セルフパロディ
泡沫の夢
第1話
「なあ」
白い息を吐き出しながら身支度を整え、寝室の扉の把手を掴んだ瞬間に背後から声が掛かった。全身総毛立ち、素早く振り返る。
神殿の紋章入りガウンに身を包んだ赤毛の若い男が、途方に暮れたように立ち尽くしていた。先程までカレドアしか居なかったはずのこの部屋に。男は振り向いたカレドアの顔を見て、虚をつかれたような表情を浮かべた。
「どうしたんだ」
当惑。
「なんだかお前、雰囲気が……」
カレドアは勢いよく踏み込むと片手で胸倉を掴み、男を壁へと叩きつけた。男が呻き声を上げる。
「貴様は誰だ。何を知っている」
左右に素早く目を走らせ、カレドアは低く囁いた。周囲に他の魔術師の気配はない。顔も手も、露出している肌はおおよそ青褪めていた。
「お前、いつもより腕力強くないか」
「答えろ」
魔術の帯がカレドアの手を伝って男の服の上を滑り、体幹を壁の上に固定した。男が顔色を変えた。
「俺が誰かだと?」
身を捩りながら、男が苛立ったように唸った。
「何の冗談だ。ふざけてるのか? 俺はライネルだろ。クソ、馬鹿馬鹿しい」
「そんなはずはない」
カレドアの声は抑えられていたが、その一瞬激情を孕んで震えた。
「何故だ。何故そんなことを言う」
「私は、お前は誰だと聞いている……」
その瞬間、彼の明るい茶色の瞳に激しい困惑が渦巻いた。その見て取れるほどの困惑の質量に、カレドアは思わず口を閉ざした。二人は暫く沈黙していたが、ライネルの顔にはいつまでも了解の兆しは現れなかった。やがて、彼は壁に押しつけられたまま、掠れた声で喋りはじめた。
「俺は、ライネルだ。サルバローザ師の弟子。なにも……状況が分からない。混乱している。ここは神殿の中じゃないな。お前はどうしてそんな服を着ている。昨日髪を切ったばかりじゃなかったか? それに、なにより、その瞳の色はなんだ」
カレドアは混乱した。
「何があった。なあ、レドニス。ここはどこなんだ」
魔術の枷が緩んだ。ライネルは思い切りカレドアの手を振り払うと、扉を開けて寝室を飛び出した。カレドアはよろめいたが、すぐさま我に返ると、その後を追いかけた。
ライネルは逃げ出してはいなかった。雑然とした作業室の真ん中に、茫然自失の体で佇んでいた。カレドアは彼を捕まえるのも忘れ、廊下の入り口に立ち尽くした。ライネルは途方に暮れたようにカレドアを見た。そのとき、音でも聞きつけたのか、ロクドが階上から降りてきた。悴む手を擦りながら。早朝の作業室に立ち尽くす二人の男に、彼も意表をつかれたようだった。唖然としてカレドアとライネルとを見比べる。やがて、ロクドは控えめに呟いた。
「依頼人の方ですか?」
誰も返事をしなかった。窓硝子に木枯らしが吹きつけ、ぴしりと音を立てた。冬の朝の出来事だった。
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