第5話
棚を整理していたら、古い水晶煙草の包みと年季もののパイプが一緒くたに仕舞われているのを発見した。
「あいつめ、こんな高価なものを隠してたな」
見てみると、しっかり封がされていたせいか葉はまだ傷んでいない。蠟紙の裏にも乾燥を防ぐ簡素な魔術の気配があった。まだ、十分に楽しめそうだ。でも、あいつ、水晶煙草嫌いじゃなかったか?
パイプは見たところ清潔そうではあったので、ライネルは勝手に葉を詰めて火を点けた。いそいそと肘掛け椅子に腰を下ろし、深々と煙を吸い込む。久々なので噎せた。
咳を聞きつけたか、ロクドが顔を出した。
「あっ、さぼって何吸ってるんですか」
「さぼってるわけじゃない」
咳の合間にライネルは訴えた。
「さぼってるわけじゃないぞ。休憩だ」
出ていこうにも文無しである。結局どこへも行きようがないので、ライネルは差し当たってカレドアたちの仕事を手伝うことにしたのだった。ライネルだって当然立派な魔術師であるわけだから、戦力だ。いつまでいるかは分からないので、長期の依頼人を受け持つことはなかったが、一回で済む単発の依頼——大事なものを失くしただの、怪しげなものを贈られたからこっそり中身を調べてほしいだの、そういった類のこと——に関しては、大いに役立てた。学術的なことにしか携わってこなかったぶん初めこそ戸惑ったものの、三日もすれば慣れた。此方のほうがもともと向いているのかもしれない、とさえライネルは思う。
「お金もないのにどこから手に入れたんですか」
「これ、あいつの」
ひらりと火皿から煙の蝶を生み出ながら、にっと笑ってみせる。ロクドが呆れ顔になった。なんだかこの少年のこういう表情ばかり見ている気がする。
「知りませんよ」
「というかここ、賃金は出ないのか?」
尋ねると、ロクドが困った顔をしたので、ライネルは慌てて言った。
「冗談だ。住まわせてもらって感謝してるよ」
しかし、ロクドは思いの外深刻に受け止めてしまったらしい。
「でも、住み込みで働いてもらっているようなものじゃないですか。自由になるお金がないというのは……」
「おいおい、気にするなよ。別に俺がいなくたって普通にやっていたんだろ。無理言って住まわせてもらってるんだ。昨日だって、買い出しのお釣りで梨を買ったしさ」
「大の大人がお使いのお釣りをお小遣いに……」
「やめろ、その言い方は」
そのとき、ライネルは手が滑ってパイプを取り落とした。火のついたままの水晶煙草の葉が、マホガニーのテーブルの上に零れた。
「ああ」
ロクドが駆け寄った。ライネルは慌てて冷却の呪文を唱えたが、テーブルには蝶の形の焦げ付きがくっきりと残ってしまった。
「悪い」
ロクドが焦げ跡を擦り、溜息を吐いた。
「でもほら、なかなかいいアクセントになったという見方もあるぞ」
「おれはいいですけど……先生はどうかな……」
「俺を追い出すかな?」
「もうそれはないと思いますけど」
あれから、カレドアの態度はやや軟化した。軟化したというよりは、「ライネルのことを諦めた」という様子にも見えた。相変わらずライネルとはあまり対話しようという気はなさそうだったが、それでもライネルが話しかければ五回に一回は返事をした。
ライネルは、依頼人の応対をするカレドアは案外穏やかであるということも発見した。面倒な依頼人の愚痴をもう一時間ばかりのらりくらりと躱す姿を廊下から覗き見しながら、ライネルは彼の弟子に囁いた。
「器用なもんだな」
「いつもああですよ。飄々としてて」
「ふうん」
「人当たりはいいし、まあ緊張感には欠けますけど、男女問わず穏やかなのでけっこう評判いいですよ」
「人当たりがいい? あいつが?」
「見るからにいいじゃないですか」
「俺にはよくない」
「それは、まあ、不思議ですね」
ロクドが瞳をぐるりと動かした。ライネルはふと、その虹彩に目を惹かれた。ひどく見覚えのある、深い海のような、澄んだ泉のような、また枯れ草のような、様々な色彩を反映する美しい瞳だった。
ロクドは、ライネルの視線に気づかずに口を開いた。
「でも、なんだかよかったです」
唐突な台詞に、ライネルは首を傾げた。ロクドはライネルを見上げ、微笑んだ。
「先生が普通に戻って。だって、ライネルさんが来たばっかりの頃は明らかに変だったから」
ライネルはむんずと少年の頭を掴み、ぐしゃぐしゃと撫でまわした。作業室のほうに響かないよう配慮しながら、ロクドが悲鳴をあげてのけぞった。
「うわ、何するんですか」
「俺も弟子が欲しいよ」
「取らないんですか?」
「まだな。独立しようと思えば、いつでもできるんだが……まだ、そのときじゃないな」
「でも、ライネルさん、弟子を取ったらけっこういい先生になりそうですね」
「なんだ、ちょっと上から物を言ってないか?」
「邪推ですよ」
ロクドの額を小突き、ライネルは呟いた。
「弟子ってのはさ、いいもんだよな。なあ、きみも将来弟子をとれよ。きみこそ、いい師になりそうだ」
本人がそれに気づいているのかは知らないが、一緒に働いていれば分かる。ロクドの優秀さは、十人並みではない。まだ十七であるということを差し引かずとも、彼は既に優れた魔術師だった。隣にずっとそういった人間がいたからこそ、ライネルには確信できた。ロクドは照れたように足元を見た。どうやら褒められ慣れていないらしい。言葉で褒めてやるのも師匠の仕事だろうに。そんなところまで、自分の師を真似る必要はない。
「まだまだ先の話ですよ」
「そうかもしれないけどさ」
ライネルは笑った。気分がよかった。
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