけれども、少しだけ我慢してください」
「我慢すれば、治りますか?」
「ええ。みなが少しずつ我慢すれば、治ります」
「良かったなぁ。おい、先生がお墨付きをくれたぞ。我慢しような。我慢、我慢」
「ソメイヨシノの寿命は六十年だと言う人がいますけど……」
「そんな話も聞きますなぁ」
「確かにそのあたりがヤマですが、全部が枯れるとは限らない。現にこの木だって七十年生きてきたじゃあありませんか。電卓叩いた平均寿命なんて、当てにはなりませんよ」
「確かに、確かに」
「この木は希望を持っている。きちんと手当をしてやれば、来年も、その次も……百年だって生きますよ」
「ハハハ、それじゃあもしかしたら、私や先生の方が先に逝っちまいますな」
「いや、ごもっとも、ごもっとも……」
知流姫 神光寺かをり @syufutosousaku
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