18.レティシアの逆襲(上)
「……神よ、炎よ俺に力を与えたまえ……えっと、命の灯火……ここに授かり……? 解き放て、ファイアーシュート……」
「なんでそんなに自信なさそうに言うのよ? それと魔力の変動がないわね……うーん」
レティシアによる魔法講習から約二時間が経過した。
その間はやれ詠唱の基本はだの魔力の流れはなんだのとかわけのわからないことを説明されたが、そんなものの基本すら知らない俺に理解できるはずもなく。
いくつかの初級魔法の詠唱を口頭で教えて貰った俺は、その恥ずかしさに俯いていた。
いや……これ、あれだよ。現地人が本気で魔法を詠唱している姿しか見てなかったから特に違和感とかなかったけど、俺の場合は違うよこれ。だって俺異世界人だもん。
これ前の世界の中学校で痛い系の生徒がノリノリで言ってた中二の詠唱と一緒なんだもん……いやいや分かってるよ? この世界ではそれを言うと本当に魔法が発動することくらい。
何度も見たし。
でもそれは発動するから恥ずかしくないのであって、俺は発動しないんだよね残念ながら。分かる? ぎこちない声で恥ずかしそうに女の子の目の前で魔法を詠唱する自分を上から想像してごらん……うわああああああああああああああああああああああああ!
「いや……俺魔法使えないんだって……な、また今度頑張るからさ……今日は寝ていいかな、レティシア」
完全に俺の心は折れていた。勿論恥ずかしい気持ちはあったのだが、それと同時に魔法が使えるかもしれないという期待感も確かに存在していたのだ。
しかし、そのささやかな希望は一瞬で打ち砕かれた。
「え? ごめんもっかい言ってくれないかな」
「……寝ていい?」
「あらあらチハル様はこの程度で妥協してしまう人だったのね……私達に筋トレを教えてくれたチハル様はこんなところで挫けて妥協してしまうような軟弱な人ではなかったのに」
「あ、違う、今度また練習する……から、な?」
「ああ! 私を育ててくれたあの人はどこへ行ったのでしょう! きっとここにいるチハル様はゴミでクズな別人なのよ……」
「おい」
包帯だらけの身体で拳を放とうとして、にやけ面のレティシアにひょいとかわされた。その腕をちょっと筋肉の付きはじめた両手に掴まれ、割と簡単に元の位置に戻される。
「あはははははは、こんな雑魚いチハル様には負ける気がしないわああはははははは!」
俺はこんなに憎たらしい満面の笑みを見たことがないぞレティシアよ。
お前からは、自分では絶対逆らえないグループの女リーダーの弱味を見つけて重点的にそこを突いてその座から引き摺り落とす女、みたいな顔が滲み出てんだよ鏡見ろ。
「さあやるわよ生ゴミチハル様!」
こいつ絶対殺す。
この前は様付けしていて律儀だなとか思っていたけれど、こいつは必ず殺す。怪我治ったら覚えてやがれ。
「じゃあ、覚えた詠唱をもっかい言ってみて。魔法はチハル様の筋肉みたいに感覚的なものだから、気張る必要も焦る必要もないわ。じっくりやっていけばいいのよ」
「あ、ああ……」
しかし、こいつは人に物を教えるのが上手いから地味に困る。魔法が使えないのは最初から分かっているのだ。詠唱を覚えたり神の恩恵について触れたり、魔力の存在や身体に流れる魔力の感覚を学んだところで魔法なんぞ一つも使えるようにならないのは、大分前から分かっていた。
強いて言えば、あのオッサンが俺に二度目の人生を与えたことが恩恵だ。
だが。いくらレティシアが俺を煽ろうとなんだろうと、こうして一生懸命教えてくれているのは伝わってくるのだ。確かに笑われるが、熱意は伝わっていた。
だから、一度本気でやってみよう。
「神よ、炎よ俺に力を与え給え――命の灯火、ここに授かり解き放て、ファイアーシュートォォ!」
……。
何も起こらなかった。
悲しいほどの静寂が無駄に広い室内を包み、俺は右手を前に突き出した状態で彫像のように固まる。口元がみしりと横に裂け、苦笑いをした瞬間に自分がしたことを考え直すこと数秒。
どっと冷や汗が流れ、今すぐに死にたくなった。これはひどい。
ぷるぷると震える手を力なく下ろせば、レティシアが俺の肩に手を置いた。視線だけを彼女へやると、そこには笑顔で何度も首を小刻みに縦振りする悪魔がいて。
それ何、笑ってんの? 同情してるつもりなの? それともヘドバンしてんの?
「うん、知ってた」
「てめえええええええええええ……いっ……!」
常の調子で身体を動かそうとした瞬間、激痛が俺を襲う。硬直した俺の頭をレティシアがすかさず撫でる。
「大丈夫よ。チハル様に絶望的に魔法の才能がなくて誰でも一番簡単に扱えるような炎の魔法すらも全く発動できないような特異体質なのだとしても。そんなとても残念なチハル様でも、毎日努力すればきっと使えるようになるわ。さあ、頑張りましょう? よしもう一度詠唱から!」
「も、もう……寝かせてくれ……まじで心が折れる」
「いいえ心は形あるものじゃないから折れたりしないわチハル様。大丈夫よ、私だって昔は魔法なんて使えなかったんだから。まぁ……一歳の時だけど」
「今お前は俺の心を完全に折った。大事なことだからもう一度言うぞ? お前は俺の心を完全に折った!」
今の俺は弱いんだ……か弱い男の子なんだ……。だから今日は諦めてベッドで寝て朝を迎えることにするよ。
俺は仰向けで倒れて痛む身体を無理矢理動かし、布団を頭まですっぽり被る。
「ああ、臆病で弱虫なチハル様がベッドに逃げ込んでしまう!」
く、くそ……いつもの腹いせか。
まさかあれか? あれだよな、確かにあの時見せ物にしたのは悪かった。悪かったさ。ごめん、あれは完全に俺が悪かった。
完璧に俺だけに非があった。
俺はお前のプライベートや疲労を無視して、レティシアオタクの連中の渦に投げ込んだんだ。
だから今回のお前の言動は全て水に流そう、俺は我慢強い男だ。
「なんとでも言ってくれ……俺は菩薩、無心の境地に至った男なのだ……」
「ばーか雑魚びびりあほー前々から思ってたけどチハル様って自分に甘いわよねー他人には凄いくらい厳しいくせにねー」
「――な。なん……だって?」
「あれだけ楽してやることは駄目だーとかそこは違うぞこうやるんだとか自信満々にしていたのになーやりきった後の達成感とは一体なんだったのだろうなー」
うぐぐぐ、おい、それ俺の台詞の復唱だろ。俺知ってるぞ、それ言った覚えあるもんな。
「いや、それは」
「それなのに今のチハル様は何かを達成したのかしらねーいや私には全然そうは見えないんだけどなー、あ、でもチハル様がこれで今日は満足っていうなら? それでいいんじゃない――」
「あああああああああああああああ!」
言い返せないのが非常に腹立たしくなって、俺は布団をひっぺがした。反動で首と肩と腕と胸と腹と腰が痛いけど、知るものか。
「……分かった。そこまで言うならいいだろう、やってやろうじゃねぇか」
「え? あ、いいや無理しなくていいんだよ? うんうんチハル様がさっきので満足なら、それでいいんじゃない? もうやらなくていいよ」
「いや、やる! そこまで言われたら引き下がるわけにはいかない! 俺はやるぞ、さあ教えろ!」
こう見えなくても俺は子供だ。絶対にできないと分かってもそこまで発破かけられて黙っているほど火薬は湿っていない。
……だが勢い良く宣言した俺を見て、レティシアはにんまりと悪質な笑みを口元いっぱいに広げたのだった――。
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