第5話 追えない背中

―――――ねぇママー。ママはいつになったら、お仕事おわるのー?―――――

―――――ごめんねー。もうちょっと、もうちょっとだから。終わったらママといっぱい遊ぼうね!―――――

―――――うん!わかった!がまんする!おわったらいっぱいあそぶもんっ!―――――

―――――優衣ちゃんは強い子だねーえらいえらい―――――


遊べなかった


―――――ママー。さいきん帰ってくるのおそいけど、だいじょーぶ? ―――――

――――― ごめんね。お仕事終わったらずーっと優衣ちゃんと一緒にいるから。もう少しだけ待てる?―――――

―――――だいじょーぶ!ゆいは強い子だから!―――――

―――――ふふっ…ありがとう。私の大好きなゆいちゃん―――――


終わっても、帰ってこなかった。


―――――優衣ちゃん、誕生日おめでとう。ママはね、優衣ちゃんがいくつになっても大好きだよ―――――

―――――うん! ゆいもママがだいすき! あのねー、ゆいねー、おっきくなったら、ヒーローになるの!―――――

―――――ヒーロー?―――――

―――――うんっ! ママのお手伝いをするヒーローになるの!―――――

―――――ふふふっ。じゃあママが困ったら、その可愛いヒーローさんに頼もうかな~!―――――

―――――うんっ!まかせて!私、強い子だもんっ!―――――


ヒーローになんて、なれなかった。


私は何も出来なかった。何も気づいていなかった。自分の無力さと、死の意味を。

多くの人が戦争の勝利に喜び会うなか、私は一人。ただただ大好きな人の帰りを待った。

大好きな人が必ず帰ってきた誕生日を一人で過ごしてから数日後、送られてきたのは、母親の様々な功績を称えるものと、莫大なお金。そして―――――母の愛用していた鞄に、戦死通知だった。

―――――私、いい子にしてたよ? 私、ずっと待ってたよ? ママはどこに行ったの? 死んだって何? いつ帰ってくるの?


そんな疑問をいつの間にか進んでいく葬儀のなかで喚く少女が遠目から見える。即座に自分の過去だと理解すると、勝手に頬を冷たい雫がつたってゆく。

あぁ、私は強くもなんともなかった。今だってそうだ。もう何度も泣いてるはずなのに、涙を止めることはできない。あの日降っていた雨のように。どこまでも心を冷やしていく――――――

ふと、冷え切った目じりや頬をそっと拭う優しい何かが、右手を包むあたたかい何かが、過去の光景をぼやけさせていった。





ゆっくりとまぶたを上げる。染みひとつない綺麗な天井は清潔さを連想できる。掛けられているのは大きめながら決して重くない布団。右手は誰かが優しく繋いでくれている。目でそれを追っていくと、ワイシャツ姿の青年だった。

だんだんと意識が覚醒し、青年が植野銘人だと認識した。よく見れば左手には少し濡れたハンカチが握られている。


「大丈夫? うなされてたみたいだけど…」


本当に心配そうな顔をしながら、植野はハンカチで私の目じり辺りを拭う。どうやらこちらでも自分は泣いていたらしい。何故かは分からないが、彼にハンカチに抵抗する気が起きなかった。


「あぁ、大丈夫だ…です」


敬語を使うのが慣れていないのでつい変な言葉で返してしまうと、植野は小さく笑った。


「無理して敬語は使わなくていいよ。これからはどうせパートナーになるわけだしな」


なるほど、それもそうか。と、考えた瞬間、つい先ほど行っていた相性診断のことを思い出し、上体が勢いよく跳ね上がった。


「じゃ、じゃあ! 私は合格なのか!?」


植野は「まぁ落ちつけ」と苦笑しながら続ける。


「こんなに可愛い美少女ならこっちからお願いしたいくらいだし。それに、君と闘ってみて、勝ちたいって意志は十分すぎるほどに伝わったから。俺の力、惜しみなく使わせてもらうよ」

「……そう、か」


最初はどこかやる気のなさそうにも見えた青年の実力は、能力を使っていないながらも本物だったし、よくよく考えればエントリー期日が迫るなか、この学院でペアを探すとなると非常に困難に違いない。

ひとまず第一関門である出場はクリア。かつ、前年度で世界大会まで進んだペアの一人と組めたのは非常に運がいいのだろう。

そこまで考えると、自然と私の口から心の声が漏れる。


「本当に、ありがとう。植野。」

「銘人でいいよ。それより、だいぶ疲れてるみたいだから、今はゆっくり休んでな」

「あぁ。そうさせてもらうよ」


再び天井に顔を戻そうとすると、軽い機械音が響く。みゆり生徒会長だ。何故チアリーダー姿なのかはこの際置いておくとする。


「調子はどうですか? 空霧さん」

「大丈夫です。少しだけ疲れただけですから」


その回答がお気に召したのか、満面の笑みを浮かべながら頷くと、すぐさま銘人の右腕にぎゅっと抱きついていた。


「私の愛しの銘人さ~ん!どうでしたかぁ? 後輩のお・あ・じ・は?」

「変な言い方すんなド変態」


その攻撃を全力で押し返した銘人はみゆりを睨んだあとに、苦笑して続ける。


「まぁでも、確かに優衣はこの上なく俺より強い。ペアにするにはなんら不安要素はねぇよ」

「でしたら…優衣ちゃんをあなたにめぐり合わせたお礼にその手で頭を撫でて………!?」


みゆりは蛇のように手を銘人の右腕に這わせて潜り込ませたが、やがて私の手に接触した瞬間に驚愕のまなざしを私たちに交互に向けてきた。


「あ、あなたたち……いつの間に手を握るほどの仲良しに…!?」

「は?………ってうぉっ!?」


僅かに遅れて続く銘人の驚愕と、素早い手放し。どうやら握ったことを本当に忘れていたようだ。


「ごめん優衣! うなされてたみたいだったからつい……あぁでも下心があったとかそんなんじゃないんだ!いや確かに柔らかったし感触は良かったけど!じゃなくて!なに言ってんだ俺は!?」


予想以上の銘人の動揺に私は思わず吹き出してしまう。同時にこの空気に心が落ちつくことが出来ている自分に少しだけ驚いた。


「もうっ!いきなりラノベ並みに速攻仲良しのお二人には重大な情報を教えてあげません!」


そう言いながらあからさまに頬を風船のように膨らませた会長は、ぷいっと顔をそらしてしまった。

対する銘人は頭を掻きながら大きくため息をつくと、いかにも心にも思ってなさそうな口調でつらつらと言葉を紡ぎ始めた。


「みゆり様を放置していてすみませんでしたー。今後は節度を持った態度で真摯にみゆり様に接したいと思いますのでどうか心を静めてくださると幸いでーす」

「はいっ!よろしい!」


いいのかそれで。


「はーいっ! ではみゆりちゃんが発表します! なななんと! この度、植野銘人さんの新居が決定しましたぁ! いぇーい! パチパチパチー!」


ふぅん。銘人は三年ながら住む場所を変えるのか。というか、当の本人はどういうわけか世界中に蔓延る全ての苦虫を噛み潰したような顔でみゆりを睨んでいるのだが……何かひと悶着あったのだろうか?

が、やがて銘人は諦めたように本日何度目かのため息をつくと、その不満顔を若干緩めた。


「んで? 詳しい場所はあとで知らせてくれんのか? 荷物も纏めておく必要もあるから、出来れば早めに教えてほしいんだけど? 」

「はいっ! 詳しい場所はまぁ……ぶっちゃけていえば優衣さんのお家です!」

「「……………………は? 」」


私と銘人は同時に理解が追い付かなくなる。…今なんと?


「ですからー、お二人には優衣さんのお家で同棲生活を送ってもらいだだだだだだっ!?!?」


みゆりが笑顔で言い切る前に銘人が会長の両頬をぐりゃりと強めに引っ張る。私の新生ペアは口元が吊り上がっているが目が全くと言っていいほど笑っていなかった。


「どーゆーことですかねぇ! 馬鹿みゆり会長さーん? そんなこと一ミリも聞いてないんですけどぉ~? そもそもよぉ~、年頃の異性同士を同棲させるとかどんな頭してんの~? 馬鹿なの? 死ぬの? ラノベ展開はまってんの? 」


ゴムのように伸びていた頬をパァンッ!と擬音が付くほど勢いよく銘人が放すと、みゆりはすぐさま虚空に氷水の入ったビニール袋を出現させて、腫れあがった頬に当てながら涙目で抗弁する。


「別にいいじゃないですかぁ! 同棲生活あこがれるじゃないですかぁ! ええそうですよ! ラノベ影響ですよ!くわしく言えば落第騎士影響ですよ! でもそれくらい憧れるじゃないですか! それなのにここの学院の生徒は真面目すぎるのか童貞なのか知りませんけどね、同棲してる人ゼロじゃないですか! もっと積極的に行けよ童貞! 展開的にエロが無くて面白くないじゃないですか! せめて知り合いとかに同棲してる人がいないと弄れないじゃないですか! 妄想できないじゃないですか! 私と同棲希望してる生徒も誰もいないのが寂しいとかじゃないんですよ!?決して断じて違いますよ!いえ、同棲したいのは事実ですけどね! そもそもが―――」

「つまり、要約するとてめぇの願望ってことだな?」

「はいっ!全く持ってその通りです!」

「うし分かった……とりあえず理想を抱いて溺死しろ!」


銘人は懐から銃を取り出すが、すぐさまその銃は彼の手から消え失せる。みゆりはいつの間にか銃をくるくると自分の手で器用に回していた。


「ふふっ……でも私は自分が面白いと思ったことは絶対にやり遂げる女ってこと? 銘人さんは知ってますよね? 」

「………なにがいいたい?」


警戒心むき出しにする銘人に銃をふわりと投げたみゆりの顔は、入学式でみた悪戯が成功した子どものような笑顔を再び浮かべていた。なんだろう、このとてつもない嫌な予感は……


「これより、我がエリシオン学院の規定を改正し、英雄開拓祭レイン・フロンティア出場が決まった生徒には自分のペアと必ず同棲することを義務とします!なお、応じないペアは大会出場権を剥奪するものとします」


…………なん、だと!?

馬鹿な……いくら生徒会長といえどもそこまでの権力があるはずがない。詳しいことは知らないが、どこの教育機関だって規則やら校則やらを変えるなら、会議をしたりなんなりのきちんとした手順を踏む必要があるのと思んだが……

しかし、銘人はあっけにとられながらも、大きく舌打ちするだけで反論はしない。ふと視線が合うとこちらの言いたいことを察したのか憎々しげにみゆりを睨みながら応えた。


「残念だが、うちの変態かいちょうの権力はマジだ。コイツを止められる奴は日本中探しても誰もいねぇよ」

「うふふっ! ザッツライトですよぉ~! 私を止めたいのならば神様でも連れてくるのですよ~! それとさっきの改正の件はマジです! 大マジです! 拒否権はありません! 学院へは明日正式に発表しますので、他生徒への気遣いは結構なのですよぉ~!

さぁ、これから大会に向けて思う存分同棲生活を楽しんでくださいね~!」


みゆりは私がいまだに状況を理解しきる前に、極めて陽気に手を振りながらスキップで扉の向こうへと行ってしまった。

嵐が過ぎ去った部屋は、しん…と静まり返る。しばらくして銘人は近くの椅子に腰かけると頭を抱えながらぼそりと言葉を漏らした。


「あの変態……やっぱり頭のネジ全部いかれてるわ…」


私は、銘人とペアが決定してから初めて意見が一致した。今後はあの会長の動向に細心の注意を払いながら過ごす必要性がありそうである。

こうして私は入学早々に、異性との同棲生活が始まるらしいのだった。


「じゃあ、俺も疲れたし、そろそろ帰るわ。一人で帰れるか?」


そういって立ち上がった青年の顔は苦笑交じりだが、どこか懐かしいような優しい笑みが浮かんでいた。……君の笑顔はまぶしいな。


「大丈夫だ……もう少し寝たら私も帰るよ。今日は本当に…ありがとう…」

「こちらこそパートナーになってくれてありがとな。今日はゆっくり休めよ? それじゃあ……また」


手を振りながら遠ざかっていく彼の背中を目で追いかけている私は、どんな顔をしているのだろうか。

彼と過ごす時間は決して一年も満たない。それ以上同じ時を重なることはできない。私が選んだ道は、私の物語の終わりしか繋がらないのだ。

これから彼と何を紡いでいくかは分からない。笑いあうかもしれないし、喧嘩だってするかもしれない。あるいは……恋だってするかもしれない。

だけど、その思いがみのる枝葉は、私という木にはもう存在しない。願いをかなえると決めたあの日から、私に幸せを掴める手など無い。

だから、少しだけ、ほんの少しだけ、彼と同じ思いで未来を歩めないことが寂しい。

今日の雨は、いつもより温かく、冷たかった。


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