42.最期に望んだもの

 フェルナンデスがそう言い、詠唱した瞬間――。

 力が漲るような、そんな感覚が全身に行き渡っていた。


「……お前」


 疲労は抜けていない。痛みもある。

 だが、また動けるようになった。気合いとかではなく、強制的に身体を動かせるような……そんな気分だ。

 身体中に這い、痛みではなく力をくれる電流を眺め、俺は眉をひそめる。


「強化魔法って、他人に使えんのかよ」


 バフ魔法がある、とレティシアは一言たりとも言っていなかった。前衛という概念そのものが存在しないのだから、他人に強化魔法を掛けるような技術が発達するわけもないはずなのだが――。


「いや。できるかもしれない、って思ってやってみたんだ。チハルさんが魔法使えないってんなら、俺が掛けてやれればいいって、思っていた」


 こいつ。何の確証もなかった癖にやったってんなら、相当な天才だよ。


 俺はフェルナンデスを片手で担いでやり、魔王から発された闇色の球を避ける。背後で凄まじい爆発音が鳴り響いたが、当たらなければどうということはなかった。

 いつもと同じ。


 改めて思う。

 ――魔法ってのは、すげぇもんだな。


 こけにしたように魔法使い共を薙ぎ倒していた記憶が大半だったが、いつもその威力だけは本物だった。当たらなければどうということはないが、当たれば致命傷にもなり得る攻撃。

 魔法で障壁も張れない俺がオルフェニカの自爆技を喰らったりすると、簡単に全治一ヶ月以上も掛かるような大怪我を受けてしまう。


 それ故に。初めてその身体に受けた魔法を感じて、俺はその強靭さになるほどと舌打ちをした。こんなに便利なら、そりゃ身体を鍛えようなんざ誰も思わないだろうな。自分が弱い、なら魔力を強くすればいい。皆もそう、だから自分もそうすれば強くなる。

 さしずめそのような思考が生まれたのだろう。そんな愚直な考えが働いても全くおかしくはない。何せこの世界は魔法で何でもできてしまうのだから。だが今は、ありがたく受け取ろうじゃねぇか。


「魔王、そろそろお前も本気出せや――こっからは、条件は一緒だぜ」


 フェルナンデスを抱えたまま、俺は不敵に笑ってそう呟いた。俺の力と魔法、魔王の力と魔法。強いて言えば格闘技を習った俺の方が上手だが、そこは魔王だろ。なんとかしろよ。


 床を蹴ると予想以上の力で床ごと蹴り壊してしまい、そのままの勢いで魔王に突っ込む。魔王は顔を歪めたまま宙に浮かんで回避行動を取り、俺は驚きつつも飛び上がって階段の柵の上に乗り、今度は加減を加えて跳躍する。


 痛みはある、だが無力感はない。まだやれる。


「それでは、そのようにしよう!」


 自分に驚いた俺よりも驚愕の表情を浮かべ、魔王は叫んだ。瞬時、漆黒のオーラが魔王を包んで禍々しく変色する。身体は完全に黒く、二枚の翼が背中から生えるその姿は、悪魔と形容するのが正しいか。

 関係ねぇ。


「吹っ飛べや!」


 俺のが右拳を繰り出すと魔王はそれに合わせて左の拳を突き出してくる。相殺するつもりか――バチン、と激しい破裂音が響き、俺も魔王も弾け飛ぶ。

 ここが空中ってのが災いしたか? 宙で拳打ったことなんて、当たり前だがなかったからな……。


 まぁ、折角だし最大限使わせて貰うさ。


 俺は空中で体勢を整えて床に着地する。そこは大広間の一階で、未だ侵食していた闇に足の肉が焼かれたが、気にせずに跳躍して闇の範囲外へ抜け出した。

 今更、多少焼け焦げたくらいで気にするかってんだ。


「フェルナンデス、脱出すんぞ」

「え、逃げるってことか」

「当たり前だ。どうせ魔王は追ってくるからそこで迎え撃つ、あんな狭い場所で戦ってちゃ分が悪いんでな」


 強化された脚力を最大限生かし、魔王城の門から飛び出した。勢いよく飛び出しすぎたために空中に投げ出される形となった俺は、流石に苦い顔を作ってフェルナンデスに問い掛ける。


「強化魔法って十メートルくらい高いとこから落ちても大丈夫だっけか?」

「さ、さあ……」


 まぁ、なるようになるだろ。そんな軽い気持ちで地面に着地すると、ぎしりと足の関節が悲鳴を上げた。若干汗ばみつつも抱えていたフェルナンデスを降ろしてやり、一つ訊く。


「この強化魔法ってのはいつまで保つ?」

「分からない、なんたって初めての試みだからな……今もう一度掛けるが、数分しか持たないと思って欲しい」

「了解」


 フェルナンデスが詠唱をすると、俺の身体に這う電流の量が多くなる。特に変化はないから、強化魔法は途切れてはいなかったようで。

 次いで、悪鬼羅刹のような面相で魔王城を飛び出してきた魔王が俺を見付けると、その翼をはためかせて一直線に突っ込んでくる。


「逃がすと思うか!」

「ホラな、予想通りだろフェルナンデス」


 それだけ残して地を駆ける。俺の舞台は地面だ、空中戦なんてできねぇから相手を地上に誘い込むしかない。それには。


「ゴリ押すか」


 俺は近くにあった石柱を拳で砕き、倒れてきた柱を持って魔王へ投げ飛ばす。いやまさかこんなことができるとは自分でも思わなかったが――魔王は短い詠唱を完了させて、ぶつかってくる石柱を難なく破壊した。砕けた破片が空中に散らばり、視界が悪くなる。


「小細工が俺に通用すると――」

「よぉ」


 俺は今の隙の間に魔王の背後まで飛び上がり、にやりと笑ってみせる。石柱での攻撃が目的ではなく、俺から気を逸らすことが目的だということに気付いた魔王は、ハッと間抜けな顔を披露した。


「お前に接近戦ってのを教えてやるよ」


 俺は両手を組んで上へ振り上げ、ハンマーのように叩き落とした。それは背に直撃し、魔王は地に叩き落とされる。その横に降り立ち、俺は拳を握り直した。

 お前は俺の戦い方を知らない。知らないが故に、防げない。そりゃそうだ、俺だってこんな暴れたのは初めてだからな。しかしここからは違う。


「構えるなら構えろ」


 俺はもう一度、オーソドックスの構えを取る。魔法で強化された肉体は、さっきよりも断然軽い。調整が難しいが、動かないよりは全然マシだ。


「誘いに、乗ってやろう」

「っは」


 今度は俺と同じく右で構える魔王を前にして、俺はステップで前に踏み込んだ。二度も同じ過ちを犯すか? なら普通にぶん殴ってやるだけ――。

 狙いは定めた。定めた上での渾身の右ストレート。


 体重も乗り、魔法で強化された俺の一撃を――魔王は、すんでのところで避けてみせた。


「あれだけ見せられれば、学習もするさ」

「お前……!」


 今のは重心移動。勢いに任せただけの回避だったが、舐め腐った何の捻りもないストレートくらいなら避けられるレベルには達していた。

 こいつ、まさかこの短期間でボクシングを見て“覚えた”とでも言うのか……?


「改めて愉しもうじゃないか!」


 魔王が叫び、俺の懐に潜り込んで拳を繰り出してくる。ぎりぎりで打ち払ったが、驚きと焦りが勝って俺の思考が魔王に潰される。次いで放たれるアッパーカットを避けた瞬間に、俺の腹部に“黒い塊”がめり込んでいた。

 これは、魔法。


「が、はっ……!」


 そうだった。そうだったじゃねぇか――!

 飛ばされながら、自分の失態に悪態を吐く。こいつはボクシングじゃない。如何に相手が同じ土俵に立っていたとしても、ボクシングのルールに則っているわけでも、それに試合でもない。これは立派な殺し合いだ。


 魔王が俺を見下ろし、無言で指をくいと動かす。その姿は、まるで喧嘩を愉しんでいる悪ガキのようで。


「乗って欲しいか……? 乗ってやるよ!」


 こうやって俺が乗ることが分かっているから、こいつは俺を似た者同士と言ったのかもしれない。こいつが肉体どうのこうのじゃなくて根本的な性格のことでも指していたのなら、そりゃすげぇ。


 俺は息を吸い直し、魔王へ立ち向かった。同じように魔王はまたボクシングの構えを取り、俺と接近で殺り合う。殴って避けて、魔王は魔法を交えて俺を殺しに来る。俺はそれらを全て見切って避けて、強化された肉体で魔王へ拳を打ち込む。


「オラオラオラオラァ! まだだ、掛かって来い魔王!」

「ァアァアアアアアア!」


 殴って殴られて、俺も魔王も消耗する。次第に着実に、その戦いは終わりを迎える為に互いを削り合う。

 それは端から見れば、相当異質な戦いだったに違いない。二人ともが熱くなって、その殺し合いに全てを懸けた。己の全力を。


 それは、すぐに終わる。


 強化魔法に限界が達したようで、雷が断続的に発光していた。俺は構わず殴り合うが、俺自身にも限界が来たことを直感的に察知する。もうフェルナンデスの方も魔力切れで、強化魔法も掛けられないのだろう。

 だがそれは、魔王も同じことだった。


「こんなことお前に言うのもなんだが、悪くなかったぜ」

「俺も君にお礼を言おう。柄にも無く、愉しめた」

「……そうかよ」


 これが最期だと分かっていたからこそ、俺はもう一度笑い。

 魔王も、確かに笑った。


 俺は正真正銘最後の力を振り絞り、魔王も闇色の波動を全開に殴り掛かってくる。その動きが、俺には見えた。

 ただ下方に避けて、渾身の拳を魔王の胸部に打ち込む。


 ずぶりと胸を突き破る音がして。どさりと倒れる音がして。


 しん、と静まり返ったそこには。


「……あぁ」


 そこには、俺だけが立っていた。

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