第6話 本音との向き合い方


「うわぁ…どうしよう…わたし、絶対こんなの無理だよぉ…」


まだ多くの生徒が登校していない早朝。一人の少女は更衣室の個室で涙目になりながらか細い声を震わせる。

その細い腕には一枚の紙が皺ができるほどに強く握りしめられており、乱雑な文字が書き殴られていた。曰く、


へ。植野銘人様の偽りのペア、空霧優衣そらぎり・ゆいを決闘で倒しなさい。これが命令です。もし敗北して彼のペアになれなかった場合、次の雨の日に私は自らの命を絶ちます。

もちろん、これを読んでいる日が雨なら言葉はいらないでしょうが。必ず、銘人様を取り戻しなさい 』


とのこと。こんなふざけた文章を書く人に心当たりがある。そもそも自室の机の上に置いてあったのだ。消去法以前に一人しかいない。

あの大戦中に生まれてしまった。なのだろう。

必死に昨日何があったのか思い出そうと頭を痛くない程度に何度もポコポコたたく。

すると、いつの間にか過ぎ去っていったはずの昨日の記憶が、そのときの感情とともに断片的に浮上してきた。



入学式の時はあまりの衝撃的な内容のせいでまともに呼吸すら出来ていなかった。唖然とした表情のまま帰宅し、傘もささずにきた体を風呂に浸けると、ようやく白紙になった脳内に思考が塗られていく。


――植野銘人には、すでに大会で組む女の子がいる――


何故? どうして? どうしてわたくしを選んでくださらないの?

湧き上がるのは疑問と悲しみ。そして裏切られたことへの激しい怒り。

約束したのに、私が能力を使いこなせるようになったそのときは、一緒にペアになると約束したのに!

いつか大切な人と一緒に入ろうと広く大きく改装した浴槽。そのなかに貯められた湯は荒々しい波を立て、次第に歪んだ渦を巻いていく。

有り得ない有り得ない有り得ない有り得ないありえないアリエナイ認めない認めない認めない認めない認めない認めない認めないみとめないミトメナイッ!!

この一年間、あなたの為に血がにじむほどに能力を鍛えました。あるときは風呂場を壊しながら、ある時は雨に打たれながら、ある時は海のなかで。皆から馬鹿にされても笑われても憐れまれても、それでも今まで我慢できた。あなたと一緒になれると信じていたから。

なのに………どうして!?

こぶしを握ると、体を包んでいたはずの水は、重力を無視して少女を中心に大きな螺旋を描きながら天井へと伸びていく。

私と組めば最強なのに! 私と組めば幸せなのに! 私はあなたの隣に並べればそれでいいのに!


「こんなにも…愛しているのに!!!!」


激しい水流が打ち付けられてビキビキと悲痛な音で鳴いていた天井は、少女が叫ぶのと同時に鈍い断末魔をあげながら穿たれた。

コンクリート破片と共に降ってきた大量の雨水が、すぐさま空っぽになった浴槽を満たしにかかり、少女の体を急速に冷やしていく。

だが少女の頭のなかは、そんな些細なことを思考してなどいなかった。

もう自分は弱くない。では何故自分は彼とペアになれない? そんなこと決まっている。奪われたからだ。ならばどうする? どうすることが最善の手なのか? それも決まっている。簡単だ。奪われたなら―――

―――奪い返せばいい―――

今度は離さぬように、誰にも渡らぬように、徹底的に、徹底的に…徹底的に徹底的に徹底的に徹底的に徹底的に徹底的に徹底的に徹底的に徹底的に徹底的に完全に完全に完全に完全に完全に完全に完全に完全に完全に完全に完全に完全に完全に完全に完全に完全に!!―――私のすべてを賭して、あなたは絶対取り返します。

少女の顔には狂気の色があふれ出し、口元は不自然なほどに吊り上がっている。本人は笑っているつもりだが、あまりに歪んだそれは、他者が見れば恐怖の元凶にもなりえるだろう。

クツクツと喉を転がして笑いながら、少女は浴槽をあとにする。

ノイズのような音が立てながら水がたまっていく風呂場は、とうに冷たくなっていた。



いつの間にか閉じてしまっていた瞳が再び開くと、同時に少女は己自身に戦慄が走り恐怖が侵食する。

あれは自分が生み出してしまったの記憶だ。三年間変わらないクラスの子とすらまともに話すことすらできない自分が、好きな人とは視線すらまともに合わせられない自分が、大戦のときすら逃げることしか出来なかった私が生み出したの自分の記憶。

だが、そのの感情が、自分の心の底からの欲望だということも、少女自身が一番分かっていた。

みにくい。どうしようもなく自分が愚かでみにくい。嫉妬を抱いてしまう醜い自分が、大っ嫌い。

怖い。背筋が凍るほどに自分が怖い。知らない間に自分の醜い部分が出てくる自分が、とても怖い。

震え始めた始めた体と心にふと、想い人の顔がよぎる。好きになってからずっと彼を見つめてきた。彼が大会に出場しているときは、風邪を引いてても録画してても見た。

彼は、喜怒哀楽が激しくて、笑顔がまぶしくて、優しくて、お人好しで……でも、彼が表情を変える場所に、私はいない。

でも、私にあの人の隣に立つなんてことできるわけ―――


「また、逃げるんですか?」


唐突に響いた綺麗な声に驚いた私は思わず顔をあげる。扉の向こうの誰かは、こちらのことなどお構いなしに言葉を勝手に紡いでいく。


「大方、好きな人とどう向き合っていいのか分からない、これからどうすればいいのか分からないといった感じなのでしょう?」


……そう、なのかな……当たっているような気がする。

私が小さく返事をすると、あちらは大きなため息をはいた。やはり、呆れられてしまったのだろうか。次に来るのは罵倒かもしれない。

だけど、返ってきた言葉は、自分の予想を大きく裏切るものだった。


「人間というものは、誰しも汚れた部分を持っています。怨みや憎悪、そして嫉妬など、これらはどれもひどく醜くて自己嫌悪の要因です」


反論の余地などどこにもない。全てが自分にあてはまる。

なおも誰かの言葉は続く。まるで私に何かを教えるように、訴えるように。


「ですが、それら負の感情は全て、愛しているが故に発生する。人間ならごく普通の感情にすぎません。信じていたが故に怨み、思い通りにいかないからこそ憎悪し、愛してるがゆえに嫉妬する。そんなこと、人間なら当たり前です。

だからこそ、あなたはその感情を受け入れなくてはいけない。向き合わなければいけない。それがどんなに辛くても苦しくても、あなたが限り向き合い続けなればいけない。それが、人間であるあなたのやるべきことです。

…………逃げるのは、そろそろ限界なのではありませんか? 」


人間なら、当たり前? 何を言っているだこの人は……私は逃げてなんかいない。傷つかないように常に最善の選択をしてきただけだ。そう、私は常に―――


「……ぅぅ…うぁっ…」


嗚咽とともに 熱い何かが頬を伝う。

そっか………もう、限界…なんだ。

もう去年のように、自分の思いを伝えられずに遠くから見続けるのには、限界だ。これ以上自分の本音を抑えるのも、限界だ。

だからこそ、向き合わなければいけない。

いい機会じゃないですか。この際、本音と本気で向き合って。自分の想いを、全てぶつけてみます!


「あ、あの! 私……!」


扉を開けると、私と話していたはずの人はもう影も形も見当たらない。それでも私は思わずその場で頭を下げる。


「ありがとう、ございました。私、頑張ります!」


ピピピッ!と、腕時計のタイマーが小さく鳴り響く。どうやら想像以上に時間をとってしまったらしい。

もうすぐ、私の大好きな人が登校してくる時間だ。




※ ※ ※




教室に入ると入学式当日同様、またも席はどこも空いていた。やはり私は皆より早すぎるのだろうか。とはいえ、朝練は済ませたし、別段家でやることがあるわけでもないんだが。今後もきっと同じような時間帯に―――

そこまで考えたところで昨日の会長の言葉を思い出す。そういえば大会に出るには銘人と同棲する必要があるんだっけ。よくよく考えてみれば、いつから同棲を始めなければいけないのか聞いてなかった。まぁ、今日には発表すると言っていたし、心配する必要は無い――と信じたい。………入学して間もないはずなのに会長が信じきれない自分がいるのは否定できない。

ただ今日は、昨日の大荒れな天気から一転して雲一つない快晴だ。眩しい日差しを浴びながら私は体を一度大きく伸ばす。今日はいい日になりそうだ。

自動ドアの開閉音。私の次にやってきたのは、予想通り真加だった。少女は開口一番「優衣ちゃんおはよー!」と元気な声で呼びかけてくる。その後ろに付いてくるように檜山もやってきた。あいかわず眠そうな……あれ?

ふと、檜山の左頬に大きめの絆創膏ばんそうこうが張られていることに気づいた。どことなく腫れ上がっているようにも見える。


「なぁ檜山、その頬の傷どうしたんだ?」


檜山は「あぁこれなー」と左頬をさすりながら半眼で苦笑する。


「あれだよ。昨日メッチャ大雨だったろー? うちの親父、レイン・ショックレベル地味に高くてさー。あぁ土砂降り降られちゃうとイライラしまくっててすぐカッとなるんだよ。まぁ、今日の朝メッチャ謝ってきたし、怒ってないけどさー」


レイン・ショック。非常に多くの雨の大戦レイン・ウォーズ経験者が発症しており、発症者は雨が降っている日は精神的不安定に陥りやすい。人によって症状の度合いは異なり、軽度な者のレベルは1~2、中等度が3~4、重度が5~7と言われている。さらにもう一段階レベル8~9があるが、大半の発症者のレベルは1~2で、あっても3~4なので檜山の父親もおそらくそれくらいだろう。

かくいう私も、ショックレベル1なのだが、この段階だと雨の日に胸元辺りが少しチクチクする程度だ。


「ほんと…普段はいい人なんだけどねー…あ、絆創膏足す? 」


真加は悲しそうにつぶやいた後、自分の左頬を触って檜山に問う。どうやら彼女からもらったものらしい。


「いらねぇよ。つか、もともとこれだっていらねぇっつったのに…」

「ひーくん。今日ははがしちゃ駄目だよ。その絆創膏結構効くんだから!」

「ひーくん言うな。……ったく、分かってるよ…」


なんだこの若干甘い空間。私は邪魔か? 邪魔なのか? 流石の私でもこの甘い空間は察知できるぞ。

あまりの中の良さに思わず呆れそうになっていると、檜山が思い出したように「そういえば…」とあごに手を置いてつぶやいた。


「そういや、レイン・ショックで思い出したんだけど、確かこの学院にショックレベル滅茶苦茶高いやつがいるって噂立ったことあったな……」

「あーそれ知ってる知ってるー!少し昔にネットで流行ったよねその噂。でもさ、あれって結局分からずじまいで話終わっちゃったよねー」

「まぁ、あくまで噂だからな。裏が取れない噂だからって皆考えるのに飽きたんだろ」


噂…か。確かに不確実な情報だ。が、念のため後で銘人にでも聞いてみるのも悪くは無いだろう。

今は温かい日の光を体いっぱいにためながら、友人たちと会話でもしていよう。




※ ※ ※




いつもと同じ時間に登校すると、いつも俺の隣の席以外は誰も来ていない。たった一人だけいる少女も、厚めの本を読んでいる。


「おはよう、水月みつきさん」


話しかけた瞬間、少女の体はビクッと跳ね上がり、こちらを見ることなく俯いてしまう。晴れている日はいつもこうだ。極稀ごくまれに小さく挨拶を返してくれることもあるが、いつもこんな感じでその日はそれ以降の会話が一切なくなる。……俺、嫌われてんのかな。

若干凹みながら、鞄の中身を机のなかに移していると、不意に隣の席の少女が、自分の頬をぺちぺち何度か叩いてこちらに向き合った。


「あ、あの! 銘人さん!」

「オ、オウッ!? ど、どうした!? 」


一年から同じクラスだったが、今までにない晴れの日の水月の大きな声を聞いて思わずこちらも少し身を引きながら聞き返す。一体どうしたっていうんだ?

だが、身構える俺とは裏腹に、返ってきたのはごくごく普通の言葉だった。


「おはよう、ございます。銘人さん」


初めて目を合わせてもらいながら受けた挨拶は、赤面で涙目ながらも、とても可愛らしい笑顔付きだった。

どんな心境の変化は分からないが、今はその変化を素直に喜ぶとしよう。


「あぁ、おはよう。水月さん」


もう一度、今度はきちんと向き合って、俺は少女と挨拶を交わした。

新学期は幸先がよさそうだ。



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