41.ラスト・バトル
対談の時間のお陰か少しは動けるようになった――と、言えなくもない。
さてはこれが狙いだったのか、魔王は俺の構えに様子を見ているばかりだ。
止まってはいるが、空中に浮いている相手へ突っ込むのはあまりいい手段ではない。何をしてくるか分からんばかりか、相手は万全の状態。
それに。見れば分かるほど根本的なことだが、魔王は戦える。魔法ではなく、肉体を使った戦い方を多少なりとも知っている。
そんな奴を相手に、俺の拳は十メートルも飛ばすような威力は発揮できない。
「こねぇのか?」
だから、俺はカウンターを狙うことにした。どの道俺から攻撃を吹っかけるには心許ない体力ではあるし、相手の出方も分からない内にこちらの手札を披露するのは愚策。
幸いなのはこいつが俺と背丈が変わらないところか。今までの敵と比べ、これなら幾分戦い易い。
「それで発破を掛けているつもりか」
「お前からこねぇならそれでも構わないけどな。一生このままだぜ」
膠着状態が続く限り、俺はこの戦場に立っていられる。怪我と出血が酷い分体力を回復するとかいう次元じゃないが、相手が動かないなら好都合だ。
「それなら……誘いに乗ろう」
しかしそうならないことは分かっている。魔王は“此処の世界”の住人だ。
「……儚き生命よ。悠久の安息を齎(もたら)せ、永遠に、永久に、延々と続く終焉の果てへと――」
空中で静止した状態のまま。魔王は、平淡な声色で詠唱の詞(ことば)を告げる。
「エフェムラル・フュネラル」
相変わらず、人間の詠唱の枠から外れた魔族特有の魔法。そのため多少は魔法についての知識を植え付けられた俺も、こいつの魔法は詠唱から内容を推測することはできなかった。
「……こりゃ、規模が狂ってんな」
魔王から闇色の波動が発せられる。それも数瞬のこと、実体化したような闇が魔王の周囲から零れ落ち、地を侵食して俺に迫ってくる。
――こいつは当たったら終いだ。誰だってそんなことくらいは理解ができた。俺は咄嗟に後ろへ飛び退き、侵食する闇から逃れる。
魔王は俺の行動を見ているばかりでその場所から動きもしない。その余裕そうな態度が気に食わなかったが、今はそんな感情に流されている場合ではなかった。
倒れているフェルナンデスを抱え、大広間の階段を目指して駆ける。
その闇は魔王城の一階全てを埋め尽くしたが、階段まではやってこなかった。ただ肉塊となったダフィーリカが、じゅう、と煙を上げて溶けていく光景を見て、俺は顔をしかめる。
「すごいな。そこまで怪我をしても尚、まだ動けるか」
「俺を試してんのか?」
「愉しんでいるんだよ。君の戦い方は他の者共とは根本的に違うものだ。勿論、俺ともな」
「そうかよ」
それが俺の唯一の武器なんだからな。お前からすれば、興味深いだろう。
フェルナンデスを近くの壁に寝かせてやってから、魔王を睨む。すると宙をゆっくりと移動し、俺の目の前に降り立った。
「お空の上から見物してなくていいのか?」
「いい気迫だ。俺も君のように戦ってみたくなった」
魔王は見よう見まねで俺の構えを取る。素人がボクシングの真似事をした時のような、雑で、どんな行動に繋げるかさえ分かっていないような構えだ。
それを見て、俺はまた笑った。
今日、こいつと対面してから何度笑っただろう。窮地に立たされているのは俺だというのに、ここまで笑えるものなのか。
俺も同じように構え、まずは魔王に指摘する。
「お前、左利きなのか?」
「……いや?」
接近戦に嘘はないと見た。俺は一歩目を踏み出し、魔王へ肉薄する。
「その構えはサウスポーだぜ――お前は俺の構えを真似てっから、反対になってんだよ!」
魔王は身体を鍛えることはしていたが、やはり格闘技は知らなかった。そりゃそうだろう。世界に自分一人しか筋力を知らない。そんな中で、誰が素人喧嘩以上の技術を身に付けられるってんだ。
小細工は要らねぇ。
右拳を握り、直接ストレートを打ち込む。誰から見てもバレバレの動きだが、こいつは俺の動きをそもそも“知らない”。
「……っ!」
拳が直接魔王の胸部にめり込む。当たった箇所は心臓より少し上、威力をもろに受けた左の鎖骨にヒビが入り、魔王は痛みに顔を歪める。
「その構えはお飾りか? よく――見やがれぇぇ!」
左のショートフックを顔面にぶち込み、流れるような右ストレートを更に顔面へ入れ、衝撃で魔王が後退する。
その隙は逃がさない。
「――なる、ほど」
「構えが崩れてるぜ、魔王」
一度、やってみたかったんだ。
歯ぁ食い縛れや、魔王。
そのまま後退して留まった魔王の顔。横から、まず右のフックを叩き込む。――あぁ、怪我はしてるが、骨は折れてなくて良かったぜ。本当にな。そこから体重移動で左のフックを。右、左、何度も叩き込む。グローブ嵌めてねぇから軽快な音は鳴らないが――。
「今更対人じゃ使えねぇとは、思っていたけどな……」
デンプシーロール。こんな場面で使う技ではないが、相手が俺の土俵に立ってしまった今しかチャンスはないと、俺はそう思った。
ここで決める。それにはこのラッシュで終わらせる、それしかない。
「ぐ、これ、が」
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラァ!」
既に構えを解いてしまい、サンドバッグ状態と化した魔王の顔面を容赦のない拳の嵐が襲う。俺の体力が続く限り、何度だって何発だってお見舞いしてやる。
よろめいた魔王に、俺の拳は追撃を仕掛ける。
重たい拳が顔を抉る。俺の拳が悲鳴を上げる。殴る、殴る、殴る、殴る、殴る。
「――」
最後の右フックを魔王に叩き込み、俺は動きを止める。拳がボロボロで、身体もボロボロで、これ以上殴っても意味がない。
魔王は、どさりと真後ろに倒れた。よっぽど脳が揺さぶられたのか、起き上がるのに時間が掛かっているようで。
「――はっ、耐えやがった、か」
それでも俺の負けだってことに、変わりは無かった。今のが俺の最後。全身全霊を懸けて放った技だ。それやって起き上がってくるってんなら……。
視界が左右にぶれた。身体に力が入らなくなって、俺は膝を付く。逆に魔王は完全に起き上がり、腫れ上がったその面で不気味に笑った。
「それが、君の……力か」
俺がここに来られたことに心底納得した様子で、魔王は痛々しそうに顔を押さえて言う。
殴った方が倒れるってのは笑い話だな……畜生が。
まあ、ここまで来たのが奇跡ってか。格闘技、それもボクシングしか取り柄のねぇ俺が、連戦を通過してここまで上がってきた。
じゃあ、もういいだろ。いいじゃねぇか。立とうとしても立ち上がれない。本来ならもう既に担架で運ばれて医務室で集中治療受けてるような傷だ。
ここまでやった。
俺は――。
「チハルさん……すま、ねぇ、俺、が」
がしり、と。
倒れそうになった俺を支える奴がいた。
「……っは……!」
ああ、まだ倒れんなってことか? 仕方ねぇなぁ。
俺はこんな身体で、まだ笑う。
「フェルナンデス。お前、あとでぶん殴るから、な」
「ああ、すまない、いくらでも、殴ってくれ」
フェルナンデスに支えられて、俺は再び立つ。眼前では魔王が異物でも取り除くかのように、険しい顔をしているのが窺えた。
「ここでも立ちはだかるか、現界の膿め……」
魔王の手に闇色の球が生み出される。黒く、この世の絶望を濃縮したような、負の奔流が辺りに溢れる。
「――チハルさん、まだ立てるか?」
「馬鹿野郎、一人じゃ立てねぇよ」
吐いて捨て、俺はフェルナンデスに半分ほど体重を預ける。
魔王が俺以外の奴を見て、怒りに身を震わせて本気を出した。
さっきまでは俺との戯れだったってのか? まあそうだろうな……。そうじゃなきゃ、最初から奴が奴の土俵で戦うつもりだったのなら、この状態の俺などに遅れを取ることは有り得なかったのだ。
だったら状況は、更に悪くなったと言えよう。
その中、フェルナンデスが確かにこう言った。
「――なら。俺の力、使ってくれ。チハルさん」
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