4.別れの言葉(上)


 ○月○○日


 千春が死んだ。

 交通事故だったらしい。


 いつも元気で外を走り回っているような千春が死んだ。

 即死だった。

 信じられないことだった。何日経っても、いきなりフラッと帰って来るんじゃないかって思いが拭えない。


 今は相手を許せないとか、そういうことは考えられない。今は頭が真っ白だ。どうしていいか分からない。

 とりあえず、寝ようと思う。他のことは、明日になってから考えようと思う。

 ご飯の量が一つ多かった。冷蔵庫に入れてこないと。













 ボクシング部員が異世界転生

 後日談四話 別れの言葉














 ――これは、俺が死んだとされる日付の付近のページに書かれたものだった。それまでも数日感覚で日記は付けられていたらしいが、この日を堺に日常的なことが書かれなくなっている。

 数日ペースだったのが、一週間だったり、一ヶ月まるごと間隔が空いていたり、つまりはそういうことだ。


「お袋や親父には悪いことしたな……」


 今更俺の死因がどうだったか、だなんて覚えちゃいない。交通事故、確かトラックに轢かれたんだったか――それじゃ、俺の死体は人の形をしていたかどうかさえ怪しい。


「けどまぁ、そうか。俺はやっぱり――死んでいるか」


 俺が死後の話に俺が関わるなど、洒落にもならないけど。


 人には誰だって死ぬ時は訪れるが、それでも学生の俺が死ぬのと歳食った俺が死ぬのじゃ話がまるで違う。

 それも事故で――もしも俺が逆の立場だったら、憤りはどこにもぶち撒けられないまま、何年も心にしこりが残り続けるであろう。


 俺が死んだ日付は現在より半年前。

 一人息子の俺が死んだことで、母親はほとんど一人でこの家に暮らしていた。父親は仕事の関係で夜遅くまでは帰ってこない。

 それでは精神も病むだろう。悲しみを共有出来なかった母親の有様は、半ば日記に殴り書きされていた内容で痛いほどに分かった。

 既に何ヶ月も前に死んでしまった俺のことを、いつも昨日のことかのように日記に書いていたのだから。


 俺の部屋がそのまま綺麗にされていたのも、いつ俺が帰ってきてもいいようにと毎日掃除していたのだという。俺がいつ帰ってきてもいいように、なるべくそのままに保っていたという。

 俺の携帯や口座をそのまま放置していたのは、そのためだったそうだ。


「……駄目だぜ、苦なこと言うかもしれねぇけど。死んだ奴のことは、なるべく早いウチに思い出にしてやらねぇと」


 俺みたいな若者が言うことじゃねぇけど。


 誰のためとかじゃない。でないと、自分が参っちまうからそうするんだ。

 だが母親はそうしなかった。そして、今から一週間前――母方の家族が引き取る形で、地元に連れ帰ったらしい。その発端となったのは、一ヶ月前に父親が海外転勤したキッカケで母親が完全に一人になってしまうことからだった。


 父親の転勤は、本人が猛反対していたが駄目だったらしい。息子を亡くした妻を一人残して海外には行けない――そんな意見も、会社からすれば「半年も経った」ということで片付けられたそうだ。元々SEとして優秀だったようで、会社としてはその腕を見込んで海外で主力を張って欲しかった、みたいだが。

 嘘ではないだろうが口から出任せの言い訳だろうな。

 しかしながら会社の意向に逆らって退職になっても洒落にならないわけで、結果的に母親は一人になった――独り、か。


 日記に書かれていた最後の日付は一週間前。

 さようなら、千春。と書かれた殴り書きの文章で締め括られ、以降は白紙が広がっている。


 だからこの家にはもう誰もが住んでいない。

 仏壇がないのは引っ越す時に移動したのだろうか、ちょっと部屋がさっぱりしているのは家具の一部を持っていったからなのだろうか、そこまで日記に書かれていないために分からないけど。


「最後まで俺のこと、全然忘れてやがらねぇな」


 まだ母親の中で、俺は思い出になっていない。

 ――未練、か。


 俺は日記帳を閉じると、自室の机の上に置いた。






 時計の針は六時を指していた。早朝の方だな。

 結局のところ、レティシアはリビングで寝たらしい。あれから色々やったがとりあえず怒りは収まったようだし、俺も日記帳を読むってことで一人になりたかったしな。


「おーいお前ら、起きてるか」


 まぁ俺は一晩中思案していたわけで、全く寝ちゃいないのだが。

 自室から階段を下りてリビングへ降り、恐らくはソファで眠っているであろう二人へ呼び掛ける。


「………………あ、チハルだぁ」

「……う、うっ……嘘だろ……あんまりだ……悲しすぎるぅ……うっ、あ、チハルさん……」


 ……。

 …………。

 ………………。


 お前らまだアニメ見てたのかよ。

 というか最終回終わったとこじゃねぇか。


 哀しみと儚さの入り交じる壮大なエンディングをバックに、二人は各々俺の方へ目を向けてくる。

 フェルナンデスは泣き腫らして目元が赤くなっていて、レティシアも眠そうに目元を擦っていた。


「いや寝ろよ」

「だって止め方分からなかったし……」

「うう……なんでお前、消えちまったんだよ……!」

「ちょっとフェルナンデス、泣きすぎよ……ううっ」


 いやまぁ楽しめたなら良かったんだけど。

 付けっぱなしにして寝てくれりゃまた朝途中から再生してやったのに。


「まぁ寝てない俺が言っても説得力ないけどな」


 後でコーヒー買っとこう。今日も一日、まさかだらけて一日を無駄にするわけにもいかないからな。

 こいつらが眠りたいんだったら、それでもいいが――。


「ね、ねぇチハル」

「なぁチハルさん」


 二人は揃ってそう言い出した。

 ……お前ら。


「んだよ」

「私達も考えたんだけど――どうして、チハルの世界に来ちゃったのか」

「チハルさんは忙しそうだったから、俺達も独自で考えていた。といっても、可能性の話しかできなかったが……」

「……ったく、んなことだろうと思ったよ。で、結論は出たのか」


 こいつらは馬鹿だが空気を読まない奴らじゃない。

 朝までアニメを見てたってのも――いや見ちゃいたんだろうけど、同時にずっと考えていてくれたらしい。師匠としてはありがたい話だ。

 しょうがねぇ、駄目元で聞いてやるよ。


「あのね。なんて言ったらいいか分からないけど……チハル、言ってたじゃない? 未練はあるって」

「ああ、言ったな」

「その未練が――チハルを、呼び戻したんじゃないかなって。あくまで可能性の話だけど、必ずしもそうでないとは言えないんじゃないか……って」


 ――未練、ねぇ。

 俺は顎に手を当て、ソファで眠そうにしている二人を改めて見下ろした。エンディングもそのタイミングで終幕を迎え、画面が録画一覧へと戻される。


 静けさの戻ったリビングで。

 俺は、多分笑ったのだと思う。


「奇しくも考えてることが同じだったな。いや、つうかな……それ以外に何があるんだよってとこから辿り着いただけだが」

「ただ、それだと俺やレティシアまで一緒に来てしまった理由が思い付かない」

「――そうだな。俺の個人的な理由で飛ばされたんだったら、傍にもいなかったお前らが一緒にくっついてきた意味は確かに分からねぇ」


 相変わらず神様の野郎は干渉してこねぇしな。

 そして確かに……未練はあるんだ。母親がそんな状態で、放っておけるかよ。


 確かに死人の俺が現代の人間に干渉するのは不味い事態だろうよ。けど、克服してんならまだしも、参っちまってるってのに「ただ死んでるから」って理由で動かない俺じゃない。

 そんな奴は、世界を救う英雄じゃない。


「ま、なんかあんだろ。ついてこい、俺は今からお袋に会いに行く」

「――えっ?」

「アレ読んだなら誰でも分かるよな。今俺が会いに行くのは逆効果だって。俺のこんな姿見たら、誰だって『俺が生きてる』って誤認しちまうよ」


 しかし街中を歩いていて知り合いに会わなかったのは本当によかったよ。ま、約束もしてねぇのに早々会えるわけねぇんだが、なるべく関わりは持たない方がいい。


「だがな、今会いにいかねぇでいつ会うってんだ。いきなり向こうに戻されちまうかもしれねぇってのに、常識で考えていいわけねぇ。何より俺が会いに行くと決めた――その場限りの誤魔化しはしねぇよ」


 本来死んだら会えないんだ。だが俺はこうしてこの世界にやってきている。

 だったら会わない理由はないさ。ま、流石に――俺が会うのはお袋だけだがな。父親は、海外に居るんじゃ仕方ねぇ。

 ま、遺書くらいは残しておいてやるよ。死んだ後に遺書書くってのも笑えないけれど。


 ――俺は亡霊でいい。松山千春という存在が死んだショック。そいつを母親には打ち払って貰って、安心して貰って、この世から千春は消え去るのだ。

 これやったところで向こうに帰れるかは分からないが。


「……うん。チハルがそう決めたんだったら、行くわ」

「右に同じだ。なんだかんだチハルさんはやってくれるからな」

「――半分は俺のワガママだ、助かる。まぁなんだ、今から食材買って作るには店も空いてないし、外食でいいか?」

「はいはいはい! まだファミレスで食べたかったやつある!」

「……他にフルタイム営業の店もないし、そこでいいだろう」

「チハルさん、金は大丈夫なのか?」


 うっ、痛いところを突いてくるな。流石は俺に勝手に財布使われた奴の台詞なだけはある、それなりに言葉が重い。

 向こうでは俺はちょっとした金持ちなんだがなあ。


「心配すんな。どうせ稼ぐ宛もねぇし、いずれは無くなるもんだ」

「うん……? おかしいぞ、今の台詞にはどこにも安心できる要素がない……」

「金が尽きるまでに戻ればいいってこった。ま、努力しようぜ」


 ……知ってるか? 三人全員新幹線使ってこれから実家に帰省するんだぜ? 何万も弾け飛ぶぜ、外食何十回分か知れたもんじゃない。

 ただそれを正直に言ったらフェルナンデスが泡拭いて発狂しかねないし黙っておこう。










「はい、じゃあ電車の説明をするぞ」

「な、ななな……なにこれ、巨大な、生物がががが」

「あれは生き物じゃなくて乗り物な。でかい馬みたいなもんだ」

「やっぱり生き物じゃない!」

「悪い、例えを間違えた。でかい――なんか移動するやつ」

「えええええええっ!?」


 残念ながら説明する言葉が思いつかないんだ、許せレティシア。


「とまあ、身体で覚えろ。筋トレと一緒だよ」

「いやいやいやいやそれはおかしい」

「ち、チハルさん……? 本当にこれに、乗るつもり、なのか」

「別に食われるわけじゃねぇんだ。マジリカのクソ精度テレポートと違って、ちょっと時間は掛かるがかなり高速で目的地まで運んでくれる乗り物なんだよコイツは、おら行くぞ」


 腹ごしらえを終了した俺はまず携帯で新幹線の席を取り、当日チケットを大人三人分購入し、駅前の人混みと巨大な建物に怯える二人を半ば無理矢理引っ張る形で駅中に連れてきていた。


 これから新幹線で三時間弱の旅になる。出発は二十分後だから、計算的には午後一時辺りに向こうの駅につくことができるだろう。そこから更に電車で一時間の場所が俺の実家だ……果たして場所を正確に覚えていただろうか。まぁ行けば思い出しもするだろう。


「ま、まって十秒待って、十、九、八」

「落ち着こうチハルさん、流石に俺もこれは怖――」

「うるせぇさっさと乗り込んで席につけ」


 俺は二人の肩をがっちり掴むと、笑顔で二人に目配せした。

 他の乗客の視線はこの際気にしない、だってただのカルチャーショックだからな!


「オラァ!」

「うわあぁあああああ!」

「おわわああああああ!」


 すみません駅員さん、あんまりよろしくない行為だけど突き飛ばすのは今回だけなんで、多めに見て下さい。

 こうしてレティシアとフェルナンデスの背中を一押しした俺は、最後に悠々とドアを潜る。


 二十分後、再び両名の絶叫が放たれるのは最早言うまでもないだろう……。

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