39.虚しい勝利

 俺とフェルナンデスの打ち合いはそこまで長くは続かなかった。如何に肉体に強化を施されたところで、フェルナンデスの全身は傷だらけのまま。ラッシュの如く放たれる拳の全てを回避し、速い動きにも鈍りが窺えるフェルナンデスの隙を突いた。

 打った右ストレートが腹部に直撃し、フェルナンデスは衝撃で遙か後方に吹き飛ばされる。


 悪いが早期決着させねぇとやばそうだ。だから打つ場所はそれなりに考えてやれるが、手加減はできない。

 壁に激突した瞬時、ダフィーリカに突っ込んで叫ぶ。


「お前には地獄を見せてやるよ」

「貴様……そこまでの力は、どこから」


 努力と気合いとアドレナリンの一時作用だよ。とは言わなかった。しかし事はそう上手くは運べない。ダフィーリカを殴る前に復帰したフェルナンデスが横っ腹から飛び込んでくる。


「――チィ!」


 流石に反応が遅れた俺はそのまま衝突し、揉み合いに持ち込まれて地面を転がる。無表情で感情の読めねぇ奴と喧嘩するってのは、すこぶる気分が悪い。

 なぁフェルナンデス。お前だってこんな奴に操られて悔しいだろ。お前に意識があるのかどうかは定かじゃないが、とりあえず今は眠れよ。


 揉み合いの状態から力任せでフェルナンデスの頭をホールドし、暴れるフェルナンデスを無力化する。先のストレートで脇腹が折れていたのか、満足に動かないままだらりと四肢を下に垂らして意識を失う。

 ここまでやられても戦うってのは、残酷な能力だ。自分の意識とは無関係に操られ、身体の自由を奪われるってのは――。


「貰ったぞ、間抜け」

「――あ?」


 ざくりと自分から音が聞こえた。不審に思って下を見やると、俺の胸部に突き刺さる黒々しい“針”。これは、と思考する間もなく、灰色の痣が浸食するように広がってきた。


「はははははははは! これで貴様も我の傀儡になるのだ! 予定は狂わされたが……貴様ほどの力があれば雑魚共など要らぬ、貴様ら三体で戦力は事足りよう! どうだ、自らも傀儡となる気分は、人形となる気分はどうだ? 這いつくばるのは貴様だったぞ?」


 全身の自由が支配されゆく感覚がある。これが針と奴の魔術か。俺は舌打ちをする。これが二人を操っていた枷か、なるほどこりゃ悪質だ。

 苛々するぜ。自分の身体が自分の物でなくなってく感覚ってのは――。


「舐めんじゃねぇぞ、ゴミが」


 だったら。


 俺はその針を無理矢理右手で掴み、抜き取った。ぶちぶちと肉が裂ける音がして針が引き抜かれ、灰色の痣がふっと消滅する。その瞬間に発生する激痛、頭痛、目眩、それら全てを振り切って、ダフィーリカへと距離を詰めた。

 驚きに顔を硬直させるダフィーリカが目に入り、俺は笑う。


「――俺を誰だと思っていやがる」


 拳を固め、思いを込めて。ダフィーリカを殴り飛ばす。ばきりと盛大な破壊音を共にして、三魔公最後の一人は地を数バウンドして横たわった。それだけじゃ終わらない。

 起きあがろうとしたダフィーリカを地面へ倒し、何度も殴る。何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も殴る。最早原型を留めないほどに。殴る。既に意識がなくても殴る。事切れていても殴る。


「あああああぁぁああぁああぁあああああ!」







 ――気が付くと、そこには血の海が広がっていた。拳にはべっとりと血がへばりつき、黒い物体が眼前で散乱している。


 どっと、疲労感が襲ってきた。全身に痺れが発生していることから、今の今まで息すら吸っていなかったのではないか。


「これは……動けねぇな」


 ぽっかりと抉れた胸の中心部。突き刺さった針を抜いたために、そこから溢れた血は尋常な量ではない。身体に駆け廻っていたアドレナリンが切れたからか、傷口が再び開いてしまっていた。


 ダフィーリカは完膚なきまでに殺した。文字通り視界が真っ赤になるほど殴り、潰し、一言も喋らせずにあの世へ送ってやった。

 俺が直接殺したのは、こいつが初めてなのかもしれない。今まで死体は見なかったもんな……別に罪悪感など湧いていない。残るのは虚しさだけ。

 きっと復讐ってのも、こんな感じなのだろうが。俺のはそれとは違う、取り返したものはある。


 フェルナンデスの安否を確認すると、気絶はしていたが息はしていた。針は未だに残ってはいるが、痣が消えていたのでダフィーリカの魔術は消え去ったのだろうと思う。これなら、レティシアの方も確認せずに済むな。


「……ここで、一時撤退と行きたかったんだがな」


 力の入らない身体で気合で立ち、広間の奥を睨む。薄暗いそこから、まるで機会でも窺っていたかのように現れたのは――俺と変わらない身長の、しかし禍々しい姿をした奴だった。硬質化した灰色の皮膚。“筋肉組織の発達した”雄々しいその姿に、加えて頭部に生える二本角。


 こいつこそが魔王だ。


 そう気付くのに、時間は必要なかった。


「やぁ、人間。噂だけは耳にしていたが、やるじゃないか」

「……よぉ、魔王。俺も噂だけは聞いてるぜ。お前、その身体、自分で鍛えたのか」


 如何にも魔王然とした黒々しいオーラを纏い、そいつは悠々と俺の方まで歩いてくる。途中にはダフィーリカの死体があったが、それを平然と踏んでやってきた。


「途中で助けりゃそこの肉の塊は生きていたんじゃなかったのか? 魔王さんよ」

「あの状態の君に邪魔したら勢いで俺まで殺されそうだったんでね、見捨てたよ」


 平然とそんなことを言ってのけ、魔王は短い詠唱を刻む。空中に現れたのは、趣味の悪い二脚の椅子だった。それを俺の隣に置き、不敵な笑みを向けてくる。


「ここまで来た君と、少し話がしたい。どうだい、いい提案だろう? 君も休みたいんじゃないか」

「……裏はなさそうだな」

「魔王たるもの堂々と。不意打ちや卑怯な手は好まない」

「ダフィーリカを見捨てたのは、それが原因か?」

「いいや。それは俺だけのルールさ。他は関係ない」


 俺は少しばかり迷ってから、素直に椅子に座ることにした。すると魔王は頷き、もう片方の椅子に自分も座る。

 本当に何もするつもりはないらしい。


 どのみちここまで疲弊していたら勝てるか分からない。折角だから、こいつの言う通りにしてやろうじゃねぇか。


「で。俺と交わしたい言葉ってのは、何だ」


 俺がそう切り出すと、魔王は邪悪な笑みを発する。肘掛けに体重を預けて頬杖を付き、冷めた目つきで――その口を、開いたのだった。

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