第0話 深紅の夜翔――VS.Mitsubishi<Lancer Evolution>(CN9A)


 そのクルマを手繰りながら、彼は何かを渇望していた。

 二三時過ぎの高速道路は、ラッシュを終えてどこも空いている。この首都高速埼玉大宮線とて例外ではなく、二人の大学生は青い<インプレッサWRX>で閑散としたアスファルトを独走していた。

「……やっぱ、何か違う」

 ステアリングを握っている青海(おうみ)は、誰に向けるでもなく呟いた。幼さを匂わせる黒いマッシュショートとラフなTシャツは活動的な印象を与えるのに、その彼はとても物憂げな眼差しでセンターラインを眺めている。ずっとアクセルを踏み続けているのに、霧のような感情が晴れることはない。

「何だよ青海、やっぱり親父さんのクルマじゃフィールが違うのか」

「別に、そんなこたーねーよ。コイツは親父のだからセッティングは一級品だし、中々味わえない贅沢だってのには変わりねーって」

 ナビシートに座る友人の黒崎(くろさき)にそう告げるが、やはり青海はその贅沢とやらを味わっている気分になれない。橙色の街灯は都会の喧騒のように視界を過ぎり、彼の心境をより落ち着かない方向へと引き込んでゆく。自分は前へ前へと進んでいるのに、まるで後方に吸い寄せられるような。

「贅沢だって分かってるんなら、青海もちゃんと楽しめよ? 折角のドライブなんだし、ちょうど今の時間は道も空いてて飛ばせるからな」

「隣に野郎を乗せてのドライブを、どーやって楽しめってんだよ」

「どうやるも何も。無理矢理楽しまないと、お前のその浮かない顔は消えないだろう?」

 自分よりも幾分か高い身長の友人に、青海は流し目で視線を送る。野郎にそんな気遣いをされる気持ち悪さと、六年来の付き合いから来る心配りへの嬉しさを込めて。

「黒崎にそー言われても、この気持ちはそう簡単にゃ吹っ飛ばねーだろ……」

 しかしそんな友人の思いやりも虚しく、青海の心境が好転することはなかった。こんなにも楽しいクルマを操っているはずなのに、低速で移動することへのかったるさで頭痛がする。俗に言うスランプのようでいて、何かが決定的に違っていた。

 そんな彼の心中を察してか、黒崎が慰めの言葉をかけてきた。ナビシートから向けられるその眼差しは、ゴツゴツとしたその体格にとても似合っていない。

「そんなにショックだったのか、前のクルマを壊したこと」

「そーだな……そこから何か、俺のドライビングのギア比が合わなくなった気がする」

「何だよ、そんな冗談は言えるのか。心配して損した」

 せせら笑いをする黒崎に対して、青海のセンチメンタルな視線は変わらずにセンターラインへと向けられていた。

「冗談なもんかよ……俺はそんなの、滅多に言わねーぞ」

「なら、単に青海の感性が独特ってだけか。いつも思うんだが、お前はどんな情操教育を受けてきたんだ?」

「兄貴のクルマのナビシートに乗って、兄貴の見ていた世界をフロントウインドウから垣間見る。それを何年も続けりゃーな、俺みたいな人間になるんだよ」

 青海の人生は、彼の兄に左右されてきた。小さいころから兄の背中を追い続け、けれどもアキレスと亀のように追いつくことは叶わなかった。兄の影響でクルマを好きになり、兄の影響でカートを始めて。青海の兄がやってきたことはあらかた青海も挑戦したが、何一つとして兄の記録を追い越せなかった。

 そんな兄は、五年前にレースで命を落とした。タイムアタックでレコードを更新した直後、減速し切れずにウォールへ激突。青海の兄が大学生、青海自身は中学生の頃の出来事だ。結局兄に追いつけないまま、兄はこの世から去ってしまった。青海にとって兄は人生の大きな目標であったのに、それが突然姿を消してしまった。

 そして青海は今、五年前の兄と同じ大学生である。現在の彼に出来ることは、兄が生前に樹立したレコードタイムを上回ること。

「兄貴は、俺の全てだった……と思う。兄貴を目指すことで、俺は色んなことをやって見せた。モチベーションだったんだよ」

「それで、今はその兄貴さんと同じクルマに乗り換えたんだろ?」

「そうだけどなー……言ったろ、何か違うって」

 前に彼が乗っていた愛車を潰してしまってから、ずっとこの気持ちが青海の肌から離れない。それは新しいクルマに乗り換えてからも同じだった。しかも兄が生前に乗っていたモノと同じ車種で、愛車のパーツも組み込んだニコイチのマシンだというのに。

 兄を追いかけ、自らのクルマのDNAも引き継いで。それでもまだ、心に大きな穴が空いている。

「なぁ、黒崎……俺、どーすりゃいーんだ」

「その答えを見つけるために、こうして親父さんのインプで走ってんだろ?」

 黒崎は彼の方を見てくれるが、青海は視線を前方から離さない。或いは虚空を見つめている。たった父親のクルマを転がすだけで、答えなんて見つかるはずもなかった。

 浦和南インターチェンジに差し掛かるところで、数少ない前走車に追いつく。車種は何だろう、暗くてよく分からない。加えて青海は、他のクルマに興味を示すような気分ではなかった。普段は躍起になって、ボディに穴を空けるくらいに凝視するはずなのに。

 <インプレッサWRX>のアクセルをぐいと踏んで、水平対向四気筒に鞭を打つ。クラッチを蹴って三速から四速へシフトチェンジ、ステアリングを右に倒して追い越し車線へ。ターボと四駆の二重奏が、大きな加速を響かせる。段違いのスピードレンジを見せつけながら、青海はその前走車を一思いに追い越していった。

「流石、親父のR205」

「その割には、浮かない顔をしてるぞ?」

「言うなよ、黒崎」

 圧倒的なオーバーテイク。普段なら血が沸騰するような興奮を覚えるというのに、今の青海は凪のように冷静だった。この最高のクルマをもってしても、彼の感情は満たされない。彼の愛車では、決してないから――。

「いや、そんなこたねーよな」

 青海が小さく独りごちる。今の彼は、このクルマに満足している。完成度は最上で、もう望めるスペックは存在しない。彼が抱いているのは、きっと『喪失感』だ。速さで満たされているはずなのに、心のどこかに埋められない大きな穴が空いている。

「……俺は、何を失ったんだろ」

「だから、お前のクルマだろ?」

 黒崎はいつも事実を与えてくれるが、今の彼が欲している答えはもっと感傷的なモノだ。確かに愛車は失ったが、今は新しいクルマがある。物質的には充足していて、精神的に欠落している。

 青海は、『感情の加速力』に満足していない。

「もっと、速くありたいんだよ――」

 小声で青海が呟いたその時、後方から二つのエグゾーストノートが追いかけてきた。先ほど追い越した前走車のモノではない、もっと強力で押し出すような音。間違いない、これはチューンアップされたスポーツカーの排気音だ。

「おい青海、このエグゾースト――」

「あぁ、速いヤツらが来る」

 バックミラーに視線をやれば、HIDランプの白い光源が二台分映っている。これだけでは車種も特定不能、もっと近づいてから見なければ。アクセルの開度を緩めシフトを落としてやれば、彼我差がみるみると縮まってゆく。そして目視できる距離にまで接近してくると、白いスポーツカーを赤いクーペが追いかけている構図がくっきりと現れた。

 その内先頭の白いクルマは、三菱<ランサーエボリューションⅣ>だ。大きなフォグライトが特徴的で、やや古いにも拘らず絶大な人気を誇っている。<4G63>ターボエンジンとフルタイム4WDは絶大な直線スピードを生み出し、その実力はWRC(世界ラリー選手権)においても実証されている。登場した年代こそ違えども、青海が現在運転している<インプレッサWRX>とはライバル関係にあるクルマだ。

「ランエボかー……もう二〇年も前のクルマだってのに、バトルじゃまだ現役ってか」

「青海、首都高バトルをこんなにも間近で見てるんだぞ? お前の気持ちも晴れてくるんじゃ」

「何のクルマと競ってるかー、だろ。これで<GT-R>とかのバカ速いクルマだったら、結果が分かり過ぎて冷める」

 そう彼が口にしている間にも、白い<ランサーエボリューション>が彼らの<インプレッサ>を追い越してゆく。こちらはアクセルの開度を緩めたままで、わざわざ争いに割り込む気は微塵もなかった。黒崎が青海のセリフに返事をしてくる。

「じゃあどんなクルマだったら、お前はこのバトルを追いかけるんだ?」

「普通に考えりゃ勝ち目もねーくらいに遅いのに、何故か勝ってしまいそうな気にさせてくれるクルマ」

「えらく注文が難しいな、おい……」

 呆れ顔を見せる黒崎を傍目に、青海はバックミラーをぼんやりと眺めていた。後続の赤いクーペは車高がやたらと低く、スーパーカーか何かのように思えてくる。しかしその割にはスピードレンジがゆっくりに見えて、どこかちぐはぐで奇妙だった。おまけに相手のハイビームが眩しすぎて、車種の特定が出来ない。青海は少しだけ気になったから、今度はそのクルマをミラー越しにじっと見つめた。

 相手との距離が詰まっていくにつれ、ヘッドライトの光軸から徐々に逸れてゆく。鏡の反射が気にならなくなる頃には、サイドミラーを見た方が分かりやすいほどの位置に近付いていた。相対速度は時速五〇キロ以上か、相手のクルマはかなり飛ばしている。だから実際に青海が目視できた時間、すれ違ったのは一瞬の出来事。

 そしてそのたった一瞬だけで、彼の視界は赤く染められた。


#Ex Night of Fire/NIKO(SUPER EUROBEAT Vol.82)


 ステアリングが微かに揺らめく。

 路面とタイヤのラバーがキスをする、舌が絡まるようなスキール音。路盤の繋ぎ目を踏んでは跳ねて、ヘッドライトの光軸が遮音壁を撫でる。対して闇夜の街灯を反射するのは、艶やかに磨き込まれた純色の赤。

 青海がそのクーペに目を奪われる。彼の横を過ぎっていく際も、シルバーのアルミ鍛造ホイールが<インプレッサ>を反映する。赤いボディには鏡のようにこちらが映り、その鳥のように流麗な姿に釘付けにされた。完全に横並びとなったその一瞬、青海はCピラーに貼り付けられた文字を反射的に読み上げる。

「ナイト……フライト?」

 そして心臓の鼓動のように、ボクサーサウンドが耳を舐めて殴っていった。

 鮮やかな赤いスポーツクーペは、青海の青い<インプレッサWRX>をほんの一秒足らずで置き去りにする。それは彼にとって屈辱でも感動でもない、ただ大きなショックを彼の頭に叩きつける。

 その赤いクーペシルエットは、絢爛なトヨタ<86>だった。

 テールライトとアウトファイアーが、青海と黒崎を眩しく照らす。走り去る姿は先程のランエボとはどこか異質で、青海の忘れてしまった『何か』がそこにあるように思わせてくれる。ナビシートの黒崎に許可を得るまでもなく、彼の次に取る行動はたった今決定された。

「おい青海、ランエボと<86>がバトルしてるぞ?! しかもノンターボの<86>が後追いって、もう勝負決まってるんじゃ――」

「飛ばすぞ、黒崎」

「ってちょっと待てよ青海、もしかしてあのバトルに割って入るのか?!」

「んなこたねーよ、特等席でギャラリーするだけだ……心配ないぜ、親父のR205だから離されることはない」

 JR西浦和駅付近、武蔵野線をオーバーパス。そのタイミングで青海は右足をフロアに叩きつけるようにして、<インプレッサWRX>に鞭を打った。シフトを上げれば<EJ20>水平対向エンジンも唸りを上げ、彼のやりたいことを後押ししてくれる。息子の夢を応援する、豪胆な父親のように。

「ギャラリーって言っても、コイツじゃ追い越ししまうだろ?!」

「だから、こーやるんだよっ!」

 右手に大きなマンションが見えた辺りで<86>に追い付き、僅かに減速して足並みを揃える。赤い相手が警戒してこちらの進路をブロックキングしかけた途端に、青海はハザードランプを点灯させた。それを見て<86>も安心してくれたようで、警戒を解き自らの走りに集中する。

「世界最速のギャラリーってか……?」

「そんなとこだな、ランエボは今――」

 青海が口走ったところで前方に緩い右コーナーが出現し、<ランサーエボリューションⅣ>がそこへ差し掛かっているのが見える。しばらくして<86>と<インプレッサ>もコーナーを通過、タイム差はおおよそ十秒程度。相手の方がストレートで有利ならば、このギャップにも頷ける。

「しかしよー、この<86>は本当に綺麗だな」

「ボディに傷一つない、って訳じゃないよな……ステアリングの修正も少ないし、一つのラインの上にピッタリと張り付いてる」

 黒崎の分析に、青海が首肯する。ヘッドライトが照らすランエボにはGTウイングが取り付けられているが、この<86>のエアロパーツは全てノーマル状態だ。ダウンフォース量はランエボの方が圧倒的に多いはずなのに、どうしてかナイトフライトの<86>の方がハンドリングに無駄がない。重量差もそこまで大きくはないだろうから、考えられる原因はタイヤと――。

「サスペンション、あとは<AYC>もあるだろーな」

「<AYC>って、ランエボに付いてるあの制御システムか?」

 <AYC>、アクティブヨーコントロール。三菱自動車が開発したデファレンシャルギヤを用い、車両のヨー(傾き)を抑えるシステムだ。コーナー進入時にクルマの傾きを感知しては、自動で左右の車輪の駆動を調整する。そうすることでヨーモーメントを抑制してクルマを安定させ、コーナリングやストレートでの舵角修正にも一助する。

「車体を安定させる<AYC>は直線でも効果があるはずだけど、<ランサーエボリューションⅣ>のそれは最初期のヤツだ。精度がイマイチで、使い物になるようなシロモノじゃねー。だからサスをいじった赤い<86>の方が、古い制御システムなんかよりも確実に路面追従性を高めてる……あのランエボ、サスあんましチューンしてねーだろ」

「理屈は分かるが……青海、お前よくあんな遠くのランエボのことまで分かるな」

「そうでもねーと、十秒のタイム差が説明できねーんだよ。四駆とFRだぜ? こんな直線ばっかりのS5だったら、普通二〇秒以上は差を付けられてる。<86>のエンジンがエアクリ程度しかチューンされてないのは走りを見りゃ分かるし、だったら答えは一つだけだろ?」

 ナビシートの友人をじっと見ながら、青海は人差し指を縦に立てる。その表情は先程までと違い、とても生き生きとしていた。

「相手のランエボはエアロ重視のハッタリチューンでエンジンもサスもノーマルに近く、対して<86>はサスを徹底的に弄ってる……すれば十秒のタイムは四輪駆動から来る加速性能の賜物ってだけで、ストレートは<AYC>の重荷のせいで両者とも互角。これ以上距離が縮まる訳でもねーし、なら後半区間がどうなるか……っとと」

 ガスタンクとロヂャースの看板を越え、浦和北インターから合流してきた一般車を回避する。次の左コーナーも直線同然の緩い半径だが、馬力にモノを言わせた<ランサーエボリューション>は離れていない。逆に先程よりも大きくくっきりと見えるようになり、タイムギャップも二秒程度縮んでいる。

 ヨーモーメントで最高速をロスしているランエボに対し、<86>はトップスピードをそのまま維持しながら駆け抜けていた。向こうは加速も頭打ちで、こちらは高回転型のNAエンジンに余裕がある。だからこれまでのギャップが嘘のように、与野インターへと差し掛かる直線でみるみると差が削られていった。

「後半区間、って……与野インターから先の、『新都心地下セクション』か!」

 得心する黒崎に、頷くことで青海は答えた。このストレートを抜けた先にある、与野インターの大カーブ。そこからは一気に下っていき、さいたま新都心の地下に広がる直角コーナーの連続へ。サスペンションで勝っている上にFR駆動である<86>ならば、テクニカルセクションであるこの先で反転攻勢を見せられるはずだ。

 しかしそこまで至る道筋に、意外な壁が立ちはだかった。

「与野インター出口への分岐……おい青海、この先って確か一車線に減るよな?」

 黒崎の言葉を受けて、青海が思考の一区画を働かせる。このまま直進すれば与野インター出口との分岐に差し掛かるが、現在彼らが走っている二車線のうち右側はその出口に直結しており、首都高を走り続けるには左側の一車線を走行しなければならない。当然クルマ二台が並べるような幅は無く、どちらか片方が相手の後塵を拝することになる。

「このペースで行きゃー、出口との分岐で<86>がランエボに追い付くか否か……いや、フツーに考えりゃ追い付きはする。だったらそこで追い越すか、或いは後追いを選ぶか――」

「青海、お前は<86>がどっちを選ぶと思う?」

「決まってるだろ、答え合わせはもうすぐ見れるぜっ!」

 そう叫んでいる内に、赤い<86>が<ランサーエボリューション>にテールトゥノーズ。勢いは完全に<86>の方が勝っており、ここで勝敗が決するようにも思えた。場所は与野インターとの分岐まで約百メートル、しかし赤い<86>はアクセルを緩め<ランサーエボリューションⅣ>との離隔をコンマ五秒ほど確保した。

「アクセルをわざと緩めた……あの<86>は、後追いを選んだのか?!」

「元々、直線で勝ってるからってーもパッシングまでは難しかったんだよ。速度差が十キロもあるか無いかってのに、たった百メートルじゃ仕掛けらんねーって。あの赤い<86>は、そこまでちゃんと冷静に計算できてる」

 仮に青海の言う通り時速十キロの速度差があるとして、全長四メートルもあるランエボを追い抜くには、<86>の全長分まで加味すると四秒程度の時間を要する。しかしこのままのスピードならばその四秒で二百メートル進んでしまい、現在の残り距離である百メートルではオーバーテイクを完遂するのに足りないのだ。

「後追いを選んだ理由は他にもありそーだぜ? タービュランスを嫌ったか、相手の排ガスで吸気の温度が悪くなるのを嫌ったか……けどよ、ただ一つだけ確実なことがある」

「確実なこと、か?」

 非力な自然吸気のFR駆動では再加速までには時間がかかるため、与野インター分岐を通り過ぎた頃には一秒弱のマージンを築かれていた。しかし後ろから眺める<86>には、このタイム差に絶望している気が微塵も伝わってこない。そんな赤いクーペシルエットに魅了されながら、青海がその一言をエギゾーストに乗せる。

「この一秒もあるマージンを、後半区間で確実に奪回する自信が零れてるってーことだっ!」

 その鼓舞に合わせて踊るかのように、<86>のテールが左に揺らめく。

与野インター付近の右大カーブ、『コジマダウンヒルコーナー』に差し掛かった地点。前走のランエボは既にグリップ走行で下りの右コーナーを駆け降りている。遠心力でアウト側に流されてゆく車体を、枯れた<AYC>が必死に制御しようとしながら。

 この<ランサーエボリューションⅣ>は、オーバースピードで突っ込んだのかもしれない。車体は徐々に外側の遮音壁に吸い寄せられてゆき、ラインが歪な楕円を描くかのように孕んでしまう。それでも流石に一秒のマージンを築いただけのことはあり、このコーナーでの追い抜きをその白いラリーカーは許してくれなかった。アウトにベタ付けの走行ラインで、ランエボは地下区間へと下ってゆく『新都心西ストレート』におよそ三〇〇馬力もの出力をぶつけてゆく。

 そんな前走車を傍目に、青海たちは赤い<86>へと視線を映した。ちょうどコジマダウンヒルコーナーへと差し掛かる地点、速度はおおよそグリップで曲がり切れるようなモノではなかった。明らかな速度超過、まるで海流に身を揉まれる魚。タイヤの限界を超えるスキール音が鳴り渡って、ノーズが遮音壁を突き破り落下してゆくビジョンが脳裏に浮かぶ。

「いや――違う、あれは<86>だっ!」

「何が違うんだよ青海、あれじゃ上尾方面へとすっ飛んで行っちまうぞ?!」

 強いブレーキングとヒールアンドトウを決めながら、青海が黒崎の言葉を否定する。一方で<86>のブレーキランプは決して赤く灯らず、ただシフトダウンの鳴き声だけが微かに耳へ届く。

「黒崎、お前は慎重に考えすぎなんだ! この速度でクリアーする方法……首都高っつー思考の枠組みを外して、もっぺん考えてみろ!」

「それって、まさか――!」

 彼のセリフはそこで途切れる、より大きな叫びに遮られる。<インプレッサ>のライトが照らす先、赤いボディの反響によって。

 光軸の反射が一度だけずれる。タイヤの悲鳴は遮音壁を破り、<86>の車体が倒れそうなほどにロール。それまで良く見えていたテールはなりを潜めて、却ってCピラーのレタリングが彼らとの再会を果たしてくれた。

 赤い<86>が横を向くようにして、ドリフト状態でコジマダウンヒルコーナーを駆け降りていった。

「慣性ドリフト……惚れ惚れするぜ、しかもRの緩い首都高でやるなんてな」

 タイヤのグリップがブレークして車体が横向きになる直前、<86>は一切ブレーキを踏まなかった。普通ドリフトはフロントタイヤに荷重をかけねばならず、その為にはブレーキングが必須事項であるはずなのに。

 この疑問を解消してくれるテクニックが、青海の口にした慣性ドリフトだ。シフトダウンのエンジンブレーキによる減速のみでフロントに荷重をかけ、外側へとリアを流してドリフトする奥義。メリットは全くブレーキを踏まないことであり、進入スピードを維持しながらコーナーを駆け抜けることが可能となる。だから先程の<ランサーエボリューションⅣ>よりも、そして青海の<インプレッサWRX>よりも、ワンランク高い速さでこのコジマダウンヒルコーナーを走り去ることが出来たのだ。あまりもの難易度の高さから使いこなせるドライバーが限られるこのテクニックを、あの赤いナイトフライトはいとも容易く披露してくれた。

「後は下り勾配も味方だよなー……<86>の軽さ、全面的に押し出してる」

「ランエボの重量が確か一三五〇キロ、それに対して<86>が一二五〇キロなはずだから……百キログラムの差が、この下りセクションからじわじわと効いてくるって訳か」

 コジマダウンヒルコーナーから始まる新都心地下セクションは、新都心インターチェンジまで一気に下ってゆくレイアウトだ。先程ランエボが通過したストレートからは二車線に戻り、右へ左へと直角コーナーが連続する。足回り、軽さ、そしてドラテクの三要素、現在<86>が優位に立っている全てがこのセクションで遺憾なく発揮されるはずだ。

「本当にスゲーよ、ここまでこのコースにピッタリなクルマがあるなんて……そして惜しみなくそのアドバンテージをぶつけられる、あの<86>のドライバー……!」

「でも追い付けたところでよ、一体どうやって抜くかだよな。勝負は新都心インターまでの短いセクション、それ以降の上り勾配はターボのランエボが圧倒的だ」

 青海の思考が首都高を巡る。地下セクションを抜けた先は芝川を渡る橋まで一気に登るので、ハイパワーターボエンジンを擁する<ランサーエボリューション>の方が圧倒的に有利となる。それまでのわずかな区間でオーバーテイクをしなければ、先程より詰めてコンマ七秒ほどにまで戻した彼我差も意味をなさない。

 新都心西ストレートを下る<86>に目をやれば、軽い分だけ弾丸のようにスピードが乗っている。短い直線区間ながらもランエボとの距離を少しずつ縮めていて、しかしそれも束の間だろう。次に待ち構えている右、左の中速コーナー『スーパーアリーナコークスクリュー』手前では、どうしてもブレーキディスクを赤熱させながら減速しなければ――。

 考えがそこまで行き着いたところで、青海が自身の大きなミスに気が付いた。

「常識は、捨て去らないといけない――」

「どうした青海、いきなり?」

「あの<86>は普通の走りじゃねーんだ、だから俺は一目惚れした。ならばスーパーアリーナコークスクリューでもそれが同じで、非常識を俺らに見せつけてくれるんじゃねーのか……?!」

 その言葉が口から排気された途端、すぐに現実が予想に追い付く。彼の期待とヘッドライトの先、減速灯は<ランサーエボリューションⅣ>のモノしか確認できない。コークスクリュー一つ目の右カーブ、ハイスピードで突っ込むべきではない中速コーナーを、赤い<86>はノーブレーキでダイブしていったのだ。

 二台の差は当然狭まり、このブレーキング勝負で白と赤が横並びになる。電撃的なアタックだったからか、<ランサーエボリューション>のインサイドはポッカリと綺麗に空いていた。<86>は精々変速時のエンジンブレーキをかけた程度の勢いでそこを突いてゆき、不意打ちを成功させてノーズをランエボの真横に付ける。そして迫りゆく、スーパーアリーナコークスクリュー。

 クーペシルエットを慣性ドリフトで独楽のように回転させながら、<86>はよりタイトなラインである内側を曲がり切った。

 スピードが乗っている状態であればあるほど、遠心力が強くかかるせいでクルマは曲がりづらくなる。それに加えて、コーナーの内側は曲線半径が外側に比べてより厳しい。そのため<86>は本来ハードブレーキングを要求されるはずであって、このスピードのままなら<ランサーエボリューション>の方がイージーに曲がれるのがセオリーだ。

 しかしあの赤い<86>はドリフトを活用することによって、速度を落とさずにクリアーしていった。しかも接触無し、車線を逸脱することなく。

 コーナー終端で新都心インターチェンジとの分岐が左側にあり、ランエボがそれを避けるため右側へ幅寄せ。<86>もそれを当然把握しているため、側壁ギリギリまで車体を寄せた。この先しばらくはまたレーンが一車線のみとなり、路側帯までフルに使って並走する。ハンドリングのブレは、決して許されない。そして一つ目のコーナーが完全に終わると、次にあるのは短くフラットな直線だ。

 立ち上がり加速はランエボに分があるはずだが、再加速させてくれるほどのストレートは無い。すぐにコークスクリューの二つ目、左コーナーが控えており、シフトアップも出来ずにスロットルオフからのブレーキング。

対して<86>はギアを一段上げながら、またもやノーブレーキで突入してゆく。今度は横並びのアウト側に位置するのなら、より緩いラインで、そしてより速いスピードでコーナーを曲がれる。先程のコーナーから、二台の条件が逆転していた。

 双方のタイム差がゼロ秒となったサイドバイサイド、最後の地下区間をランデブー。方や常識的なコーナリングのために減速してターンインを試みるランエボ、方や足回りと軽さとドラテクの三要素に裏付けられた非常識によってノーブレーキングを達成する<86>。上り勾配に到達する直前の左コーナー、非常口のサイネージが緑色に嘲笑う。

 コーナーのイン側は距離で有利だが、アウト側は速度で有利。前半は<ランサーエボリューションⅣ>のノーズが十センチほど前にしゃしゃり出たが、クリッピングポイントを超えるとすぐに、赤いクーペのスピードに捻じ伏せられる。車体半分ほどリードしたところで、白いランエボの行く手を阻むように<86>が左側へとステアリングを切り始めた。

 センターラインを<86>が跨ぐ。主導権を完全に獲得し、ラインが一本へと徐々に収束してゆく。ラリーカーご自慢の大きな前照灯は、真っ赤な鉄のドアしか照らしていない。

 コークスクリュー二つ目の左コーナー、赤い<86>が競りながらの大外刈りで<ランサーエボリューションⅣ>を一度オーバーテイクしてみせた。

 スーパーアリーナコークスクリューの出口、しかし二台が数珠つなぎになることはなく、<86>の後輪と<ランサーエボリューション>の前輪が顔合わせをするような位置取りで駆け抜けてゆく。F1でしかお目にかかれないようなホイールトゥホイールが、青海と黒崎の視界いっぱいに繰り広げられていた。頭一つ抜きんでているだけ<86>の方が優位に立っていそうだが、コースはそう容易くナイトフライトの先行を許さないだろう。この先は比較的長めのストレートがあり、しかもきつい勾配の上り坂なので、物理法則上はランエボの方にアドバンテージがあるのだ。

 トンネルの籠った走行音が、三台のクルマを挑発する。<4G63>と<FA20>、そして<EJ20>レシプロエンジン。年式や過給こそ様々だが、三つの二リッターエンジンが垂涎しながら出口を睨む。このハイスピードバトルの結末という、勝利の美酒を目前にして。

 景色が流れる。視界がちらつく。赤色の尾灯が残像を曳き、壁の白色灯が網膜を刺激する。

 そして上り勾配へと差し掛かる時、しかし非常識的な光景が追走の<インプレッサ>を圧倒した。

 ヒルクライムの加速で、非力な<86>の方が抜きんでている。

「そうか、初速と加速ライン――!」

 青海の頭に走った電流が、この非常識を裏付けてくれる。零した一言だけで黒崎も十分察したのか、ただ頷くだけですぐ目前のハイスピードバトルに視線を戻した。

 コーナーからの立ち上がりと言っても、静止状態から加速する訳ではない。コーナリングスピードが高ければ高いほど、その後のストレートでも最高速へ早く到達できる。

 例えば富士のAコーナーや鈴鹿のヘアピンだと顕著だが、低速コーナーのインサイドではハードブレーキングによる減速が必須であるのに対し、アウト側は大きく回ることによってコーナリングスピードを活かしたまま低速コーナーをクリアーできる。これはルーズなラインで走れるため減速を最小限に留め終端速度を殺さなくても済む他に、脱出時にアウト側の方がより早くコーナー出口を向いて加速姿勢が取れることにも理由がある。このことに関わってくるのが、『立ち上がり重視のライン取り』だ。

 コーナリングの基本はクリッピングを曲がる挙動の中間地点で抑えるアウト・イン・アウトだが、時としてこのクリッピングポイントをもっと奥側、コーナー脱出口付近に取るテクニックが存在する。このライン取りは立ち上がり加速を重視したモノであり、こうすることで脱出時に車体のノーズがバックストレートを向くようになり、ゼロステアでの加速姿勢が取りやすくなるのだ。

 今回の<86>がアウトサイドを選んだのは、恐らくこれが真の狙いである。スーパーアリーナコークスクリュー二つ目進入時にランエボへ外側からやや覆いかぶさることにより、相手を手前側のクリッピングポイントへ封じ込め、更に自らはその奥のクリッピングを難なく抑えることが出来る。コーナー進入時の速度と立ち上がり重視のライン取りのハイブリッド、コーナー外側から前走者を追い抜く非常識的な大外刈りはこの二つのテクニックで成り立っている。

 これに付随して、<86>がコーナー二つ目の進入直前に早めのシフトアップをしたことも勝因の一つだ。これによって駆動輪のトラクションを意図的に増してやれば、例えFRであっても直線で4WDに勝るとも劣らない加速性能を引き出せる。

 地上へと脱出する急な坂道を、カタパルトで投射するように赤いクーペが疾駆する。その姿はまるで自らの重量も重力も脱ぎ去った、夜空に飛び立つ朱雀のよう。後を走る<ランサーエボリューションⅣ>も、その赤く煌めいた翼には置き去りにされてしまっている。

「ナイト、フライト……そーゆーことか、確かにありゃ『ナイトフライト』だな」

 戦意を失ったランエボをかわしながら、青海が独りごちて芝川に架かる橋を渡る。

 月夜へ飛翔する、深紅の<86>。

 その羽根のようなテールライトが、ただ青海の視界に残像として深く刻み込まれた。


「――ってーことがあったんだよ」

 翌日、青海と黒崎は埼玉大学教養学部棟の講義室にて、友人である白島(はくしま)と昼食を摂っていた。彼とは志望する専攻こそ二人とは違えども大学入学時から続く仲であり、白い薄手のパーカーと黒縁の伊達眼鏡が物静かな羊のような印象を与えてくれる。この三人にはクルマ好きという共通点があり、たまにそれぞれの愛車(と言っても親所有)を駆ってドライブに行ったりする。

 そんな白島が紙パックの牛乳を一口飲んでから、青海に昨日の出来事について追求した。

「それで、そのまま<86>がゴールしたの? 凄いね、ノンターボがランエボに勝つなんて」

「車体の軽さにシャシー性能、そしてドライビングテクニック……例え首都高バトルでも馬力が全てじゃない、戦い方と性能次第でジャイアントキリング出来るんだって教えられたさ。本当に、いい経験させてもらった」

 満足そうに目を瞑りながら、青海がレタスとタマゴのサンドイッチを齧る。それを一瞥してから、黒崎が一度首を振った。

「でもその<86>のドライバーが誰だったのか、それが分からず仕舞いでな。その後も必死で追いかけたんだけど、既に帰ったみたいで捕まえることが出来なかった」

「なろほど、だから僕にそのことを聞きたくて話したんだね」

「――ねぇ、何の話してるのかな?」

 白島の言葉を遮って、突然声が割って入った。見上げると緩くカールのかかったロングヘアの女子大生が、小さな弁当箱を持ちながら青海の傍に立っていた。ベージュのカーディガンは袖をややダボつかせて手の甲を隠し、ゆったりとした紺色のロングスカートが柔らかい春の夜風を想起させる。彼女の名は桃山(ももやま)、青海たちとはいくつかの講義で顔を合わせる友人だ。

「おー、桃山。今は昨日の首都高で出会ったクルマの話をしててなー」

「またクルマの話してるんだ……男の子って、本当に好きだね」

「最近は女性でも、スピード求めてる人とか増えてるらしいけどなー。桃山もスポーツカーとか乗ってみないか? 俺が運転教えるけど」

「おっ、青海くんが教えてくれるの……っ?!」

 青海の軽い誘いを受けた途端に、桃山の頬がほんのりと紅潮する。一方の青海は飄々としていて、彼女を何に乗せようかと思案していそうな様子だった。

「……青海、お前本当に鈍いよな」

「何がだよ? ステアリングの調整は結構鋭くやってるつもりだぜ」

「いや、何でもない……」

 額に手を当てて黒崎が辟易する中、白島が先程の話の続きを切り出した。目線は手にしている牛乳パックに向けられている、青海と桃山の関係の進退にはあまり興味が無いらしい。

「それで、<86>のドライバー探しだけど。青海と黒崎は、何か手掛かりとかあるのかな?」

「それなんだが、青海は『ナイトフライト』ってステッカーが貼ってあるのを見たって――」

「ナイトフライト……なるほどね、大体分かったよ」

 黒崎がセリフを言い終えるのを待たずして、白島は小さく頷いて心当たりがありそうな素振りを見せる。青海は問答無用でそれに食いつき、サンドイッチを慌てて口に押し込んでから身を乗り出した。

「知ってるのかよ、白島?!」

「結構有名だからね。S5、首都高速さいたま大宮線の『ナイトフライト』……うちの大学の学生たちが中心の、かなり強い走り屋チームだよ。その中でも赤い<86>に乗ってるのが、チームリーダーの赤羽(あかばね)って人。工学部の三年生だったと思う」

 彼の口から強者の情報が出てきて、青海はサンドイッチと共に唾を飲み込む。首都高専門の走り屋チーム。メンバーが互いに切磋琢磨し、時には他のチームとも衝突し腕を磨き合う。そのナイトフライトが速いのは火を見るよりも明らかで、リーダーの赤羽に関しては走りの凄まじさを実際に目の当たりにしている。

「それで、このことを聞くだけで満足する青海じゃないよね。ナイトフライトだったら僕にメンバーとの伝手があるし、会うことは明日にでも可能だと思う。でも、それだけじゃない」

 挑発するような白島の口角に釣られて、青海の瞳に青い炎が点火する。ガスバーナーのように燃えたぎるそれは、彼の口にしたこと以上のことを欲していた。

「そうだよな……その赤羽って人と、バトルしたいに決まってるよな……!」

「青海、お前本気かよっ?!」

 黒崎が驚き立ち上がるが、青海を制止するには至らない。彼は自らの拳に愛車のキーを握り、それを見つめては静かに笑みを零し出した。

「だってよ黒崎、あんなに凄いドライバーなんだぜ? こりゃ一度バトってよー、互いの限界を引き出したくならねーか」

「限界を引き出すって言っても……お前、勝算はあるのかよ?」

「今から考えりゃいーだろ、それに大体の筋書きは決まってきてる」

 青海から闘志を見せつけられて、黒崎もここで大人しく食い下がった。青海が一度走り出すとやり遂げるまで止まらないことを、六年来の友人である彼は嫌というほど知っている。右手で額を軽く押されながら、「知らねぇぞ」と小さく呟いた。

 そこに何の事情も知らない桃山が、近くの席に腰かけて弁当の蓋を開けながら横槍を入れてくる。

「バトルって、クルマでやるの? お互いにクルマをぶつけ合ったりとか」

「それはデスレースだね、流石にそこまで荒っぽいことはやらないよ」

「一対一のカーレースのことだよ。大抵ヨーイドンでスタートして、先にゴールへとフィニッシュした方の勝ち。簡単だろ?」

 白島と青海が説明をするも、桃山はいまいちピンと来ていないらしい。口元に箸を当てながら、青海に疑問の眼差しを向ける。

「でも、危なくないの?」

「よっぽどのことが無い限り、別に死んだりゃしねーって」

「本当に?」

「本当に。安心しろって」

 屈託なく笑う青海を見て、桃山が一瞬目を反らす。彼女が悶えたであろうことは、傍観している黒崎と白島には当然お見通しだった。カーディガンの裾で動揺する唇を隠しながらもう一度青海の方を向き、桃山は一つの純粋な疑問をぶつける。

「危なくないのは分かったから、青海くんのことは信じるけど……レースをやるって、どこでやるの? そのナイトフライトってチームがいつも首都高に居るんだったら、青海くんも首都高でバトルするの?」

「それは流石に分が悪いからな、わざわざ相手のねぐらに気安く飛び込んで行ったりはしねーって。それに首都高での<86>の走りはもう見たんだ、折角なら別のコースで走ってるのが見たい。だから――」

 桃山、黒崎、白島を一瞥してから、青海が深い深呼吸をする。彼の瞳に宿っているのは、闘争心と好奇心。それはきっと、彼が失い追い求めていた感情。

 強いドライバーに対する、『憧れ』。

「SRC――埼玉大学ラリー選手権で、俺はあの<86>に挑戦する!」

 胸にぽっかりと空いていた感情を取り戻した彼は、とても楽しそうな表情をしていた。





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