6.別れの言葉(下)

「あ、あの、ええとその……」

「あなたがレティシアちゃんね。うん、うん、可愛い子じゃないの」

「……っ……ありがとう、ございます」


 もじもじしながら頷きを返すレティシアに、柔和な笑みで語りかけるうちの母親の姿がそこにはあった。


「どうしてこうなった……?」

「チハルさん、それは俺も知りたい」


 レティシアがどうしたらいいか分からない顔で母親と対面する中、俺は一歩引いてフェルナンデスと共に頬を掻いていた。




 ―二十分前―


「え、ええ? そ、そうですか……分かりました。はい、それじゃあ、公園で、あ、はい……失礼します……」

「おいレティシア」

「つーつーって言ってるんだけど」

「通話が切れたんだよ。てか何話してた、なんか公園とか言ってなかったか?」

「ちょ、ちょっと待って整理するから! ……――と、はい。とりあえず携帯」


 レティシアは携帯を俺に返すと、事のあらましを説明してくれた。


 曰く、母親は“レティシア”や“フェルナンデス”に加えて“チハル”の事を知っていたそうだ。いや、知っているという言い方も微妙なところだが……なんというか、母親が見る『夢』にちょくちょく俺達が出ていたらしい。

 つまりは俺達が向こうで生活していた一部の光景を、母親は朧げな夢として共有しているわけだった。


「だから、何となく予感していたんだって」

「はぁ? 予感って……それで携帯とかそのままにしてたってことか?」


 しかしながら、ただそれだけでこうも円滑に物事が運ぶとは思えなかった。これはただの偶然ってわけじゃないな――そんな都合よく他人の人生を夢で見られてたまるか。

 オラ神様のおっさん、出て来るなら今の内だぞこの野郎。


 ……返事もしやがらねぇ。


「とりあえず、近くの公園に来て欲しいっていってた。チハルに会いたがっていたわ」

「疑問だらけだな……分かった。んじゃとりあえず行くぞ。ここで話しても仕方ない」



 ――と、いう感じで。

 俺達はここ、実家から尤も近い公園で幼少期の俺がよく遊び場に使っていた公園までやってきていた。

 そこで、母親はベンチで座っていたというわけだ。


「……お袋。色々言いたいこたぁあるが、久しぶり」

「――変わらないわねぇ。本当に」


 とりあえず挨拶一つ。

 俺は母親の前に出て、そう言った。


 出鼻を挫かれたというか、案外元気そうにやってるじゃねぇか。もっと虚ろ虚ろしてるかと思ったけどよ。

 まぁ、俺の前だから気丈さを繕ってるってのもあるだろうが。


「……その、なんだ。俺は死んでる。そいつは理解してんだよな」

「どうだろうねぇ。今ここに千春がいるのに、私は千春を死んでいるとは思いたくはないけど」

「だが俺の死体は確かにあったろ。俺がお袋に会うのは――これで最後だ。いきなり死んじまって何も言えなかったからよ、だから会いに来た」

「千春。そんなことより向こうでの話を聞かせて欲しいな。何があったのか、何をしてきたのか……ちょっぴりだけど、私も知っている事。そんなに重い話じゃ後ろのお二人も辛いんじゃないかい?」

「……分かった、土産話は山ほどあるからな。お前ら」


 空気を読んで黙っていたレティシアとフェルナンデスを呼び寄せ、ベンチに座らせる。俺は立ったままだ。

 そうだな、何から話してやるべきか。


 色々あるが、まぁ異世界転生の下り……最初から話してやるとしよう。俺が言うのもどうかと思うが、向こう行ってから退屈しない毎日だったからな。

 きっと、面白いだろう。


「死んじまった直後のことだ。向こう行く前に変な場所に出てな。そこで神様と会ったんだが――」





 ◇





 色々あった。

 本当に、色々だ。


 最初はあの世みたいな場所で神に「ちょっくら魔王倒してくれよげへげへ」って言われてその場のノリで異世界転生なるものを経験した俺だが、マジで本当にいきなり異世界に飛ばされた。

 彼は俺のボクシングの腕を買ったのだという。本心はどうだったか知らないが。


 んで、テンプレ過ぎる何にもない草原で目を覚ました俺は、俺の眼前で喧嘩をしているレティシアとフェルナンデスの馬鹿二人と遭遇する。

 確か最初は調子乗ってくれたよなぁ? 人のことをモンスターか何かと勘違いしてくれやがったのは今でも記憶に新しいぞ?


「えっとそれは……そ、そう、気の迷いでね? い、いやぁなんであんなことしちゃったのかしら……チハル様はチハル様よ?」

「勘弁してくれ……空から唐突に降ってこられたんだ、驚きもするだろう」

「いやおいちょっと待て初耳だそりゃ。俺空から降ってきたの? マジ?」


 まぁそれはおいといて。

 一応魔王を倒すためにこの世界に来ていた俺は……あ、魔王ってのは人間の敵な? 戦争相手の首領みてぇなやつだ。

 そいつが人間を滅ぼそうとして戦争を仕掛けていたんだよな。


 ……で、俺は二人を使って近くの町に案内させたんだ。町の名前はグレゴリアって言って、ここみたいな田舎だったな。


 ちなみにこの世界には魔法があって、言うならこっちの機械や科学に成り変わる技術があったんだが――お陰で人々は魔法に頼り切りになり、極端な話全員モヤシかデブだったんだ。今でこそ二人共筋肉が付いているが、当時は骨と皮みてぇなひょろひょろの奴らだったんだぜ?


「だから千春の腕が買われたのかもしれないねぇ」

「どうだろうな。死んで優秀なボクサーなんて腐るほどいたろ? ま、そこは選ばれた俺が喜ぶべきところかもしれねぇが」


 んで、そんなグレゴリアにいきなり戦争相手が現れた。魔王軍っていう軍勢で、そいつを四天王の一人が引き連れてやってきた。転移魔法を得意とするマジリカっていうんだが……そいつがどうも方向音痴のクソ野郎でな、間違えて来たらしい。

 それで、なし崩し的に何故か“俺一人”で相手をすることになったんだが……。


「いっやぁあの時は凄かったわねぇ! 流石! チハル様!」

「ああ、見てなかったけど凄まじかった……! 流石は英雄と呼ばれるだけはあるだろう」

「ぶっ飛ばすぞテメェら」


 ――そんな風に、俺が積み重ねてきたことを一つ一つ説明していった。

 マジリカぶっ倒したその後の日常。オーフェンや愉快な風魔法使いの三人と出会ったり、また四天王改め三魔公の変な神速野郎と相打ちになって、また日常送って――。


「でね? チハルったら酷いの……平気な顔して私のこと虐めて来るのよ?」

「おい語弊があんだろ」

「駄目よ千春? 女の子には優しくしなきゃ」

「――可笑しいな。俺には女の子が見えねぇ」

「いるじゃないここに!」


 魔王軍のとの戦争に二人を行かせて、別行動で俺がオーフェンの家族を救いに行った先、行方不明で魔王軍から捨てられたマジリカと再会したらそいつは人間の少女に絆されたロリコンになっていて。

 転移魔法で戻ってくると、なんとレティシアもフェルナンデスも三魔公の一人に捕まって俺が助ける羽目になったり。


「――本当に、本当にすまなかった。俺が冷静だったら、チハルさんがあんなに傷付く必要なかったのに……」

「ま、激昂するのは分かるさ。俺がその場てお前と同じ立場だったのならどうしてたか分からねぇし、仕方ない」

「チハルさん……!」

「まぁお前が冷静だったらもっと楽だったけど」

「……うっ」


 ――最後には、魔王と戦った。

 そいつは今までの奴らと違って、すげぇ強くて。それでも何とか倒した。あればっかりはフェルナンデスがいなかったらやばかったかもしれねぇな。


「――っと。結構話し込んじまったな」


 田舎だからか、今の御時世だからか。人の出入りが全くなかったために気にしていなかったが、見上げた空が橙色に染まっていた。携帯を開けばもう夕方で、四時間近くもくっちゃべっていたことになる。


「そうね……そろそろ晩御飯の時間だね」

「あぁ、今はじいちゃん達と暮らしてんだろ? そろそろ俺達も帰る。お袋も、元の生活に戻る時だ」

「晩御飯だけ、食べていくわけにはいかないのかい?」


 いやそうしたいのは山々なんだけどさ。


「悪い、あんまり無闇に知り合いにゃ会えねぇよ。そうだ、親父とはどうしてんだ? 海外に行っちまってるみたいだが」

「……ちょっとね。出ていく前に、喧嘩しちゃってね」

「だろうな。そりゃこんな時期に転勤じゃな……ま、親父だってしたくてしてるわけじゃねぇしよ。俺は親父にまでは会えねぇけど、仲良くしてやってくれ」

「千春が言うならそうするよ。私も負い目もあるしね……」


 こればっかりはどうしようもないからな。俺も親父には会っときたかったが、まぁ大丈夫だろう。

 ――さてと。言うか。


「お袋」

「なんだい。千春」

「――悪かった、お袋より先に逝っちまって。俺ぁ親不孝者だ」


 成人して、そんで俺が金稼ぐようになって、そっからやっと今までの返済が出来るってのにな。俺は途中で死んじまったから。孫の顔も見せてやってねぇってのに。


「何、そんなこと気にしていたのかい?」


 だが、母親はくすりと笑んだ。何も気にしていないかのようにそう言って、俺の頭に手を置いた。

 ――優しい、温もりだ。久しく感じなかった、母親の温かみ。


「いいんだよ。こうして元気な姿を見せてくれただけ、私は十分。そっちのお友達もいい子じゃない。私は、千春……アンタが、どこか別の世界でもいいから生きていたってだけで、満足だよ」

「……お袋」

「今、千春が生きているのはこっちじゃないんだろ? じゃあ、向こうで元気にやりな。私もこっちで元気に死んだら――また、会うこともあるかもしれないよ」

「元気に死ぬってなんだよ……ったく、長生きしろよ」

「それはこっちの台詞。千春、これを持って行きなさい」


 母親は懐に手を突っ込むと、それを俺に握らせてきた。強く、強く。握りしめるように渡されたそれを見て――俺は、後頭部を乱暴に掻いた。


「……ああ。大事にする」


 それは、お守りだった。単なる交通安全のお守りだったが――俺にとっちゃ、そいつは全く別の意味を持っている。

 もしあの日死ななかったら、俺はきっとこいつらに会うこともなく――けれど、それはそれで幸せな日々を送っていただろう。だからどう転んだって俺は後悔はしていない。

 でもまあ、気をつけるさ。もう変な死に方はしたくねぇしな。


「レティシアちゃん、ちょっと耳を貸しなさい」

「ひゃい……?」


 母親は次にレティシアを手招きすると、何やら小声で話し出した。当然その内容は俺達まで聞こえてこないが、一体何を話しているのだろうか。

 ただ、最後の方はこちらにも十分に聞こえてきた。


「……いいかい? 余りにも鈍いようなら、寝込みを襲っちまいなさい」

「――っえ、ええっ!?」


 いやマジで何を話してんだ、物騒な単語が聞こえてきたんだが。


「レティシアちゃん、アンタはいい女だよ、自分に自信をもっていれば大丈夫。短い時間だったけどありがとう、元気にやりなさいね」

「……はい、ありがとうございました! お母さんもお元気でいてください!」


 そしてレティシアが離れると、次に母親はフェルナンデスを見据えた。どうやら全員に何か言うつもりらしいな。


「フェルナンデスくん、千春が世話になったね」

「フェ、フェルナンデスくん……あ、いえ、むしろ世話になったのは俺の方で」

「そんなことはないよ。千春はいつも自分勝手に突っ走っちゃうし、放っておくと一人で暴走しちゃうから、フェルナンデスくんが後ろで支えてやってあげてね」

「……分かりました。自分でその役目が務まるなら、努力します」

「いいのいいの。聞き分け悪かったら気軽にぶん殴っていいんだからね」

「殴っ……流石にそれは」


 ――ったく。

 そいつは余計なお世話ってもんだぜ。ただまあ、素直に聞いておくとしましょうかね。

 俺は照れ隠しに頬を掻いて、「さて」と咳払いしてそれぞれの注目を俺に集めさせる。


「……ま、俺は大丈夫だからよ。そろそろ行くわ」

「うん、元気でやりなさいよ」

「ったりめぇだ。ああお袋、悪いが口座の金は使っちまったが……ちゃんと携帯とか解約しといてくれよ。俺はもう、いねぇんだから」

「やっておく。これで最後なんでしょう? ――たまに墓参りくらいはしてあげるさ。お供えは何がいい?」

「っは、そんだけ軽口叩けるんならもう大丈夫だな。最後に話し出来て良かった、これで俺にも未練はねぇ」

「こっちこそ――来てくれて、ありがとうね。これでようやくアンタは……思い出に、出来ると思うから」

「――おう」


 俺は頷くだけして背を向いた。

 これが金輪際の別れである以上、これ以上の台詞は交わせない。さよならも言わない。

 それは俺がこの世界で死を迎えた時に、既にしているはずだから。


 俺は背中を向けたまま、右拳だけを軽く夕暮れの空に突き上げて、立ち去った。


「――全く、敵わねぇなぁ」


 母は強し、ってやつだ。

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