3.取るに足らない平和な日常
「――あ、やべ。スーパー寄るの忘れてた」
ほぼほぼ深夜手前、後数分も針が動けば十二時を回るそんな時間。
全ての照明が点灯している神々しいチハル家・一階リビング。
ポテチ(コンビニ産)を貪りながらテレビ画面に張り付くレティシアとフェルナンデスはスルーしておいて、俺は一人悩んでいた。
だらしなくソファに寝そべって菓子ばりばり言わせてる咀嚼音をどうにか遮断しつつ、俺は空っぽの冷蔵庫を片手で閉める。
「さって……どうしたもんか……え?」
そんなことより原因究明とかどうしたんだって? したよ?
いや普通に考えて分かるわけねぇじゃん、ただ街をフラフラほっつき歩いてるだけで町の住人が「この町の市長に会ってみるといい」とか助言くれるわけねぇからな。
残念ながらそんな親切な人間はこの都市部に存在しないし、何よりそんなあからさまな危機はこの世界にない。
俺が異世界でちょちょいと英雄にのしあがったのだって、運が重なっただけのことだ。最初の草むらで戦闘力5くらいのレティシアとフェルナンデスにエンカウントしなければこう上手くは行かなかったし、そもそも魔王軍からグレゴリアにちょっかい掛けてきたわけだし、そもそも俺には神から「魔王を倒してくれ」という明確な指示もあった。
縁は向こうから擦り寄ってきたようなもんだ。
こちらで同じように動こうと思ってもそうはいくまい。
だから今日やったことと言えば、アイツらと街で遊んで服買って飯食って帰ってきただけで。
恐らくは、これ以上街で情報収集を重ねたところで向こうの世界へ戻る手掛かりは見つからないだろう。そんなものがあれば異世界転生が横行している。
ならば、まずはアプローチの仕方を変えるべきじゃないか?
つってもどうすればいいか分からん。
だから、滞在時間を増やすためにもとりあえず出費でも減らすか――というわけで、日々の飯を外食から節約料理へ切り替えるつもりだったのだが。
「今の今まですっかり忘れてたな……奴らのポンコツが頭に侵食し出したか」
節約するならまずあのポテチをどうにかしろって話だが、あれくらいはな。この異常事態でしか味わえない経験だし、二人には多少の贅沢はさせてやりたい俺の良心と、ある種のワガママでもある。
さてと。俺は周囲を見回した。
今朝から今に掛けて気になることは幾つかある。
――何故、家族がいない?
帰って来る気配はない。そして家も、俺が知るそのものだ。内装が幾らか貧相になっていることを除けば俺の記憶と照らし合わせても大差ないはずで、だから俺の家であることは間違いはないのだろう。冷蔵庫が空になっているということは、家には住んでいない――つまりは家を売り払わずにそのままってことなのか?
後は俺の携帯やカードがそのまま使用可能だったことが疑問の一つに挙げられるだろう。俺の仏壇なんかも置いてなかったようだし、だからこそ
まぁ、それなら空き家になっている理由に説明がなくなるか……。
「ねぇーチハルさまー、チハルー?」
「アプローチ、アプローチねぇ……」
「あれ、聞いてますかー? チハル様」
「ふうむ、先に俺の回りを洗ってみるのも――」
「チハルってば!」
なんだ、レティシアか。
「――俺は今忙しいんだよ、フェルナンデスと一緒にアニメ見てろ」
「終わっちゃった。それでね、この“りもこん”の使い方分からないんだけど」
「あー……ちょっと貸せ」
俺はリモコンをレティシアから取り上げると、録画一覧からアニメの二話目を選択する。
すぐ様ソファからフェルナンデスの歓喜の声が上がった。良かったな、お前は無事に底無し沼に陥ったぞ。
ちなみに、今更だがこちらの言語は普通に通じているようだ。
俺が向こうに転生した時もそうだったが、言語の壁ってやつはひとまず無視していい問題らしい。その方が都合いいから良かったけど。
「悪いな、自動再生にしてやったから後はいじる必要はねぇ。ホラ戻った戻った……」
「チハル」
「……なんだよ。つかそろそろ呼び方統一しようぜ」
ホラ始まったぞ次の話。まぁワクワクしながら見てるのはフェルナンデスだが……。
「――その、一人で抱え込まなくていいんだからね? 私達も手伝うわ。いつもいつもチハルに任せっきりじゃ、弟子じゃなくてただのすねかじりですから。ふふん」
「え、違ったの?」
「……えっ」
「……?」
いやお前らには楽しんで貰いたいって理由も勿論あるけど、役には立たなそうだから放置してるだけだぞ俺。どうせこの世界のこと知ってんの俺だけだし。
「……なんだか凄い悪口言われてる気がする……気のせいであってほしいわ」
「あ、お前らのイメージは今でもクズだからな、特にお前」
「ねぇ! ちょっと酷すぎない!? これでも戦いましたー! フェルナンデスと二人で首都防衛したし、魔王城だって…………あれ?」
「まぁお前普通に操られてたけどな」
「……あっ、あは、あはははー……えへ?」
胸を張ったまま硬直するレティシア。
俺は二度頷いてから固まっているレティシアの身体を反転させてやる。
「ほら国へおかえり」
「優しいけど優しくない言葉掛けないで欲しい!」
「あなたの国は便所よ」
「普通に酷すぎるんですけど……」
閑話休題。
「で、なんだよ行かないってことはまだ言いたいことはあるんだろ」
「そう! やっと話戻った! はい、これ」
俺が強制的に話を戻すと、レティシアもそれに乗って話を進めてきた。きっとこれ以上痴態をほじくり回されたくなかったのだろう――ちょっと待て。
差し出してきたそれを見て、俺は眉間に皺を作った。
「こいつぁ、お袋の字で間違いねぇ」
レティシアが渡してきたのは、古ぼけたノートだった。タイトルには『日記帳』とだけ書かれていて、随分と年季が入った物だ。
「色々物色してたら引き出しの中で見つけたんだけどね、大事なものだろうなって思って」
「……お前どんだけ物色好きなんだよ。いや、助かる。正直俺も手詰まりだった」
俺の回りを洗うにしたって、その方法がないからな。まさか死んでる俺が身内に電話するわけにもいかないし、当然知り合いに連絡も取れない。そうなれば必然的に得られる情報量は減っちまうからな。
親とはいえ人の日記を勝手に覗くのは忍びないが……いや、見ておくべきだろう。母親が真面目に日記付けてくれているといいんだが。
「ちなみに私も少し見たけど、多分それはチハルにとって大事なことだから。ちゃんと、全部読んであげてね」
「……今なんつった?」
「え、あ、その、ごめん……勝手に読みました……」
いやそれはそうだけどそうじゃなくて。
「お前、この文字も読めるの」
「え、そこなの? は? 読めるわよ馬鹿にしないで」
「いや言語理解はいいにしても、俺向こうの文字とか最初ほぼ読めなかったぞ」
「私これでもかなり優秀な魔法使いなんだけどそこのところ覚えてる? こういうのは得意だし、それに言語ならパターンさえ分かってしまえば後はちょろいもんよ。割合難しくて解読に時間は掛かったけれど」
うっそ。
……お前そんなに頭良かったのか。てっきり食う寝るだけの維持費が高いペットだとばかり。
「ペット……」
「ねぇ今何考えてそれ言ったの? 明らかに私見てるよね? ペットじゃないんだけど?」
「維持費は高い」
「チハルさまぁ、私も泣くんですよ……ぐす、知ってました?」
「嘘泣き空泣き作り泣き何でもござれだしな」
「いや一つじゃない……あっ、ちょ、何でこういう時だけ頭撫でてくるの……うう、ううう……」
レティシアは比較的ちょろい奴だから頭撫でときゃなんとかなるのさ。
「しかし悪いな、素でお前はその辺り馬鹿だと思ってたからな」
「………………は?」
「そうかフェルナンデスが無駄に使えるのはそういうことだったのか。流石は魔法使いだな、今度からお前も頼りにするよ」
「イラッ」
レティシアを撫でていた俺の右手首が物凄い握力で掴まれる。あ、ちょっと本気で怒ってね? なんで? 今見直したはずなんだが――。
「チハルさまぁ。魔法の練習、しましょう」
「えっなんで唐突に。俺これから日記」
「魔法、覚えたいんでしょ?」
あれ、地雷踏んだのかな俺。
「あっ、ああそうだな、まあそれは向こう帰ってからいくらでもできるわけだし、今は優先順位ってものがあってだな」
「へぇ」
「も、もうちょっとなんか言おうぜ、ネタキャラらしく、ナ?」
「うん」
ぎちぎちと俺の右手首が悲鳴を上げている。コイツ……めちゃくちゃ握力上がってねぇか? ちょっ、痛いんだけど。
「あっ、やっべ俺最近睡眠不足だったんだよなぁーいやぁ久々に羽根伸ばしたいって思ってたからこれきっと神様の計らいなんじゃないかな、うん! そうそう急に眠くなってきたから俺ベッドで寝てくるわ、お前らあんま夜更かしすんなよ。じゃ!」
「あっ、ちょっと逃げるんじゃ――待ちなさい待って! さっきの流石に許されないと思うわけなんだけど、待てこらぁあ!」
瞬時の判断でレティシアの拘束をぶち破った俺は一目散に自室へ逃走する。
「なんでフェルナンデスは馬鹿じゃなくて私は馬鹿なのよぉぉぉぉ! おかしいでしょぉぉ!」
「お前突っ込むところそこかよ!」
深夜にどたばたと。きっと一軒家じゃなかったら今頃四方八方から苦情の嵐が飛んできたことだろう。
――しかし何故だか、俺を追いかけ回すレティシアが楽しそうに見えたんだが。
きっと、気のせいではないのだろう。
ちょっと怖かった。
◇
「全く……チハルさんはレティシアの気持ちを分かっているんだか分かってないんだか……」
レティシアがチハルの自室の扉をどんどん叩いている頃、フェルナンデスは一人ソファてくつろいでいた。
たまにポテトチップスをつまみながらテレビを眺めつつ、左手には国語辞典を開いてぺらぺらとページを捲っている。
「レティシアめ、俺も半分は解読手伝ってたのに最後には俺をけなしていきやがった……俺も大人だ。あいつと違って俺は大人だからこの程度で怒らないけど、俺は大人だから」
がりがりと乱暴に後ろ髪を掻いた後、一旦辞典をテーブルの上に置いて伸びをする。丁度アニメのシーンでも主人公が両腕を伸ばして伸びをしていたところだった。
柔軟体操は身体を柔らかくするために必要で、それを行うことで疲れも取れるし柔らかくも強固な筋肉のベースが出来上がる。柔軟体操は日々の健康維持にも欠かせないもので、今やこれがフェルナンデスの日課となりつつあるのだ。
「ま、俺は空気読んで一人でアニメを見ていよう――おっ、嘘だろう? いきなり部屋に爆弾はやばいって……」
遠くの方からレティシアの嘆きや扉を叩く雑音が断続的に入ってくるが、フェルナンデスは見向きもしない。軽い柔軟体操を行いつつ、物語の続きを食い入るように眺めているのだった。
そんなこんなで、初日の夜は明けていく――。
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