魔王とボクシング
40.分かり合えない者同士
「君は俺のただ一人の理解者だ」
――魔王が吐いたのは、そんな言葉だった。俺が首を傾げて無言を貫くと、それでは足りないとでも思ったのか補足で説明を加えてくる。
「種族は違うが、君だけだったんだよ。この世で俺以外に“それ”を知っているのは、ね」
俺に向けて、指を差す。その仕草だけで、何が言いたいのかをようやく理解した。
「理解者ね……」
そいつは面白い考え方だ。俺はくつくつと笑い、そうしてから魔王へ返事をする。
「そう思ってるのはお前だけだぜ、魔王。俺からすればお前は敵であり、だから俺はお前を倒しに来た。それだけだ。俺にはお前の思考回路は理解できないな」
俺の元々存在していた世界では、肉体に頼ることが当たり前だった。科学という技術を差し置いたとしても、その事実は全く揺らぐことはない。この世界のように魔法に全てを懸けてしまうのではなく、俺の世界では魔王の言う肉体という概念は普通にあったのだ。
俺が最初からこの世界で生きていたのならば、こいつのようにそう考えたかもしれないがな。
「そうでもない。俺にとっては君という存在がこの世に存在していた、それだけでも十分な理解者なのさ」
「言ってる意味がわからねぇな」
「分からずともいい。これは俺の戯言だからね」
じゃあ何故俺にその戯言とやらを話したんだ、こいつは。俺は背もたれに体重を預け、途切れそうになる意識を持たせる。
今度は俺から聞いてやろう。話がしたいんだろう? 魔王よ。
「魔王じゃ芸がねぇからな。お前の名前はなんだ?」
「俺か? そんなものはない。俺は生まれた時からずっと魔王で、魔王以外の何者でもなかった」
「そうか、そりゃ悪いこと聞いたな」
名前がない。この世界ではそういうこともあるのだろう。こいつが嘘を吐いているだけなのかもしれないが、それなら追求する理由もない。この会話に意味はないのだから。
なら、最初からぶっ込んでもいいだろう。
「お前がこの世界を文字通り“消し去ろう”としているのは、何故だ?」
魔王の表情が固まった。それまで余裕綽々といた態度をしていた魔王が、目を細める。
やはり神の言ったことは間違いないみたいだな。世界が後一年で滅びる……いや、もう一年もないんだったな。それとも俺が散々暴れ回ったせいで、計画が延期にでもなったのか。
「どこでそのことを知った?」
「さあ。情報ってのは、どんなに隠しても必ずどこからか洩れ出すもんだからな」
例えば天上で見てる神が異世界で死んだ俺に伝える、とかな。
「俺はそのことを誰に話していない」
「どんなに隠してもと言ったろう」
お前もまさか神に予知されているとは思っちゃいないだろうがな。運が無かったと思え。
俺のしたり顔を見てか魔王は顔をしかめる。が、すぐに何でも無かったかのように取り繕った。
「知られてしまったからには仕方ない……俺は確かにこの世界を無かったことにしようとしているよ。それを聞いて、どうするんだ?」
「さぁな。別にどうということもねぇさ。俺はお前がこの世界を滅ぼそうとする限り、お前を阻む。だがちっとばかし、最初の頃とは考えが変わってな」
マジリカに言われたこと。別に本気でそうしようとは思っちゃいなかったが、一応な。
「言ってしまえばお前は今、袋の鼠だ。ここで俺がお前に負けて死んでも、すぐに魔王城には人間の軍が攻め込んでくる。その時にお前を守る者達は一人もいない」
「つまり、言いたいことは?」
「破壊魔法を使うな。そうすりゃ俺がお前を匿ってやるよ。安全は保障する」
言った瞬間、魔王はただ納得したように口端を歪めた。俺の言いたいことが分かっていたかのように、こう返してきた。
「奇しくも、俺と君は似た者同士だったようだね」
「だから、お前の言っている意味がわからん」
いや、それ自体はそもそも返事ですらなかったのかもしれない。
俺は今の説明で十分に言いたいことは伝えたはずだ。俺は世界を守るためにお前に立ちはだかっているが、お前がその行為さえ止めちまえばその理由もなくなるのだ、と。
……だがまぁ、そんなことで止まるのならば俺が駆り出されているはずがないのだ。この魔王は誰にも真実を告げず、一人で着々と何かを進めていたのだろうから。
そんな奴が、今更この局面で折れる道を選ぶはずがない。
「折角のお誘いだが、断ろう。俺はこの世界に絶望しているのでね」
「そりゃ、魔族が迫害されて一つの大陸に追いやられているからか?」
突如。魔王は脈絡もなく、唐突に答えを告げた。俺はそう聞き返したものの、魔王は即座に「違う」と言う。
「そういうことではないさ。弱い者が弱い者としての扱いを受けるのは当然のことに過ぎない。俺が絶望しているのは、この世界の在り方そのものだ。魔法ばかりにかまけ、君のように肉体に気付いてやれた者は人間にも魔族にも、モンスターにも居なかった。そうしてそのまま成長を続け、とうとうここまで来てしまった。そしてもう根本的な過ちに気付くことはできないのだろう。俺はそんな世界の連中が気に食わない。だから、一旦ゼロに戻そうというのさ」
魔王の答えは、破滅的な思考そのものだった。よくある悪役のテンプレ台詞そのもののような、逆にそうでないようにも聞こえる答え。俺は失笑するしかなかった。
俺には他人の意見など馬鹿にできる人間じゃないが、とにかく失笑するしかなかった。それと同時、俺は悟った。“こいつとは分かり合えない”と。
そうだろ。俺はこんなに真剣に淀みなく、そんなことを言う奴にはこの世界でも前の世界でも出会ったことがない。
俺はこんな意思の固まった奴を、説得はできない。
できないだろうし、するつもりなどなかった。
「そうか。そんじゃ、一々否定の言葉を吐く必要はねぇよな。それが分かっていたから誰にも言わなかったんだろ? 魔王」
「さあ、どうだろう。では……君はその力を身に付け、別の答えを見付けたのか?」
身に付けるってか、俺は元々そういう世界から来た人間だ。わざわざ説明する必要はないが――もういいだろう。俺は椅子から立ち上がり、ふぅと深呼吸をする。全身がいてぇし気だるいが、戦う以外に選択肢はない。
戦ってこいつをぶちのめさなければ、世界が滅びるだけの話。
いくら言葉で批難しようが罵倒しようが馬鹿にしようが否定しようが、何も変わらない。こいつにはそれだけの力があって、そうするだけの理由がある。
じゃあ話は簡単だ。ぶつかり合えばいい。
「おや……もういいのか? まだ体力は回復していないだろうに」
「気遣いはいらねぇな。俺は化物じゃねぇんだ、数十分やそこらで大怪我が回復すると思うなよ。それとも何だ、一ヶ月単位で待ってくれんのか? 魔王さんよ」
魔王は俺の返事を最後まで聞いてから、「そうかい」と言って椅子から立ち上がった。すると、椅子が消えて無くなる。ご丁寧なことだ。
「最後に、無理を承知で聞いてみよう」
「なんだ」
魔王は空中に浮かんで俺から距離を取り、たっぷり間を開けてからこう告げた。
「俺の元に来い。君だけはこれからの世界にも生きてていい人間だ。俺と一緒に来るのなら、君は死なないで済む」
「――はっ」
なるほど。似た者同士ってのはそういうことかよ。やりたいことは違えど、最初から二人とも、やろうとしていたことは同じだったってわけだ。
「折角の機会だが、丁寧にお断りするぜ。俺はこの世界を守ろうとはしても破壊する気はない」
「君の行為が世界を守ると、本気で思っているのか?」
「思っているな。少なくとも、物理的には崩壊しないな」
「そうか、では……残念だが、君にはここで死んで貰おう」
予定調和過ぎる魔王の言葉に、俺は吹き出してしまった。なるほどこれは。
ここまで来ると――やってることは、俺もお前も同じじゃねぇか。なぁ。
「お前の野望はここで、ぶっ潰してやるよ」
これが最後の戦いとなるだろう。本当ならセーブポイントでセーブして体力を全快復させてから万全の状態で挑みたいんだが、そういうわけにもいかねぇからな。
俺はいつもの構えを取り、魔王の目を見据える。そうしてからステップを踏み、拳を握り込んだ。
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