34.魔法陣の守護者
ローランド山脈に入った途端、身体に触れる空気が刺々しいものに変化した。肌を突き刺すような冷風が通る度、ぴりぴりとする空気が酷くなっていくのを感じる。
これが魔流によるものかどうかの判断は俺には付けられない。魔流に乱されるような魔力を持ち合わせていないし、マジリカはこの山脈の影響を受けない魔族だ。だから、先に向かったというフェルナンデスが余計に心配ではあるが……。
「遠くに見知った生体反応がある。そこが臭いな」
俺の一歩前を歩いて先導していたマジリカは、ふと足を止めてそう呟いた。そんな気配は俺には探知できないが、その場所に何かがあるのだろう。
起伏の激しい地形をどんどん進み、登っていく。俺には何度か山でのトレーニングがあるから山の厳しさは体感しているはずだが、ここは予想以上に辛い。
そもそも、別の世界の地形とこの世界の地形を一緒くたにして考えるのが間違っているのかもしれないのだが。
空気には異質な刺が含まれているかのように、息をする者の肺に突き刺さる。凹凸の激し過ぎるこの地形は登るだけで疲労が増す。標高が上がるにつれて寒くなるのは当然だが、それに加えて悪寒が強烈になるこの山脈。
常に結界を張って身体の強化を施しているマジリカでも、決して楽々登れる環境ではないのは確かだった。ヘルゲートよりは幾分マシなようだが……。
「……あ?」
ずしん、と。俺とマジリカを塞ぐようにして巨体が姿を現した。数えるのも面倒なほど歪に生えた脚が足場を掴み、木々の幹を掴み、大口を開けて牙を剥き出しにした顔が俺へ向く。左右に付いた赤い目がぎょろりと動き、そいつは俺目掛けてどたどたと突っ込んできた。
異質な冷気を纏っていることから、何かしらの魔法でも使っているのだと予想されるが――こいつが例のモンスターってのか。
「邪魔だな」
一直線に向かってくるなら都合が良い。即座に構えを取り、一番強烈な一撃を打ち易くするため重心移動で横へとずれ、噛み付こうとしてきたモンスターの目に本気の右フックをぶち込む。たったそれだけでモンスターの首がごきりと折れ、巨体が左へと倒れて動かなくなった。
胴体が重い分、身体ごと吹き飛びはしないが首に衝撃が回ったみたいだな。さっさとマジリカのところまで戻ると、マジリカはやばいものでも見るような目で言葉を発してくる。
「こう間近で見ると、改めて貴様の強大さを実感させられるな……」
「お前ら含めこの世界の奴らが脆過ぎるだけなんだよ」
何でも魔法に頼り過ぎるからこうなるってだけだ。このモンスターなんかで言えば、強化魔法を使わなければ自分の体重だけで動けなくなるだろうし。
魔法ってのはそこまで肉体が要らなくなるものなのか? どうにもそうは思えんが、少なくとも俺には理解できない話だ。そして肉体を捨てて魔法に特化させた連中が肉体一つに負けるってのは、また滑稽な話だ。
「いや、貴様の攻撃は防げないのだ……如何に強力な障壁を張ったところで、魔力を介さない攻撃には大した効果を発揮してくれなかった。貴様がオーダンフェルの絶対防護壁を破った時は、絶望したほどだ」
「誰だそいつ、覚えてねぇな」
「……そ、そうか」
マジリカと戦った時に蹴散らした連中の内の誰かだろうけどな。そんなものにはあまり興味はない。まあ、あれだろ。魔法に対する防御であって、物理に対して機能するために編み出された防御ではなかったってことだ。
仕方ないと言えば仕方ないだろうな。この世で物理攻撃してくるのは、俺だけなのだろうから。
ふと、そこでオルフェニカの言っていた言葉が頭に浮かぶ。魔王が俺と似たような動きをする……それは、一体どういうことなのだろうかと。
あのオッサンはこの世界には魔法使いしかいないと言っていたが……果たして。
「マジリカ、ちょっと気になることがある。お前は魔王の戦い方は知ってんのか?」
「……いいや。戦い方どころか、一度も戦っている姿を見ていないのでな。我は助言できない」
「よくそんな奴の下に就いてたな」
給金がよくてな、とオーフェンと似たようなことを言って、マジリカは頬を掻いた。
まあ。それもいいだろう。既にオルフェニカから重要な情報は得ている。魔法を使ってなお肉体も使うというのであれば……ちょっとヤバイかもしれないがな。
「この先だ」
マジリカが足を止め、右手で俺に静止をかけた。なのでその位置で止まって一息吐く。
「こりゃあ……やべぇな」
思わず溜め息まで吐いてしまった。俺は苦笑しつつマジリカへ首を傾け、聞いてみる。
「これが魔法陣、か?」
「それもあるが――こいつが、我の感じていた生体反応の正体、だったのか」
俺とマジリカの視線の先にあるのは、山の一部を無理矢理破壊して作られかのような祭壇。その中央には魔法陣が描かれており、白い線で繋げられた複雑な魔法陣は淡く光っている。あそこに魔力を流し込めば、転移させてくれるに違いない……しかしそれを実行するには、邪魔な生物が存在していた。
いや、あれを生物に区分していいのかは微妙なところだが――。
祭壇の周りをこれでもかと言う程に囲み、地面から伸びている無数の触手。禍々しいとしか言えないような漆黒のオーラを垂れ流しにし、それらは蠢いている。
まるで魔法陣を守っているかのように。侵入者を排除するかのように。
それら全ての触手は俺とマジリカが近付いた瞬間、一斉にこちらを向いて静止した。
「お前こんな気持ち悪いのと知り合いだったの? やべぇな」
「違う。これは……ダフィーリカの召喚魔法で造られた、傀儡生物だ。ここを人間が通れないようにしたに違いない――来るぞ!」
マジリカの宣言通り、数十はあろう触手が散開し空中から槍のように飛んでくる。
なるほど、ただ丸裸で魔法陣を放置しておくほど馬鹿じゃないってことか? いやそれくらいはして当然か。だがそんなもの、ぶっ壊してしまえばいいだけだ。
串刺しにしようと突っ込んでくる触手の先端から身をよじって回避し、裏拳で横から打撃をお見舞いする。触手の一本はその衝撃で断裂し、四散して地面に飛び散った。
「来るなら来い、それなら正面から堂々とぶっ壊して入りゃいいだけだ!」
まだフェルナンデスの野郎とは会えてはいねぇが、こんな奴がいるってことはまだ来てないのだろう。なら後回しだ、俺が先に行って終わらせられるなら、それが一番良いに決まっている。
話を聞く限り、アイツはまともに戦える状況じゃない。ならば後はせめてあの気色悪いモンスターに殺されてないことを祈るだけだ。
俺は拳を打ち鳴らして気合を入れる。マジリカに合図を取り、祭壇へと一気に駆け出した。
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