19.レティシアの逆襲(下)

「ん? チハル様」

「な……なんだよ」


 レティシアは首を傾げた。


「人に教えて貰う時は、態度ってもんがあるんじゃ?」

「は、いや、待て。だって教えようとしてき――」


 いや、そうじゃない――。そこまで言ってから口を止めた俺は、レティシアが何を言わんとしているのかをようやくにして理解した。

 そうだ。最初は彼女がゴリ押しで魔法を教えようとしてきていたが、俺は一度奴の煽りに負けて懇願してしまったのだ。

 魔法を教えてくれ、と。


 ……こ、このアマァ!


「うん? 別にいいんだよ? チハル様がそこで諦めるって言うんなら、もういいかなって思っているわけだし」

「……諦めるつもりじゃ」

「ふぅん?」


 いつもは逆の立場だったレティシアが完全に俺の斜め上を突き進んでいることに、どうしようもなく絶望した。だ、駄目だ……フェルナンデス、頼むお前だけが頼りだグッドタイミングで帰ってきてくれ頼む。

 そうしたら俺は全力で話を逸らす、そしてなんとかその場を切り抜ける。完璧だ。

 頼む。


 しかし扉はぴくりとも動かなければ、ノックすらも起きなかった。


「だったら、ホラ。誠意見せて貰わないと、私も教えたくないかなぁ……? 色んなことを私に教えてくれたチハル様なら、分かると思うなぁ」


 いいや俺はお前に教えていないぞ。他人の精神を完膚無きまでに叩き潰すような教育はしていない。

 一体誰がレティシアをこんな捻くれた娘に育てたんだい、出てこい。


「ぐ……教えて、くれ」

「くれ?」

「下さ……い」


 最大限の屈辱だ。どれくらいかっていうと、小学生の女の子に算数を教えて貰うくらい屈辱だ。

 しかしここまで叩きのめされた上になけなしのプライドで逃げるなど……俺のプライドが許さない……あれ、これ矛盾してね……?


 く、くそ。俺は、俺は……俺は。


「レティシア……俺に魔法を、教えて……下さい」


 とうとう俺は、完全に敗北した。あの小物のレティシアに、だ。幾ら全身に傷を負っていたハンデがあるにしろ、相手はあのレティシアだ。フェルナンデスを煽って逆に痛い目を見ていたあのレティシアだ。

 それに英雄である俺が、いとも容易く止められて、敬語、だと……?


 レティシアは、また首を傾げた。


「え、レティシア? ごめん、聞こえなかったなぁ。もっかい言ってみてよ」

「……な」


 なんだ、と。まさかお前、そこまで要求するというのか……? というか聞こえてんじゃねぇかあああああああとは言えない。

 悪魔のような彼女は、放心する俺の肩をがっちりとホールドした。


 そして、無言の圧力が俺を貫く。なぜ笑顔なんだ、なあ、レティシア。どうせ浮かべるならもう少し真っ白な笑顔にならないもんなのか。


 ――俺は、ようやく気付いた。

 こいつ。ただでさえ鍛えた肉体に、身体能力強化の魔法を組み合わせている、と。


「れ、レティシア……さ……さ、ま……」

「もう一回! もう一回!」

「ぐ、この、や――っ? いや、レティシア、さま……」

「もっともっと!」


 ああああああうるせえええええええぇぇぇえぇぇぇぇぇ!


「――俺に魔法を教えて下さい!!! レティシア様!!!!」


 しん、と。

 世界が静まり返った。


 俺の肩をホールドしたまま、レティシアはきょとんとしている。おい、おい、返事よこせ。まじで。泣くよ。そこで煽られたら俺泣くよ。大号泣だよ、男が泣いても何も生まないよ。


 ……え。


「……やったああああああ! ねぇ、ねぇ、今私のことレティシア様って呼んだ!? 呼んだ!? 絶対呼んだわよね!」

「……い、いたい振り回すな痛い! 言った! 言った確かにいっ痛い痛い! 肩はなしてくれぇぇ……」

「お願い、もう一回言って! お願い!」

「れ、レティシ、ア、様……」


 なにこれ。意味わかんない。だれかたすけて。


 満身創痍に満身創痍を重ねて死にかけの虫みたいになっていた俺は、最早なんの恥じらいもなくその言葉を口にする。

 ああ、ううん。もうなんかいいや。別に。


 何故かレティシアは一人で喜びに打ち震えていて俺をスルーしているし、俺はもう疲れたよ。

 おやすみ。


 ホールドの呪縛から解き放たれた俺は、安息を求めるべくベッドに倒れ込もうとして。


「さあチハル様! みっちり特訓しましょう! この身朽ち果てるまでお付き合いします!」


 レティシアに両腕を引っ張られた。


「も、もう疲れた……いたい……」

「何を言っているの! まだまだこれからじゃない、二人で死ぬ気で頑張りましょう! さあ、詠唱をもう一度!」

「やめろおおお……トラウマを、トラウマをもう生み出したくない……」


 この日はなんだかレティシアの様子が可笑しかった。もうこの時既に俺には元気になってからこいつをぶちのめしてやろうなんていう気は全く起きず、為すがままに魔法講習を続けた。

 発狂するまで詠唱を言わされていく内、もう何をしたら恥ずかしいのかも分からなくなっていったが、そこまでしても魔法の一つも出すことができず。


 空気の読めないフェルナンデスが夜遅くに帰宅し、ようやく就寝の流れとなった。

 その日以降しばらくレティシアの機嫌が良かったが、俺は何も知らない。


 ただ。

 何となくこいつとの心の距離は縮まったなと、そう思い……あれだけされたのに、不思議とそう悪い気はしなかった。

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