第2章 8
『哲学の謎』という文章を思い浮かべる。見る者がいなければ見られる対象は色を持たない、というものだった。これは、悪いことをしていてもそれを見る者がいなければ悪いことにはならない、たとえクロであってもバレなければクロではない、というふうに曲解できるのではないか、なんてことを考える。
罪は見るものがいなくても罪か?
それは罪にはならない、そう考える。しかしそう考えたところで自分のなかの罪悪感というのはどうも拭えない。でも、だからこそ、そうした罪悪感だとか背徳感だとかがむしろ心地よかったりもする。自分が悪いことをしているんだということで良い気持ちになれることだってある。
彼と初めて体を重ねたときは、今から思うとずいぶん昔だったような気がするけれど、それでも暦を見てみるとあれから数ヶ月しか経っていないらしい。それからはデートの度に彼の家まで行き、なりゆきで最後までしてしまうことがほとんど。
最初のうちはキスだけだったけれど、そのうち彼は恐る恐るわたしの胸に手を伸ばしてきた。わたしはもちろん初めてだけれど、彼も初めてだったらしく、その手つきはビックリするくらいたどたどしかった。わたしは拒まなかった。言葉を使わない一瞬のやりとりだったけれど、わたしは彼のことを受け入れる決心をした。わたしが頷くと、彼はわたしのブラウスに手をかけた。
初めての時は前戯までで終わった。もちろん、最後までしようとはしていたけれど、彼の体の柔軟性が無さすぎるのと不器用すぎるのとで、なかなか入れることができなかったらしい。それで入れることに集中すると、彼のものが萎えてしまってそれどころではなくなってしまう、の繰り返しだった。その姿は滑稽ではあったが、それと同時にかわいいな、なんて思ってしまう自分がいた。よくテレビなんかで、最近の人は何でもかんでも「かわいい」を使う、なんて言って懸念しているけれど、彼が五つも年下であるわたしのために一所懸命に頑張ってくれている姿はギャップがあって、やっぱりどうもかわいらしく思えたのだ。
わたしがもういいよと言うと、彼は申し訳なさそうに、ごめんと答えた。別に正常位にこだわらなくても、こういうのには四十八手があると言われるくらいなのだから、そのうち一つくらいは、体が硬くて不器用な彼でもできる体位があるのかもしれないけれど、わたしはどうしてもそれを望んでいるわけじゃない。
こういうのはそう急がないで、ゆっくりでいいんじゃないかな? ゆっくりお互いのことを知っていこうよ。わたしがそう言うと、彼はありがとうと答えて頷いた。
そのあとは服を着るのも面倒だったので、二人して裸のまま添い寝していた。彼の体は、普段はヒョロヒョロに見えるのに、こうして裸のままで抱き合って体を寄せ合っていると、とてもたくましくて男らしい感じがした。
からだ、結構がっちりしているね。ええ、俺そんなこと言われたの初めてだよ。ううん、すごく男らしい。なんか照れるな、俺はいっつもみんなにガリガリだって言われるから。うん、わたしもそう思ってたけど違った、すごくしっかりしてる。あはは、ありがとう。このことを知ってるのは、世界中でわたしだけなんだね。うん、そうだよ。
そんな会話を交わしたのをよく覚えている。とても暖かくて、とても甘い時間だった。
わたしがバージンを失ったのは、その次に彼と寝たときだった。いや、キザな表現にはなってしまうが、彼に捧げたと言ったほうがイメージとしては近いかもしれない。すくなくともわたしの気持ちとしては、そんな感じだった。
そのときもやっぱり正常位はできなかったけれど、わたしが四つん這いになり彼が膝立ちになる体勢で、うしろからゆっくりと入れてくれた。とんでもなく痛かったけれど、彼が好きだから我慢できたし、下を覗くと彼がわたしの中に入っていくのを直接見ることができて嬉しく感じた。
事を終えたあと、彼は精液の入ったコンドームを結んで捨てる時に、「毎日柔軟運動してるのにな」と不服そうに呟いていたので、わたしはクスッと笑ったのだった。
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