9.お前らに魔法禁止令を発令する

「そ、そんな……」


 メイド服を着ていたレティシアは絶望的な表情で女の子座りをしていた。両手に抱えていた箒がぼとりと手から離れ、廊下に落ちて響く。

 レティシアなんちゃって誘拐事件から約三日の月日が流れ、今やレティシアは魔法使い“暴虐のレティシア”の名を捨て、高級宿屋『タカイヨ』の看板娘となっていた。


「チハル様……どうしてそんな、そんな」


 俺にこっぴどく叱られて本気で反省したレティシアは、宿に泊まって三食ご飯にありつける条件として、老婆が経営するこの宿屋の従業員をする、ということで決定した。

 フェルナンデスはその平和的な解決方法に全面賛成し、老婆は「可愛い娘が来てくれるだけで宣伝になるのう」と笑顔で了承。かくしてレティシアは美少女メイドとして誠心誠意、心血を注いで仕事に励んでいるのである。


「私から魔法を取るなんて……あ、あんまりよ!」


 レティシアはやれば出来る子だ。きちんと働いて営業スマイルをして接客をしていれば彼女は超絶可愛い、こいつは画面の中に入り込んで定型文だけ言わせていれば絶世の美女も顔負けなのだ。

 だから主に男の客がわんさか来る。こんなに高級な宿屋なのにまあ来る。老婆は喜んでいた。レティシアもご飯が食べられて喜んでいる。これがウィンウィンな関係というやつであろう。ちなみにそれまで営業は全てこの老婆ただ一人で切り盛りしていたらしく、現在従業員はレティシアしかいない。


「魔法使いの私から魔法を取ったら何も残らないじゃない! あんまりよ!」


 俺はレティシアの言い訳を聞きながら、うんうんと頭を上下に振っていた。それはもう人の話を聞いてないんじゃないかってほど、ぶんぶんと。

 俺はにっこりと微笑んだ。


「安心しろ。魔法を禁止するのはレティシアだけじゃない。仕事を終えて帰ってきたフェルナンデスにも禁止させるからな。何も残らないのはお前だけじゃないんだ、大丈夫だ」

「何が大丈夫なのかも全然分からないんですけどおおおお!」

「さあお前には仕事がまだまだ残っているぞ。客が俺以外にいない今が働き時なんだ。床拭き壁拭き窓拭きはやったか? 老婆の帳簿を手伝ったり食材チェックしたり、ああお客様の忘れ物は確認したか? ベッドのシーツを取り替えたり洗濯物を終わらせたり、まだまだやることはあるぞ、な? レティシア。お前にはまだまだやることは沢山あるんだレティシア! ああレティシア、喉が乾いたからお茶でも持ってきてくれ、俺の部屋にな」

「う、ううう……まだ怒ってるなら謝りますからぁ……チハル様ぁ」

「ん? いいや怒ってなどいないさ。ただレティシアの為に色々と助言をしてるだけだ、ああ小言に聞こえたのならすまないな、お茶を持ってきてくれ」

「う、ううううう……分かりました、持ってきます」

「違うだろレティシア? 初日にメイドのなんたるかを教えたよな?」

「……かしこまりました……た、只今……お飲み物をお持ち致します……くっ……にゃ、にゃん」

「上出来だ、行ってこい猫耳メイドレティシア」

「う、うううううう……魔法……使いたい……」

「駄目だぞ。魔法使って楽したら俺は怒るからな。俺が怒ったらどうなるかはお前が一番よく分かっているはずだ」


 俺は腕組みをし、背中を見せて去るレティシアの頭からぴょこりと生えた猫耳を眺め、一度頷いた。

 うん、完璧だ。どうやらこの世界にも亜人と呼ばれる人種が存在するらしく、中でも獣人というジャンルはとてつもなく人気らしい。そこに狙いを付けた俺がレティシアに猫耳のアクセサリーを付けさせてやったところ、大ブレイク。

 今やこの宿は猫耳メイドレティシアを拝む為に集う連中で溢れ返っているとかなんとかで、あの高飛車だったレティシアが不服そうに言うところがまた愛くるしいと巷では評判なのだ。いいぞレティシア、お前は家のスターだ。そのまま一生メイドの皮を被って生活しろ。


「さあ俺はどうするかな」


 色々考えることはある。俺がこの世界に来て早十日といったところか。あれから魔王軍の動きは見られないが、マジリカの動向がちょっぴり気になっている。俺の情報が魔王に知られれば、奴らは必ず対策を練って動くはずだ。


 これからこちらがどう動くかが非常に大事なところではある。

 これからの魔王軍との戦い、相手が俺を舐めて掛かってくることはまずない。そうなれば俺一人じゃいつかは負けてしまう……それまでに、とりあえずこの馬鹿二人に少しでも力を付けて貰わなければな……。

 こいつらはいずれ、間違いなく俺より強くなる。そうなれば俺は用済みだが、それもまたいいだろう。


 がちゃりと扉を開け、猫耳メイドが入ってきた。


「只今お持ちしました……お茶です、にゃん」

「ああ、ありがとう、そこに置いといていいぞ。さ、仕事頑張ってくれたまえ。俺は四人部屋のふっかふかベッドで寝ているからな、ああー真っ昼間からベッドでごろごろするのは気持ちいぃなぁあー?」

「ぐ、ぐぬぬ……くう……はい、頑張ります」


 レティシアは憤怒の形相をしたまま、肩をぷるぷる震わせて部屋から出ていく。

 ああ、俺って凄い嫌な奴だな。俺がレティシアの立場だったら雑巾の絞り汁をお茶に混入させて運び、それを飲む俺を扉の隙間からこっそり覗き見て「あははははは! あいつ雑巾の絞り汁飲んでるわあははは!」と高笑いしているところだよ。

 ……まさかな。


 俺はテーブルに置かれたお茶を取り、ちらっと中を見る。うん、透き通った緑色。良い緑茶だ。

 ごくりと一口。うん、旨い。レティシアはいい子に育ったな。


 よし、そろそろ意地悪も止め時だな。もう少し続けたらレティシアは本気で泣きそうだ。流石にマジ泣きされたら謝るしかないからな、それは癇に障るから絶対嫌だ。


 俺は明日からのプランを練りつつ、まずはフェルナンデスが帰宅してくるのを筋トレしながら待っていた。






「な、なんだ、と……?」


 その夜。フェルナンデスは驚愕の眼差しで俺を睨み付けてきた。


「魔法を使うな、だと? それは俺に死ねと言っているのか? 魔法使いが魔法使っちゃいけなかったら何が残るというんだ!」

「そうよそうよー魔法禁止反対ー絶対反対ー頭悪いんじゃないのばーかばーあああいだいだいだいだいいですほんの気の迷いです許して下さいいい!」


 正座をして暴言を吐いた猫耳メイドの両こめかみに拳を押し付けて黙らせ、俺は苦笑した。


「フェルナンデス、お前このレティシアと言ってること一緒だな。お前の脳味噌はレティシアと同じなのか? 俺は違うと信じているが」

「ああ、俺はこんな奴とは頭の造りが違うんでな、全面的に賛成だ」

「はぁぁフェルナンデスあんたふざけないでよ! なんで魔法禁止より私を馬鹿にすること優先してんのよ! はあ? はあ? さっきまで同志だったじゃないいいいいだだだいだいいです黙りますからぁ……これ止めて下さぁい……ひぐっ」

「冗談はさておき、チハルさん。魔法を禁止するのに何か意味があるのか?」


 おお、最近フェルナンデスが俺のノリに付いて来るようになってる。順応とはこのことか。


「ああ、そうだ。この十日間何も俺は宿屋でだらだらしていたわけじゃない、ずっとこの町を観察していた」

「どの口が言……あうっ! そこわき腹、わき腹、指突っ込まないであひゃ――うくぅん……ううっ……もうやだぁ……」


 そしてこのボケ担当は相変わらず口が減らないな、そんなに俺にいじられたいの? 魔族マゾと一緒か?


「ほう、それが魔法とどう関係があると」

「そうだな、それじゃお前らに質問だ。俺は一人で魔王軍を撃退することに成功したが、その実魔法が使えない。ではどうやって倒したと思う?」

「賄賂!」

「お前がこの前言っていた、力というやつだな」


 俺は賄賂と答えた奴の頭を優しく撫でてやり、笑顔で黙らせる。


「よく覚えてたな。そう、ありゃただの筋肉だ。無論お前らにも付いている。ただ歩くのにだってその筋肉は使われるんだよ、俺はその筋肉ただ一つで魔王軍を蹴散らしただけだ」


 まあ、俺の場合は転生する際に神が身体能力だかなんだかを強化したのだろうな。でなければ人を殴っただけで数十メートルは吹っ飛ばないし、動体視力だけで魔法の全てを避けられるわけがない。まあ格闘技の経験もそれなりに生きているのだろうが……。

 それはもう分かっている、俺の身体はちょっと特殊だ。

 恐らく元の世界の時より何倍も力が強くなっているんだろう。あまり実感はないがな。


「俺はこの前二人に筋トレさせたな? 結局あれからやらせてはいないが……俺は筋トレを毎日してこの屈強な肉体を手に入れた。だが、今はそういう話をしているわけじゃないから置いておこうか」

「うう……チハル様が奇跡的に優しいよう……なんで撫でてくれるの……? えへ……えへへ……」


 俺が撫でるのを止めると、レティシアはもっと撫でて撫でてと懇願してくる。仕方なく撫でてやると、レティシアは満足げに黙った。


「つまりだ。簡単に言うと、お前らは魔法に頼り過ぎている。私生活とかそういう次元じゃないくらいに、だ。この町の住人は全員常に魔法を使っている、だから魔力は鍛えられても肝心の肉体がいつまで経っても出来上がらないんだよ」


 こいつらは俺の世界で言えば、機械に頼り過ぎた未来の人間社会予想みたいなもんだ。全ての仕事を機械に任せ、家事なども機械に任せ、食事も機械に運んで貰う。そんな最悪な予想の未来。

 ここの奴らはそんな重傷なわけではないが、それと似たような現象にあるのは確かだった。


「まず一番目に余るレティシアからだ」

「ひゃ、ひゃうっ! 私、何かしまし、た……?」

「いいやいつも通りだ。それがいけないんだよ」


 そう。当たり前だがこいつらは魔法使いだ。ちなみに町人にも話を伺ったが、どうも皆最低でも生活魔法くらいは使えてしまうらしい。


 で、レティシアは召喚術師だが他の魔法も腐るほど使えるし、生活魔法も当然覚えている。はっきり言ってハイスペックだ。自分で水を生み出したり風を巻き起こしたり火を起こせるとか普通に人外だ。

 そのため、レティシアはほとんど肉体を使わない。宿の掃除は風魔法と水魔法に任せ、片付けなども風魔法。火起こしも火と風の魔法の応用で一発だし、取りたいものが取りたければこれまた魔法で運んでくればいい。精々歩くことくらいには筋肉を使うかと思いきや、なんと身体強化とやらの魔法を使っているらしいのだ。


 つまりこの世界の住人は魔力ばかりに目が行き、魔法を進化させていく内に自分の肉体というものを使わなくなり、魔力の重要度が上がっていくごとに肉体の重要度が下がっていったということだ。それもそうだよな。魔法の方が楽で簡単にできるんだからわざわざ肉体を使ってやる意味がないもんな。

 そう考えても不思議はな……いやあるけど、そう考えてしまうのも一理ある。なんでスポーツがこの世界にないんだ死ね魔法。

 とにかくそういう極端な世界がここで、ここの住人は魔力が発達した代わりに肉体が退化してしまっているというわけで。


 レティシアとフェルナンデスもその例に漏れず、魔法に頼るあまりその肉体は雑魚なのだ。


「なるほど……まずは、私生活を魔法なしで、自分の身体一つでやれ、と。それで肉体の基礎から作れといいたいのか? チハルさんは」

「正解。そうだ、まだお前らに筋トレは早かったんだ。肉体を痛め付けて鍛えるなんてハードなことをする前に、まずは魔法を断った生活から身に付けるべきだ。なぁレティシア?」

「う、うう……何で私に振るのよ……」

「魔法を禁止した途端、仕事が一気に雑になったな。おばあちゃんに事情は説明してあるから多少は大目に見てくれるが、あまり迷惑を掛けるんじゃないぞ。とはいえ仕方ないことだ。俺で言えばこれからの生活を全て魔法でやれと言われるようなもんだからな、いきなりは無理だ」


 俺の場合は魔力なんて流れちゃいないから、一生無理だがな。

 そうだな。ずっと魔法を使うなというのも辛いだろう。きっとどこかで疲れて面倒になって、俺の見てない隙に魔法を使って楽をするようになるだろう。それじゃ意味がない。

 よし。


「今日から一週間。この期間だけ魔法を使わないでくれ。もしこの一週間魔法を一切使わずに生活出来れば、少しは俺の考えが分かってくると思う。まあ騙されたと思ってやってみてくれよ、フェルナンデス、レティシア」

「ぐ……だが、俺の今やってる仕事は建設物の復旧だ。魔法を使わんことにはあの瓦礫はどうしようもないぞ」


 ああ。確かにフェルナンデスのは力仕事になりそうだな。いくらなんでも無茶というものがある。


「よし、明日から俺も手伝おう。他の皆には俺の試みを説明する。明日からフェルナンデスは俺と一緒に作業をしてくれ。魔法を使わないんだ、何でも分からないことは俺に聞いてくれていいからな」

「それなら……分かった。そうしよう」

「レティシアもいいな? ちなみにお前がサボって魔法を使った場合、おばあちゃんには使った回数と魔法の種類を俺に報告して貰うように頼んであるから、そのつもりで」

「え、ええ……ねぇ私そんなに信用ない? そんなに信用できない?」

「あぁはいはい、できるけど念の為だよ」

「全然相手にしてくれない……あっ、撫でて誤魔化したって……駄目……うう……」


 今日は無駄にクソ真面目な話をして疲れた。俺は考えるのは得意じゃないんだ。何でも直感で決めてきた人間だったからな。今日はもうこいつらを休ませてやろう、俺も休みたい。

 きっと明日からの一週間は辛いだろうからな、まだ夜にしては早いがこれが配慮ってもんだ。今の内にたっぷり休んどけ。

 俺はレティシアの頭を撫でながら、ふと思う。


「レティシア、そろそろボケようぜ?」

「……え。は、はぁ? なんで? 私を本当になんだと思ってるの……うう……チハル様のばかぁ……」


 どうやらメイドレティシアも慣れない仕事でお疲れらしい。というかこいつ口調ばらばらの癖して、律儀に俺のことを様付けで呼ぶよな。無駄なところで忠誠心の高い奴め。


 さて、明日からがとうとう本番だ。こっちからも、そろそろ魔王軍の情報を集めないとな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る