とある日のちょっとした後日談

 現代世界へ迷い込んだバカ二人

1.それは異世界転生ではなく

 朝。

 ぼんやりと目を覚ますと、俺は見慣れない天井を仰いでいた。


 何となく寝心地が良くて、もう少しだけ眠っていたい気持ちを押さえながら俺は目を覚ます。毛布を退けて上体を起こし、大きく伸びと欠伸を重ねて数秒脱力する。

 日差しが明るい。子鳥の囀りをBGMに、俺は右手の小窓を半ば感覚的に開けようとして――。


「……あ?」


 そこに広がっていたのは、どこまでも続く住宅街。電線が空を走り、巨大な建物が幾つも立ち並び――と、いうか。

 外を走る車のエンジン音が、俺を現実に引き戻す。


「んだよ、そりゃ」


 ここは――昔の俺の自室だった。俺が交通事故に遭って死亡して異世界に行く前の、平凡な人生を歩んでいた俺の部屋。辺りを見回せば机や部活着や表彰状やメタルラックに本棚にテレビにダンベルなど、懐かしい物が沢山部屋に飾られている。

 それは紛れもなく、異世界ではあり得ない光景で。

 突然、異世界での日々が夢や幻だったかのようにぼやけ出す。俺は明瞭な視界を塞ぐために目を擦る。


 そうすればこの夢は覚めるのではないかと。次に目を開けた時、視界はいつもの異世界の寝床へと戻っているはずだと。

 ――しかし、何度目を擦っても目の前の視界が変わることはなかった。


 俺は、異世界にはいない。ここはそんなファンタジックな世界じゃない。

 ここは、現実――。


「あ、いやちげぇ」


 ふと右を見る。そこにはアホ面で口をあんぐり開けたレティシアがぐうすか眠りこけていた。

 ふと左を見る。そこにはフェルナンデスがクソみたいな顔で熟睡していた。


「起きろクソ共、緊急事態だ」

「むにゃむにゃ……チハルさまぁ、えへ、えへへぇー」

「っておい、ちょ、抱き付くなお前、おい、起きろ!」

「んー、これおいしい、もっとー……」

「駄目だこりゃ……おいフェルナンデス」

「――ぐがー……」

「クソが!」


 とりあえず、夢の類ではなさそうだ。










 ボクシング部員が異世界転生 後日談

 ~現代世界へ迷い込んだバカ二人~










「とりあえず、今の状況を整理しようと思う」

「チハル様、チハル様! これって何ですか? ああ見たこと無いのが沢山!」

「部屋物色すんな、話聞け」

「あの、チハルさん、ここは……」


 俺の机の引き出しを漁ったり写真やアルバムを眺めて物色しているレティシアを引き摺って部屋の中央に正座させつつ、ふぅと一息吐いた。


 ――何故こうなった、というのは全く分かっていなかった。


 だが確定していることはある。それは俺もレティシアもフェルナンデスも、間違いなくこの現代日本に来てしまったということだ。


 そしてここは俺の部屋。勿論俺の家だが、既に家中を調べ上げて両親が家にいないのは把握している。

 そこで一瞬、やはり俺は夢かとも思ったのだが……外で普通に人が歩いて会話をし、車やバイクも通り、そういった俺に関係の無い生活風景が詳細に描写されている時点で夢だという願望は捨て去った。


 というかさっき寿司の配達に電話も使ったしな。

 あと数十分もすれば家にファミリー寿司のランダム盛り合わせセットが届くはずで、これが夢なら流石に笑うしかない。

 そもそも自分の頬を張れば痛いしレティシアはうざいし、まぁ夢ではないな。


「その、なんだ――ここはまぁ、俺の故郷だな。んで俺の元自宅だ」

「やっぱり! ここがチハル様の……あ、ベッド使っていい? ねぇ、ねぇいいでしょ?」

「なぁフェルナンデス、こいついつもよりうざいんだがどうすればいい?」

「……俺に聞かないでくれ」


 こいつらが平然としているのは、単に俺の事情を既に知っているからだ。俺は戦争終結後、全てが終わった後に『俺が異世界から転生してきたこと』をこいつら二人には打ち明けている。


 マジリカに話してこいつらに話さない理由もないしな……こいつらは俺の話を聞いて妙に納得していた様子だったが、恐らくは合点でも行ったのだろう。

 何せ魔法の世界で魔法の才覚ゼロ、肉体全振りの英雄だ。そう説明された方が自然かもしれないな。


 だからここが現代日本だと知った瞬間も二人はそこまで驚きはしなかった。

 どころか「チハル様が転生してきたんだから別に珍しくないんじゃない?」とほざいたレティシアに「ふむ、同意見だ」などと頭の良い振りして実際何も考えてないクソ感想のフェルナンデスがリラックスしてやがるだけ。

 馬鹿野郎がお前ら転生ってことは一回死んでんだぞ? しかも今回はあのオッサンに会ってないと来た……そうだ、会ってねぇ。


 そして、俺は向こうで死んだ覚えはねぇ。第一死んだらそれでおしまいだ。


 ……どういうことだ?

 なぁ神様よ、どうせ上から見下ろしてんだろ? なんか言ったらどうなんだ。


「――返事はねぇ、か」

「ん? どうしたんだ、チハルさん」

「いやなんでもねぇよ」


 ピンポン、とインターホンが鳴らされて会話は中断。こいつも懐かしい音だ、二度と聞くことはないと思ったが……いや、いい。

 俺は鞄に入れっぱなしだった財布を取り出すと、玄関へと向かう。

 しかし疑問ばかりが残る――異世界転生? 異世界転移? まぁなんだかわかんねぇが、何かが起こってるのは間違いない。


 けどこいつもいい機会だ。

 情報探るついでに、あいつらにこの世界を見せてやるのもいいかもしれないな。



 ――と、いうわけで。


 寿司で腹拵えをして少し後。バカ二人が初めての食べ物(しかも生魚)を目の前に繰り広げたテンプレ食レポは置いといて、俺達三人は街を出歩いていた。


「な、なによこの人集り……え、あの服どこの民族衣装? というか露出高過ぎじゃない? それにあの髪……あっ! 最初のチハル様みたいな服着た人達が沢山!」

「お、おお……これが、チハルさんの世界……確か魔族がいないんだったか、高い建物が沢山……なんだあの壁、中で人が動いてないか? 原理はなんだ、何で出来ている」

「おいお前ら、やめろとりあえず落ち着け。通行人の目が痛い」


 俺が確認したいことは二つ。


 俺が現代と呼んでいるこの世界が、正しく俺の世界で合っているのかどうか。それと、今が何年なのかということだ。まぁこっちに関しちゃ携帯ですぐ分かった。俺がこの世界から消えた年――死んで異世界転生した年と、同じ。


 となると問題にすべきは前者だ。何故ならばここが平行世界パラレルワールドという線がないわけではない、似て非なる異世界ではまた話が変わってくる。

 だが、確かに俺の部屋は存在した。家族はいないが俺の家はあった。俺の財布や通帳もあった。俺という存在は確かにあるのだ。

 問題はその俺の“家族”がどこにも見当たらないことだが――考えても分からないことは分からない。


 それよりも一番イヤなのは、もう一人俺がいた場合……考えたくねぇな。勝手に金使ってることになるし。


「お前ら」

「はい! なんでしょう!」

「え、お、おお?」

「駄目だこりゃ……あのな、お前ら、あんまり驚くなよ? 必要以上に驚くなよ? 分かったな? せめて一通り見終えてからトイレの個室に入って好きなだけ一人で驚い」

「うわあああああああああ何これ! ねぇ見てチハル様」

「うるっせぇえぇぇぇええええええええええ!」


 俺は人目も寄らずに叫んでレティシアの肩をむんずと掴んで揺さぶった。ぶんぶん頭を上下に振られるレティシアは為すがままにされている。

 ……え、なんか奇異なる視線が俺に向けられてんだけど。何、俺が悪いの? いや、確かに叫んだ俺が悪いかもしれないけど。しれないけどやめろこっち見るなぶん殴るぞ。


「……レティシア。頼む、マジ頼む、周りの視線があまりにも痛いからとりあえず大人しくしてくれ」

「え? 何? あのチハル様が人様の目を気に……? う、嘘でしょ、衛兵にあんな暴言吐いて通行人にも平気で怒鳴り散らかすあのチハル様が……?」

「俺はそこまで傍若無人じゃねぇ」

「私のあられもない姿を変態に晒してお金を稼いでいたあのチハ」

「悪意ありすぎだろてめぇ!」


 いや、待てよ。こいつらの姿は日本人離れした――そう、外国人だ。こいつら外国人みたいなツラしてんだ、多少日本の文化に驚くくらいわけない、そうだそれで行こう。


「ひそひそ……ちょっとあの人乱暴じゃない」

「関わらない方がいいよ、絡まれない内にあっちいこ」


 聞こえてんだよなあ。


「……その、すまん」

「あっれぇどうしたのチっハルぅ? いいのよもっとやってあははあははははははは、ホラどうしたもっと苛めてみなさいよあははは!」

「お前後で殺す」

「いやー! この変な男に脅迫されてますー! ダレカタスケテー!」


 ……こいつ。

 俺がわなわな拳を震わせていると、周囲にどんどん人集りが出てきて次々に言葉が飛んでくる。「なんかのショー?」ショーでも演劇でもねぇから「うわぁ凄いコスプレー、写真撮って良いですか?」うるせぇ携帯ぶっ壊すぞ野次馬共。


 やべぇ疲れてきた。俺はレティシアとフェルナンデスの肩を叩いて強烈な眼光で合図を送り路地裏に撤収する。とりあえず人目に付かないとこに逃げてから一端、作戦会議だ。


「はぁ。お前ら家で散々説明してやったろ、この世界のことはよ」

「でも、でも、全部見たことないものばっかりなのよ? 興奮しないわけないじゃない! ほら何この線とか羽とか鉄とかアレとかもアレでしょ?」

「アレばっかじゃねぇかお前全然覚えてねぇだろ」

「なあチハルさん……言いたいことは分かるが驚くなってのも無理な話だぜ。俺も実際、驚きの連続だ」


 目をキラキラさせやがって。

 俺がお前らんとこ行った時は失望に絶望を重ねたがな。マジで娯楽とかねぇし、ありゃよくある中世ファンタジー以下だったからな……いや、だからこいつらこんなに興奮してるのかも。分かる。


「あぁそうだろうよ。まず金さえ払えばあんだけ旨い飯が家に届けられるだなんてありえねぇよな。だがな、こっちではこれが普通だ。日常的に獲物狩ったり戦争したりって時代じゃないんだよ。仕事で金稼ぐのがメイン、ジョブだジョブ」

「でもよ、あの――なんてったっけ? ボタン一つで明かりつけたりボタン一つで部屋が涼しくなったりボタンひとつで」

「だぁあ全部ボタンじゃねぇか! テメェもかよ! 俺から言わせれば魔法一つで何でも出来るお前らも異常なの! 分かったか!? はい終了!」


 お前らの言うこともすげぇ分からなくもないんだが、それはこちらも同じ台詞なのだ。とりあえずは順応して貰うしかないだろう、まさか家にコイツらだけを置いてくわけにもいかないしな。

 ったく。


「わぁったよ、だからちょっとだけ俺の用事に付き合え。そしたら自由時間だ、色々見せてやる」

「ほんと、ほんとに!? ほんとね! よし言質はこのレティシアが確かに取ったわ」

「なんなんだよお前、つかテンション高いな」

「当たり前じゃないここがチハル様の世界ってんなら楽しむしかないでしょう! ええ! しゃぶり尽くしてやるわよこんな機会ないですからね!」


 ガッツポーズすんな。

 俺は後頭部を掻きながら溜息吐きつつ、携帯を取り出す。地図アプリ地図アプリ……そういえばこいつも久々に使ったな。操作に慣れん……こっから近いのは、と。


「お、ちけぇじゃねーの」

「何をしているんだ?」

「見せてもわかんねぇだろ。コンビニ行くんだよ。店だ店、食べ物とか日用雑貨が売ってんだ」

「ほう、例の“こんびに”とやらか……何でも売っていると噂の」


 そんな大層なものじゃないけど面倒くせぇから突っ込みはナシで。


 さて、俺がコンビニで何をするかと言えば、まぁ一つしかない。当面の生活資金の調達に決まっている――っても今まで貯め込んでた貯金を引き出すだけなんだが。

 懐かしい入店音をBGMに俺はコンビニATMの前へと立つ。幾ら入ってたか、暗証番号忘れたな……あ、ミスった。またミスった……お、入れた。


「十万と少し、そんなもんだったかぁ……? ま、足りんだろう。足りてくれなきゃ困る」


 何を持ってして足りるのかは俺も自信がねぇが、これで少なくとも一ヶ月……うん、持つんじゃねぇかな。俺にも成さねばならない目的があるしそこまで此処に留まるつもりはないが、もしもの時を考えての最長滞在可能な期間は一ヶ月。


 どうにか帰還の方法を探さないとな。そのためにはまず何がどうなってこの世界に来ちまったのか、それを探るのが再優先だ。

 マジリカの瞬間移動が使えりゃ話は単純いや今のなかったことにしよう、地獄にでも瞬間移動しちまいそうだ。


「ったくよ……」


 全財産をATMの狭い引き出しよりひっ掴みつつ、俺は思考する。


 ――元の、この世界が本当に俺の世界だとして。

 俺は、残るつもりなどなかった。


 レティシアもフェルナンデスも連れたままだし、何より約束は果たさなきゃならねぇ。そして俺は、もうこちらの人間ではない。俺が自ら願って向こうの世界に残ったんだぜ、なぁ神様よ。

 いやお前の仕業かどうかまでは分かってねぇけど。


「しっかしこのクソ暑い……夏真っ盛りに戻ってくるとはねぇ。いい晴天だが、トレーニングって気分じゃあねぇな」


 ま、精々動くとするさ。

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