38.限界を超えて



 ――。


 ……あ?


 何も、起きない。俺は一度は閉じた目を少しずつ開いて……。


「……っは」


 レティシアが何かを言いたげに、身体を震わせている姿が目に入ってきた。収束していた粒子は消滅し、伸ばしたままの腕が俺に向いている。

 ……あぁ。


「わりぃ。無理、させたな」


 俺に止めを刺さないなんてのは、ダフィーリカの命令には入っていないだろう。

 ならどうしてレティシアが止まったのか。それは自らの意志で、反発したからだ。さっき涙を流したように、自分の動きを止めたからだ。


 だがその状況も長くは持たない。直感的にそう悟った俺は、一度頭を冷静にしてから無理矢理身体を動かそうと地を這いつくばる。

 動け。


 動け。

 動け。

 動け。


 レティシアがここまで抵抗してんだ。俺がここでくたばってどうすんだ。俺がなんとかするんだろ、だから信じてくれてんだろ、動け。動け。まだ終わっちゃいねぇはずだ。

 だから、動け!


 俺は傷だらけの全身を根性だけで起きあがらせ、レティシアと向き合う。俺は「待ってろ」とだけ呟き、右手に形作った手刀をレティシアの首裏に落とす。

 たったそれだけで、レティシアは地面に崩れ落ちて動かなくなった。


「……ったく」


 これじゃ、世話ねぇな。俺は自分の負った傷を確認して、一人静かに嘆く。


 いまいち本気を出し切れなかったってのもあるが、実力的には相当に危なかった。あのままだったら確実に俺は死んでいたし、そこに言い訳はできない。


「ってぇな……んな傷負ったの初めてだっての、ボケ」


 気絶したレティシアの隣に座り、安堵の息をこぼす。まぁ完全に安心はできない状況だ。こいつは気絶から復活した瞬間に俺を狙ってくるだろうし、いつまでこうなっているのかも分からない。


「早いとこダフィーリカぶっ潰して、解放してやんなきゃな」


 レティシアを操ったことに関しては、何があっても許すつもりはない。徹底的に殴り飛ばして地獄に送ってやる。

 ……が、今の状況ではどうしようもないのは明白だった。


 応急処置くらいはしておこうとして、俺は上半身の衣服を脱ぎ捨てる。血にまみれたシャツを破り、傷口に巻いて当て布代わりにした。残念ながら俺にできることはこれくらいで他には何もないが、他に何もないんだから仕方ない。

 レティシアを担いでどこかの壁に寝かせてやり、俺は痛みに顔を歪める。


 痛いってか……これ以上動いたら、死ぬって感じだな。


「ラストスパートだぜ。耐えろや、俺。耐久は慣れっこだろ」


 それでも、動くのを止めるわけにはいかない。少しの間だけ休憩してから気合いを入れ、俺は魔王城を睨み付けた。

 目的地はすぐそこ。さっさと終わらせて、皆で帰んぞ。






 魔王城まで辿り着くが、辺りは閑散としていて兵の一匹も見当たらなかった。てっきり雑兵の数十体とは戦う羽目に遭うのかと思っていたが……。

 まるで招待されたような軽さで魔王城のデカい門を開き、中に入る。ぎぃと錆びた鉄が擦れ合う音は、中々それらしい音だった。

 薄暗い大広間だ。暗闇に慣れるまでに多少時間が掛かるが、別に警戒を撒く必要はなかったみたいだ。


 前方の扉から“堂々と現れたそいつ”を凝視して、俺は鼻で笑う。本当に客人として呼ばれたかのような、そんな思いさえしてきたぜ。

 なぁ。


「お前がダフィーリカか」

「如何にも。我が三魔公最後の布陣よ」


 大広間に明かりが灯される。決して煌々としているわけではないが、薄暗いとも言えない微妙な光の元に照らされるのは、俺とダフィーリカ。相対したと同時、ダフィーリカの方から口火を切る。


「我の人形を倒してしまうとはな、貴様は何者だ?」

「お前と話すことは何もねぇな」

「……野蛮な虫けらよ。ここで朽ち果てるがいい」


 お互いに言葉のぶつけ合いだけして、俺はダフィーリカを見据える。が、当のダフィーリカは一歩後退し――。


 どすん、と。天井から降ってきたそいつと目が合った。

 その瞬間。俺の視界が赤く染まる。


「てめぇ――フェエルナンデスがなんで操られてんだ、ダフィーリカ」

「おや、さては知り合いだったと抜かすのか? それはそれは面白い……極上の娯楽が味わえそうだ」


 青い電流がフェルナンデスを駆け巡っていて、金のローブがゆらりとはためく。レティシアと言い、お前と言い、その肉体強化は一体……。


 というか、こいつはどうやって魔王城まで来たってんだ?

 いいや。大体事情は分かってる、レティシアを餌に釣ったんだろうな。弱ったフェルナンデスを。とっつかまえて胸に針ぶっ刺して、自分の操り人形にして。


「お前は、完全に俺を怒らせた」


 ぶつんと血管の切れる音がして、俺の視界は更に赤く染め上げられた。心臓が激しく鼓動し、全身が高揚する。痛みもない、あるのは目の前のこいつを叩きのめせと叫んでいる、俺の本能ただ一つ。

 今、自分ががどんな状態かは分かっていた。ここで動けば必ず後でツケが回ってくるのだと。そうだとしても、最早止められない。


 俺はこいつを許さない。


「クソ野郎が……てめぇはかならずその場で這いつくばらせて、ぶちのめしてやるよ――ダフィーリカァァア!」


 雄叫びと、肉体強化の施されたフェルナンデスが飛びかかってくるのは同時。

 俺はありったけの握力で拳を握り込み、大地を蹴った。

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