43.選択

 そこに倒れた魔王の死体。それを見て、俺は血に染まる自分の手を見る。

 魔王の血は赤かった。人間と同じ赤色をして、俺の指先から滴って地面に落ちていった。


「結局……」


 その後の台詞は、ない。色々考えたけど浮かばなかったから、止めた。散々思うことはあったのだろう。この短い間に交わした魔王とのやり取りは、非常に考えさせられるものだったから。

 どうしても考えてしまう。答えなんて出ないのに。


 立ち尽くしてぼうっとしていると、誰かが駆け寄ってくるのが分かった。フェルナンデスと……ああ。

 起きたか。


「……レティシア」


 足元がふらついた。おぼつかない足取りでびちゃりと血溜まりを踏み、俺は奴らの下へ歩く。二人とも心配げな表情で、俺を眺めてきた。


「おいおい。気にすんなよ、俺はここにいんぞ」


 適当に巻いた包帯に返り血を擦り付け、拭き取る。よくわからないが、これでも少しマシになっただろう。


 よくやったよ。とりあえず、魔王は倒した。本当にこれでよかったのかは今でもわからないが、やってしまったものは仕方ないことだし、どっちにしろ片方が死ぬのは必然だったのかもな。魔王が死ななきゃ俺が死んでいた。それだけの話なのかもしれない。


 後のことは後から考えればいい。魔王軍という敵が消滅した今、人間が最高位なのだと勘違いする馬鹿共が増えるのは確実だ。そういう奴らは必ず魔族を目の敵にする。悪の指標にするかもしれないし、奴隷にしようとするかもしれない。ひょっとしたら皆殺しだなんてことも無いとも言えない。

 だが、それらは帰ってからゆっくり考えることだ。


 今は、ゆっくり休みたい。


 また視界が揺らぐ。レティシアもフェルナンデスも心配したように俺に声を掛けてくるが、そんなに大事でもないだろう。ただ、帰って。

 帰って。


「……あぁ、そっか」


 ごぽりと。口から血塊が零れ落ちた時、そうではないのだと理解した。自分の身体を見やれば、最早自分の血だけで真っ赤に染まっている。

 道理でさっきから寒気が止まらないわけだ。吐き気もあるわけだ。立っているのもやっとってか、よく立ててんな俺。


「なぁ、何喋ってんのかわからねぇけどよ」


 俺を心配してくれてるってのは、分かる。何故だかこいつらの声が耳に入ってこなくてちょっと寂しい気持ちはあるんだが。ってか、俺は喋ってるけど、ちゃんと言葉に出来ているのか。音がないからよく分からないが、伝わっていると信じたい。


 右肩をフェルナンデスに、左肩をレティシアに支えられているこの状況。

 無様だなぁ。こいつらだって満身創痍で今にも倒れそうなはずなのに、俺だってまだ一人で立てるくらい余力あるんだぜ。


 俺は多分。最期に、こう言った。


「悪ぃな。後は頼んだぜ、お前ら」


 どしゃりと、衝撃だけが伝わってきた。







 どわっと、少ない歓声が耳に入って来た。機械的な光に照らされて俺は目を細める。どこだ、ここ。とかいう前に……この足の感覚は。

 踏み慣れた、足に跳ね返る感触。次第に明瞭になっていく視界。


「……あ?」


 そこは、リング内だった。俺の眼前には対戦相手が居て。レフェリーが居て。その後ろにはロープが四本張られていて。更に後ろには観客が。いや、右にも左にもいる。当たり前か。いや当たり前なのか?

 なんだ、これ。


 ――いや、そういや。何で忘れてたんだ。今、俺は対戦してるんじゃないか。そのためにこの一ヶ月、お前と戦うためだけに減量したんだ。死に物狂いで走って、厳しい特訓こなして、食事制限までさせられてここまで来た。

 必ずぶっ倒す。


 対戦相手と拳を打ち合わせ、レフェリーの「ボックス」の掛け声と共に闘気を露にする。ああでも、俺はなんでこいつの名前覚えてないんだっけ。

 まあ、いい。余計な考えは消去して、目の前の敵を叩きのめすことだけに集中しよう。


 やや守り気味に構えてフットワークを刻み、相手の出方を窺う。久々のグローブは重……いや、何言ってんだ? 8オンスってのは軽いだろ。

 ちょっとばかり首を捻ってもやもやを解消しようとしたが、対戦相手が向かって来たために思考を中断。相手はサウスポーでちょっとやり辛い。


 いきなりストレートを放ってきやがった。だが俺も対サウスポー戦のために何度か練習はしていた。コーチは元々右利きだったから本場ではないが、「サウスポーのストレートは最初からやられっと効いたりするんだよなぁ」と言っていたのを意外と覚えていて、実際にやられても対処に難くなかった。

 カウンターできるような隙は与えてこなかったのでガードを固めて守りの姿勢を作り、次々放たれるラッシュに時々ジャブを返しつつ、思う。


 これは何だか、違う。と。

 いや、何が違うのかはよく分からなかった。


 ステップや摺り足を不規則な動きで合わせて場を乱し、相手に打たせ難い状況を作りつつ細かいジャブとストレートで牽制する。

 いやぁ、なんつうか。


 余りにも考えごとに集中していたせいか、割合痛いフックを顔面に貰った。幸いにも伸ばした腕でアゴをガードしていたから一撃でノびるような無様な真似は晒さなかったが……。


 ああ、そうか。

 俺は打ち合いをしながら、段々気付いていく。


 別にKOする必要はどこにもない。ダウン獲得できんなら安全に狙ってけばいいし、得点稼いでもいいし。アウトボクサーの俺からすればゆっくり確実に痛い攻撃を放っていけばいい。近寄られればクリンチで時間稼ぎ、また離して得点稼ぎつつ狙えるところで狙う。

 それだけだ。


 でも、そうじゃねぇんだよなぁ。


 丁度クリンチで潰した時に、ふとそう思った。

 何が違うんだろうってな。


 もう分かり切っていた。だから、こんな試合は早く終わりにしてやろう。

 そう思った瞬間、試合が終了した。対戦相手が消滅して、レフェリーが消え、次に観客が霧のように消える。最後にリングが消滅して、無の空間になった。


 俺の前に、オッサンが現れる。


「あら、気付いてたの」

「ああ、途中からはな」


 気付いていたというより、なんとなくだったが。グローブを脱ぎ捨てると、そのグローブすら霧散するのを確認して俺は苦笑する。シューズも消えてなくなった。気が付けば、いつもの学生服だ。


「やっぱ、あれだな」

「ん? 唐突にどうしたんだい、君は」

「いや。死んだんだなって、思ってな」


 意識が混濁していたのはそのためだった。俺にはありもしないリベンジマッチへの日々と、異世界での日々が重なっていた。

 オッサンめ。最後の最後で現れやがったな。


「それは違うよ。わたくしが見せたのは、トラックに轢かれて死んでいなかった君が通るであろう記憶だよ」

「へぇ、すげぇなオッサン。そんなことできんのか。流石は神様」

「君まだわたくしのことオッサンって言うんだね? 地味に傷付いたよ」

「心にもねぇことを」


 ま、全部終わったことだ。文字通りな。


「んで。望み通り魔王ぶっ倒したぞ」

「うんうん、確認したよ。確かに世界が崩壊するような未来は回避されたね。助かったよ」


 心底嬉しそうな表情をして、オッサンは呟いた。「人選ミスしなくてよかった」と続けたオッサンに「丸聞こえだぞ」と突っ込めば、悪びれもなく舌を出してウィンクをする。

 殺すぞ。


「君に殴り殺されるのは嬉しくないね。あんまり。わたくしは撲殺死体にはなりたくない」

「俺如きに殺されるほど柔じゃないだろ、オッサン」

「ぶっちゃけ君じゃ手も足も出ないし、何なら反抗した瞬間に地獄に叩き落すこともできるよ」


 止めてくれよ、冗談に聞こえねぇから。


「んで、早くしろよ。今度も俺に何か用があってこんなところまで連れて来たんだろ?」

「おおう、相変わらず察しがいいね。君は」

「いや何も用がなけりゃいくらなんでも普通に死んだ俺を連れてこねぇだろ。それともお礼だけを言って、はい君の役目は終わったんで大人しく死んで下さいとでも言うのか? ぶっ殺……おっと、地獄には行きたくねぇな」

「勿論、そんなわけないよ」


 オッサンは俺の態度にはさしたる反応も見せず、ぼさぼさの後ろ髪を掻きながらこう言った。


「一応役目を果たしてくれたからね。君にはチャンスを与えよう」

「おお、二回目か。あんた随分とふてぇ野郎だな」

「え、それ意味合ってる? チンピラとかそういうのに掛ける言葉じゃなくて?」

「それはともかくとして、チャンスって?」


 それを言うと、神は若干悲しそうな目をした。折角ノってあげたのにって顔してる。悪かったな。


「つまりだよ。さっき君にルートワンの未来見せちゃったんだけどさ、まああれなわけよ。元の世界に戻れるんだよ。トラックに轢かれたことをなかったことにしてさ」

「は? そんな頭のネジ飛んだことできんのかよオッサン。じゃあそれで魔王殺せよ」

「いやぁ何言ってんの君。それができたらとっくにやってるよこのわたくしだって、そんくらい分かって欲しいな」


 それもそうだな。


「それって断っても強制ってパターンか?」

「いや、君はあの異世界にも生き返ることができるよ。その場合は魔王倒した月日から一ヶ月後、グレゴリアの宿屋のベッドの上で奇跡の生還というわけだね」

「ああ、なるほど。そんなこともできんのか」

「よく考えたいだろうし、時間は」

「――いや別にいらねぇよ」

「だろうね」


 このオッサンは最初から人の心が読めてる癖に律儀に説明するあたり、なんなんだろうね。嫌いじゃないよ、そういうのは。


「ありがとう、その言葉は素直に受け取っておくよ。それで答えは?」


 俺は間髪入れずに答えてみせる。


「そりゃあ勿論――」


 異世界だよ。


「ちなみに、その理由を聞いてもいいかい?」

「リベンジマッチよりも遣り残したことがあるってことくらいだな、それだけだよ」


 ふぅん、そうか。

 と神は呟いて。


「それではこれでわたくしとは永久にお別れだ。もう二度と君とは会わないだろうし、会えない。これから先君が死んでも……ああっと、それは死んでからのお楽しみだね。思わず先走るところだったよ」

「はぁ。最後まで自分勝手な奴だな、オッサン」

「神ってのはどいつもこいつも傍観者だらけで自分勝手で傍若無人だよ。でも、別に嫌いじゃないんだろう?」


 あぁ、別にな。


「それじゃ、さよなら。君のことは――」


 嫌いじゃなかったよ。そんな、神の言葉が聞こえた。


「じゃあ最後に、神らしいことを言って送り出しちゃおっかな」

「オッサンそれ気に入ってんだろ」

「そうだね、気に入ってるかもしれない。松山千春、死する君に再び命を与えよう。さあ蘇れ魂よ、二度(ふたたび)の生を全うするのだ――」


 一番最初にも聞いたような台詞が耳に入って来て。


 最期に。

 俺は。オッサンのアホ面を拝んで、意識を失った。

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