8.レティシア誘拐事件(下)
「いやぁね? まさかこの平和な町で誘拐されるなんて思ってもみないじゃん?」
夜。
焦った様子のフェルナンデスに何事かと尋ねたところ、レティシアが誘拐されただのなんだのと、そんなことを真剣な顔で言ってきた。あ、これ俺が路地裏に投げたからだ、と気付いた時にはもう遅い。
レティシアはもう何者かに誘拐されてしまったのだ……。
「チハルさん、流石にそれはないとおもうぜ……? いくらタダ飯食らいで仕事のしないクズだからって、奴は立派な女だ。胸もあるし棒もない! 奴は見た目だけは可愛いんだ、そんな奴が無防備な姿で路地裏に寝ていたらどうだ? そういう可能性もあるだろう?」
「ないな」
俺は即答した。
「どうせ誰かがレティシアを見てワケあり美少女だと勘違いしたに決まっている。一言も喋らずに寝ている姿を見てウブな男が『この娘は純粋で可憐で清楚な美少女だ! きっと何か辛い目に遭ったりしてここにいるに違いない! 助けなきゃ』って思ったりしてな、そういう下心丸見えの奴に助けられたんだよ。今頃食いぶちが見つかってレティシアも喜んでいるだろうさ」
「ぐっ……その可能性も、ありそうだ……が……」
「あるだろう? レティシアはクズだ。それにたとえ仮に誘拐されてもお得意のゴーレムでどうにかできるんじゃないのか? それで誘拐しようとした奴を逆に奴隷にして働かせて自分は惰眠を貪る。レティシアはそういう奴だ。分かったなフェルナンデス、維持費の高いペットが一匹消えたくらいで取り乱すな」
俺はかつてのレティシアがそうするように木のカップを手に持ち、中に注いたお茶をずずずと啜った。うん、うまいな。
「ってか! あー……だからそうじゃなくて、レティシアは本当に誘拐されているんだよ! 畜生チハルさんが動かねぇなら俺一人で探してくる!」
「いってらっしゃい」
軽く手を振るや否や、フェルナンデスは部屋から出て行った。
まあそうだな。確かに勢いで路地裏に捨ててきた俺にも非があるのかもしれない。レティシアが誘拐ね……心当たりはないんだけど……仕方ない。
俺は重い腰を上げ、彼の後を追うようにして部屋を出た。
「おやどうしたんじゃ、この夜に二人して外出とは珍しいこともあるもんじゃのう」
「いやぁ、ちょっとレティシアの奴が帰って来なくてですね。すみませんこんな時間に騒々しくて」
宿を出ようとしたところで受付に立っていた老婆に引き留められたため、軽く事情説明。ふむと頷き、老婆はこう言った。
「あの女の子じゃろ? そういえば昼に見かけたような気もするのう。ほら、数人の男と一緒に向こうの方へ歩いていたような」
腰を叩きながら受付から身を乗り出し、老婆はその方向へ指を差しながら説明する。あの方向だったら……外れの方に収穫した作物の食糧庫があったはずだ。あそこは滅多に人なんて来ないはずだし、誘拐して一時的に置いておくなら絶好の場所かもしれない。
……いやまさかな。まさか。
あははは。
「ありがとうございます、とりあえず見てきますよ」
「ほっほっほ、気にするでない。合ってるかも分からんしのう」
俺は老婆に礼をし、宿を後にする。
ってかなんでこの人が知ってんだろう、たまたま外に出た時にでも偶然見掛けでもしたのだろうか。
俺は周囲に気を配りながら目的地へと足を運ぶ。その最中、道を歩く町人達の会話が耳に入ってきた。
「あれが一人で魔族を蹴散らしたという……」
「ええ、チハルと言うお方ですわ」
あからさまな格好をしている貴婦人が二人。うん、こういった噂が広まるのは悪くないぞ。衛兵とギルドのクズ共には近い内に灸を据えてやらなきゃならないとは思っているが、俺の名声がこうして広まっているのは嬉しくないと言えば嘘になる。別に地位や名声が欲しくて魔王軍と戦ったわけではないが、結果的にだ。
「おっ、あそこに英雄様がいるぜ」
「本当だ、おーい英雄様!」
すれ違う町人が俺に向けて手を振ってくる。俺は軽く手を振り返して先を進む。おお、なんか恥ずかしいな、こういうの。マジで人気者って感じだな……おおなんかどことなくいい気分だ。
「あれ、あいつって確かレティシアとフェルナンデスの……」
「ああそうだ、あいつらを奴隷みたいに扱ってるっていう……あんま言うなよ、聞こえたら俺達も奴隷にされんぞ……」
しかしいい噂ばかりではない、有名人というのは往々にして悪い噂も付いて回るもんだ。
こうして事実無根の噂が度々流れているのを耳にするが……俺の行動も他者から見ればそういう風に捉えられてしまうのかもしれない。
って、奴隷はないだろ、俺は奴らを奴隷にしたつもりはないし奴らをこき使ったつもりもない、どちらかと言えば俺の知名度が奴らにこき使われてる気がするんだがな。ああ辛いなぁ有名人は派手なことするとこうしてなんでもかんでもネタにして祭り上げられるから辛いなぁ。
「しかもあれだぜ、今日あのレティシアが誘拐されたろ? あれは眠っている彼女を路地裏に捨てたって話だぜ。確かこれはだな――」
「ばっ……止めろ! それ以上はやばいって、ここで話すことじゃない、行くぞ」
そうそう、こうして事実無根な――待て。今こいつらなんて言った?
俺は逃げようとする二人組の男達を背後からがっしり掴まえ、ギチギチとゆっくりこちらを振り向いた彼らへ笑顔を向ける。そうそう、こうして怖がらせないようにだな。そう、聖母スマイルだ。
「ひ、ひいいいいいいいいあああああああああ英雄様! これは……なな、なんでもないです!」
「だ、だから止めようぜって……! あ、ああ英雄様、これは、そのですね!」
なんで怖がるんだこいつら、俺はこんなに笑顔なのに。なあ?
「レティシアがなんだって?」
「な、なんでもありません! 俺達は本当に何にも知らないんだ!」
「お前、それは逆に怪しすぎ――違うんです英雄様ぁ! 本当に、何でも無いんです! だから奴隷にしないで下さい!」
「ああそうだな逆にお前らのその態度は怪しいな? さてはレティシアの居場所でも知ってんのか? 何でもいい、知ってることから全部言え。そうすれば悪いようにはしないから、な?」
俺は彼らの肩に手を回して先を促す。本当は気が回らないが、こうして威圧を掛ければ大体なんか喋るだろ。
「――! ぼ、暴虐のレティシアは食糧庫に……そっそう、連れてかれるのを見て――」
「……あ? そりゃマジかよ」
「本当です! そう、たまたま、たまたま現場を見てしまいまして!」
「――そうか。もういい、行け」
二人の肩を離すと、脱兎の如く一目散に逃げていく。その際、二人の内一人の懐から何かの紙がひらひらと舞った。俺は眉間に皺を寄せてそれをひったくり、紙を開く。
それはギルドの依頼書のようで――中には『チハルを誘導したら銅貨一枚』とだけと書かれていた。
なんだこれは……誘導? 意味わかんねぇ。が、今はそれよりもだ。
誘われている感じがあるにはあるが、そこらの町人が策を弄したところで俺を潰せるはずがない。とにかく今はレティシアの安否を確かめるのが先決だ。
俺はレティシアが囚われているという食糧庫まで走り出した。
食糧庫の内部に足を踏み入れると、そこには人気はなかった。置かれた様々な野菜などが鍵の掛けられた箱の中に詰め込まれている。このどこにレティシアが…と探し回っていると、暗く倉庫の中でも一番奥に位置する部分に金髪が見えた。
……マジかよ。心臓がびくん、と跳ねる。
「――くっ、レティシアアア! おい、大丈夫か!」
すぐに駆け寄り、彼女の名を叫びつつ状態を確認した。縄で後ろ手に縛られたレティシアは叫べないように布で口元を覆われ、目隠しをされている状態で横たわっていた。だが不思議とその服に汚れは見当たらず、抵抗したような痕も見られない。……まだ何もされてないのか?
俺は口枷と目隠しを外してやる。レティシアは瞳をうるうるとさせながら俺を見つめてきた。
う、待て……。いや、待てレティシアそんな目で俺を見つめるな、それじゃまるで路地裏にお前を投げ捨てた俺が一方的に悪いみたいじゃないか。いや……俺が悪いな。
「チハル様……来てくれたんですね、てっきり、私、捨てられたんだと」
「ああ、ああ、悪い……流石に今回は俺がクズだったな。レティシア……無事か?」
無言でこくこくと頷くレティシアの縄を解き、抱き上げる。
「まだ誰も来てねぇな……お前を誘拐した奴らをぶっ殺すのは後にして、今は早く脱出すんぞ」
「はい……もう、もう、捨てないでください、ね。チハル様」
犯行グループが丁度居ないってのが腑に落ちないが、今はいい。そいつらの始末よりこっちの身の安全の方が先だ。
俺は罪悪感に心を苛みながらも、レティシアを抱えて食糧庫を抜け出した。
そうして宿に戻って数時間。俺はレティシアに一通りの謝罪を済ませ、遅れて帰ってきたフェルナンデスに一連のことを説明した。
「チハルさん……やっぱりアンタも捜しててくれてたのか」
「ああ、なんか迷惑かけて悪いな。今回はちょっと、度が過ぎたと反省してるよ」
いくらレティシアの存在がクズだとしても、レティシアは女の子だ。
正直高名な魔法使いってだけである程度大丈夫だと高を括っていたが、別にそんなことはなかった。いいじゃないか。レティシアは女の子なんだ。こう、宿になんて何日泊めてやってもいいじゃないか。
俺はなんてケチな奴だったんだ。俺こそが正真正銘のクズ野郎だ。
「いや、まじですまん……レティシア。許してくれ」
「えっ、そんなに謝られても、あはは、は、別に大丈夫、よ?」
「いや今回ので反省した――ああ、ちょっと俺は出掛けてくる。心の傷は、なんだ……時間掛けて癒していこう、とりあえず今日はゆっくり休め」
俺は懐に入れておいた依頼書を取り出し、改めて中身を睨み付けた。そう、ギルドにこんな依頼をしやがった奴が犯人もしくは関係者か何かを知る者だ。
そこから色々探りを入れて、少しずつ真相を明らかにしていこう。
どんな理由があったのか知らんが絶対に許さん、見つけ出して二度と表に出られないようにしてやる。
「な……そ、ちょっと待て!」
「なんだフェルナンデス、止めてくれるなよ? 俺は自分にも、レティシアをこんな目に遭わせた奴にも苛立っているんだ。必ず犯人を見つけ出してやるからな」
こんな下らないことをする奴は地獄に送らなきゃいけねぇ。
俺は手をひらひらと上げて振り、今の怒りを二人に見せないようにギルドへと向かった。
ギルドはまだまだ壊れているため、現在は町人が集まる目的で作られた集会所を仮拠点として活動している。
俺が足を踏み入れると中に居た奴らが一斉に止まり、ほとんど全員が一度は俺を見てくる。悪いが有名人気分に浸っている暇はない。
俺はカウンターに戻ろうとした受付嬢をひっ捕らえると、例の紙を目の前に突き出す。
「おい、コレを依頼した奴が誰か教えろ」
――それを見た途端、受付嬢の表情が固まった。
「あ、ああいやっ! そそそっそれは……上の者に代わりますのでっ!」
えらくきょどった受付嬢はぺこぺこと何度も頭を下げながら、奥の方へ逃げていった。待つこと数十秒、上の者として呼ばれた男が出てくる。まだ歳はそんなにいってないな。こんな奴が上司? まあいい。
「おい話は聞いてんだろ、この紙」
「――申し訳ありません」
紙を見せようとすると、その人物は深く頭を下げた。その対応はとても真摯なものではあったが、今の俺には火に油を注ぐ結果でしかなかった。
苛ついた俺は男の胸元を右手で掴み、言葉を荒げる。
「あ? 謝罪は聞いてねぇんだよ、いいからこの下らない依頼をした奴が誰だか言えや」
「……ええ、真相をお話致します。誠に申し訳ありません、実は――」
ギルドの帰り道。俺はとてもすっきりした顔で帰宅の道を辿っていた。目指すは老婆の経営する宿屋。現在俺が住んでいる場所でもあり、拠点でもある。
そう、俺はあの上司から全ての真相を聞いたのだ。
どうして町人がこんな紙を持っていたのか、レティシアの居場所を知っていたのか、ギルドにこんな依頼が貼り出されていたのか、依頼を発注した間抜けで阿呆で馬鹿でゴミでクズな奴は誰なのか。
ついでに言うと老婆がレティシアのことを知っていた理由も教えてもらった。
すっきりだ。
「ああ、清々しいなぁ、あはは、あははははー」
どれくらい清々しいかって言ったら踏ん張ったら巨大なクソが全部出た時の気持ちくらい。
道行く人々が皆俺を避けて通るが、そんな些細なことを気にする男ではない。何故なら俺はこの町の英雄、有名人だからな。
さて、宿に着いた俺は老婆に一礼し、自らの部屋に足を運ぶ。
通りでおかしかったんだ。思い直せば奴らの俺に対する対応がおかしかったもんな。うん、全員だよ全員。どいつもこいつもどいつもこいつもな。
俺は部屋を開ける。そこにはレティシアとフェルナンデスが居て、二人共が俺を見て固まっていた。なんでこいつら固まってるんだ? 俺はこんなにも笑顔なのに。
「お、おかえり……ど、どうだっ……た?」
「いやレティシアもう止せ、もう言いわけ――」
「……どうだっただぁ?」
俺は二人の肩をぽんぽんと叩き、思いっ切り鷲掴みにした。
「……いっ!」
「……ぐう……!」
え、どうして俺がこいつらにこんなことをするかって?
そう。全ての犯人は、こいつらだった――というわけだ。俺は有言実行の男……そう、犯人は地獄に送ると誓った、そう……俺は有言実行の男――チハル。
正義を執行するため、この地に舞い戻った男。今宵、二人の愚者は裁かれる。
「レティシアてめぇが犯人だったのかあああああああ!?」
「ひいいいい! だって、だってぇぇ!」
「だってもクソもねぇ! てめぇ自分が路地裏に投げ込まれて捨てられたからってフェルナンデスに頼み込んで誘拐事件仕立て上げた挙句の果て、俺に心配をさせようとギルドの依頼使って町人仲間に引き込んで何やってくれてんだボケ! ああてめぇが毎日毎日だらけてっからだろうがちっとは反省しろや!」
「ま、まあチハルさん、レティシアも内心反省してるんだ、もうこの辺りで許してやってくれないか」
「フェルナンデスお前もだぞ? こうやっていけないこと頼まれたらなぁ、うんうん頷いてないで一回俺に相談してからレティシアの処罰を決めた方がいいんじゃねぇの? お前は自分が毎日働いてる中真っ昼間から睡眠ばっかしているこいつに同情できるのか? な? いい加減俺が可哀想だと思わないか? 思うだろ?」
「ひ、ひいいいいごめんなさい、もう二度としません! 悪知恵も働かせません、だから、だから許してくださいチハル様!」
「そうか……レティシア、分かったよ」
「チハル様……許して下さるので」
「許すわけねぇだろうがああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「いたいいたいいいたいいいやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
今日もレティシアの悲鳴が響き渡る。どこまでも、どこまでも――。
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