30.戦場跡

「――ここ、は」


 身体の浮遊感。視界が歪むような酷い目眩が起きた後、次第にそれらの不快感が消え去っていった。

 目を開ければそこは草原の端の方で、大樹の幹に背中を預けていたことが分かる。周りをざっと見やれば、無事に全員が転移してきていた。


 ヤード高原。

 薄暗く照らされる草原の向こう。遠くの方に巨大な都市が見えることから、どうやら転移は成功したようだ。


 マジリカは力が抜けたように倒れ込み、草原に四つん這いになって溜め息を洩らす。


「これが我の力だ……こんな人数、我にしてみれば些細なことだったのう」

「身体震わせてながら何言ってんだこいつ」


 よっぽど緊張していたのだろう。まああれだけやって失敗したら目も当てられないどころか、ラミィに恥ずかしいところを見せただけの使えない奴になっていたからな。


「ま、成功は成功だ。助かったぞマジリカ」


 マジリカの肩にぽんと手を置き、しっかりとお礼だけはしておく。

 さて。


 遠くの巨大都市を眺め、俺はまずこの静けさに眉をひそめた。細めていた目を元に戻し、転移の影響なのかぐったりとしている皆に声を掛ける。


「魔王軍との正面衝突は昨日の昼からだったか。じゃあ、戦いは既に終わってんな」


 ここからでも分かることは、レーデルハイルの城門が破壊され、周囲が荒れていることくらいか。とはいえそこまで酷い損壊というわけでもなく、派手に露出した街並みは至って綺麗だ。

 なんとかあそこで食い止め、追い返したのだろうか。ともあれ詳しく知るには行動せねばなるまい。


「オーフェン、この辺りの地理には詳しいか? 俺は全く知らん」

「下準備も兼ねてレーデルハイル一帯は調べていたから、それなりには」

「魔王軍が撤退するなら、どこに逃げるよう指示されている?」

「……ああ、背後に位置するローランド山脈じゃないかと。あそこなら起伏が激しく人間に対して牙を剥くモンスターも生息していて、何より魔流(まりゅう)が激しい地形だ。あんなところへ逃げ込まれれば、残党狩りも行えないだろう」

「そうか、分かった」


 詳細は知らんが、人間にとっては厳しい地形ってことだ。魔王軍が撤退をするならあの山脈……そうだな、こうしよう。


「マジリカ、オーフェン、モブ共。俺を除いて戦力に数えていいのはお前達だけだな」

「そうだろうけどよ、英雄様は何を考えて?」

「それなんだがな……」


 俺は、現在自分達の置かれているであろう状況を全員に伝えた。

 まず確定しているのは、九人全員がレーデルハイルへ入ることは出来ないってこだ。考えなくても分かることだが、マジリカやオーフェン達魔族はあそこに近寄ることさえ叶わない。オーフェンはまだいいにしても、マジリカなんて大物が現れた暁には大混乱だ。

 俺の説得なんざ通るはずがない。魔王軍が襲ってきたと勘違いされ、討伐されて終わりだ。


 かといってマジリカとオーフェン家族だけを置いて公都へ向かうのも宜しくはない。ラミィだってマジリカの傍から離れたくはないだろうし、後をこいつらに丸投げしてどうなる。つまり最初からこの選択肢もない。


 なら、どうするか。


「俺だけがレーデルハイルに向かい、情報収集を行ってからレティシアとフェルナンデスを回収してくる。その間お前達には身を隠して欲しいんだが、山脈には魔王軍が潜んでいる可能性がある。オーフェン、山脈とは逆側のあの森とかってどうなんだ?」

「逃げ場としてはどうかとは思うが、少人数なら問題はない」

「ならあそこで隠れ、万が一の為にお前の家族とラミィを守っててやってくれ。正直言って戦争が激化するタイミングが悪過ぎだ、グレゴリアですら魔族を受け入れられない状況では迂闊に都市なんか入れねぇ」


 実際のところ、それが一番のネックだ。グレゴリアは田舎にしても、そこまで小規模とは言えない。最初はどっかの小さい村にでもお邪魔して実績でも積み上げるか……面倒だが仕方ない。

 とにかく今は無理だというのは、自明の理だ。


「分かった。……すぐ戻ってくるんだな?」


 オーフェンは、何やら心配げな様子でそう告げてきた。この場合は俺に対する心配じゃないな、さては俺が逃げるとでも思ってんのか。


「どんな状況になっても、俺がお前らを見捨てることはないぞ。単なる口約束だから信用ってもんがあるかは分からないが……ま、信じてくれよ。そんなに時間は掛けないつもりだ」

「……っふ、お見通しか。正直、この先が不安でしょうがないんだ。チハル様が良い奴だってのは理解してるが、どうも人間と魔族の壁は厚い。まだ拭い切れてはいない」

「すぐに安心できるようにしてやる。そんじゃ、行ってくる」


 今回はレーデルハイルで情報集めて終わりだ。本当に時間は掛からんだろうし、何も焦ったり心配する要素はないのだから。

 俺は八名に軽く手を振り、レーデルハイルへと進む。


「不安なのは……俺も同じだよ」


 誰にも聞こえない位置まで来たところで。

 俺は一人、そうごちた。






 レーデルハイル正門前。

 そこまで近付くと、流石に戦争によって生じた被害が凄惨であることを思い知らされる。血でむせ返るような腐敗臭があり、ごろごろと魔族の死体が転がっている。人間の死体は一つも見当たらないが、死者がいなかったわけじゃないだろう。既に回収されたのか。


 戦場となった大地は至る所が掘っくり返され、穴ぼこだらけだ。巨大な城門は砕けて瓦礫が散乱し、壁も魔法などに穿たれてボロボロなのが窺える。


「誰だ」


 ――早朝だから人はいない、と思いきや。

 公都の中へ足を踏み入れようとすると、横から見張りの兵士が三人も出てきた。それぞれ杖を構え、俺に誰何(すいか)してくる。

 兵士達に俺がグレゴリアの英雄チハルであることを伝えると、彼らは一様に顔を見合わせ、そうしてから怪訝そうな目を俺にぶつけてきた。


 一番偉そうな奴が一歩前に出てくる。


「魔力反応ゼロ。お前のような者が、噂の英雄……? 信じられないな」

「……ああ、お前らは俺が魔法使いだかなんかだと思ってやがるみてぇだな。別に信じねぇならそれでいいよ。聞きたいことがある」


 面倒だ。確かに噂で聞いただけじゃ、俺の戦闘スタイルなんて知らないし理解もできないだろう。ただ戦歴だけが一人歩きをし、噂に尾ひれが付いたのかもしれないな。

 俺が高名な魔法使いだかなんかだと思ってやがるみたいだ。


「魔王軍との戦いには勝ったのか? 見たところ、追い返したみたいだが」

「それを聞いて何になる? たとえお前が本物の英雄だとしても来るのが遅すぎたな。もう戦争はとっくに終わり、負傷者の治療に当たっている」


 勝ったか。まあ予想はしていたからそれはいい。こいつら兵士の態度は余りいいものではないが、余所者にする態度としては当然か。今は多少ぴりぴりしているだろうしな。危機感すらないグレゴリアの衛兵達よりはよっぽどマシだ。


「もう一つ聞いていいか?」

「手短にしろ」

「……グレゴリアからは俺以外にも二人援軍が来ているはずだ。名はレティシアとフェルナンデス。少なくとも俺より名は通っているはずだから知っているとは思うが、奴らは今どこに――」


 そこまで口にして、俺はその先を聞くのを中断した。

 兵士達が二人の名を聞いた途端、それぞれが険しい顔をしたからだ。俺は一番手前に突っ立っていた兵士の胸倉を掴み、引き寄せる。


「――おい。何かあったのか? 答えろ」


 ――まさか。

 いいや、ただ身体を鍛えていただけの俺が生きているんだ。あの二人がくたばるはずはない。……だが。


「離せ! さもなくば魔法を行使するぞ!」

「おっと、悪いな」


 胸倉を離してやると、兵士はげほげほ咳き込み俺を睨み付けてきた。杖の先をこちらに突きつけたまま、その兵士は答える。


「……それは暴虐のレティシア様と、雷鳴のフェルナンデス様のことか?」

「そうだ」


 俺は眉間に皺を寄せ、そう言った兵士の一人を見据えた。


 しばらく静寂がこの空間を支配し、時折吹く風だけが耳障りな音を立てる。目線を俺から外して下に向けた兵士は、ゆっくりと、こう切り出した。


「レティシア様と、フェルナンデス様は――」

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